10、女神、ナンパされる




「えーとですね?」

「……」

「こんなことになるとは思ってなくてですね、その、完全な想定外といいますか」


 右へ左へと泳ぐのに忙しい俺の目の前には唖然とするアルルとライゼ。二人の視線が向かっているのはもちろんポールだ。

 沈黙が耳に痛い。頼むから黙っていないで何か喋ってくれ頼む!


「おや……」

「ひぃっ⁈」


 最悪だ。今一番喋ってほしくない奴が喋り始めてしまった。

確実に恐怖からきているであろうアルルの悲鳴を聞きながら、俺は壊れかけのおもちゃのような挙動で首をギギギと奴に向ける。目が合ったその瞬間、奴は何故かサラッと前髪をかきあげた。


この時点でもうおかしい。だってこいつは確かぐりんぐりんの癖っ毛のはずだ。


「みんなどうしたんだい? 揃いも揃ってそんな顔をして……。ライゼお兄様も、そんな恐ろしい顔をしていては小鳥さんたちが怖がってしまうよ?」

「お…………兄様……だと……?」

「笑って笑って! ほら、スマイル!」


 奴はシャランと効果音を鳴らし、背後に花の幻覚を背負いながらライゼへバチンと漫画なら星が散るほどのウィンクを飛ばす。もちろんまつ毛はバッサバサ。目だって一回りくらいでかくなった。


 巨漢がものすごい表情でこっちを見てくるが、こいつは誰なんだと、俺だって言いたい。だが服装から見るに、今時の少女漫画でも見ないようなこいつは間違いなくポールなのだ。目も髪も顔も、何なら声も言動もほとんど別人だけど。


「ああ、美しき女神! 空の髪を持つ君よ、どうかお礼を言わせてほしい」

「うえっ、俺⁈」


 そして少女漫画ポールの次の標的はどうやら俺らしい。

 奴がこちらにバッと振り返り、その勢いに俺は少し後ずさった。背丈はクソガキだったころのままなのに、まとう雰囲気だけが異様だ。


「治してくれて本当にありがとう! あなたは命の恩人だ!」

「いや恩人なんてそんな大げさな……」

「ふふっ、少し自分が憎らしくなるよ。こんなに麗しいあなたがいるというのに、その輝きに気づけなかった愚鈍な自分を、さ」


 悪い意味での悲鳴を上げなかった俺を褒めてほしい。まさか人生初のナンパがこんなところで来るとは思わなかった。


 転生したこの見た目を褒められるのは正直悪い気はしないが、恥ずかしさや嬉しさよりポールへの恐怖が上回る。想像していたナンパはもっと、ちやほやされて気分が良いものだと思っていたのに、なんだこの恐ろしさは。


 うっとりとこちらを見上げてくる奴に対し、俺は引きつった顔を笑みで誤魔化すのが精いっぱい。怖い。このポール本当になんか怖い。


 しかし光が収まって早々に「ごきげんようみんな!」と爽やかに言い放って俺たちの度肝を抜いた犯人は、固まってしまったこちらなど知ったこっちゃないらしい。今度は軽やかに華を背負ったままアルルの前に膝を付き、宙で凍り付いた手を取る。


「ほら可愛いアルル。君のプリティなフェイスが引きつっているじゃないか。どうしたんだい? ……ああ、もしかして僕が女神様にご執心だから嫉妬してしまった、とか」

「――――」

「それはすまないことをしてしまったね。ならこれからは君を寂しがらせないよう、水浴びをするときも一緒にいよう。大丈夫、心配ないよ。女神様が月のような美しさなら、君は小鳥のような可愛らしさで――」

「……い」

「うん?」

「いやぁぁぁぁぁ――――――――っ⁉」

「おぶっ」


 限界だったのだろう。彼女の腕にぶつぶつと鳥肌が見えた瞬間、小屋中に響き渡る絶叫。それにライゼが思わず耳を押さえ、宥めようと手を伸ばしたポールの顔面に少女の小さな拳が突き刺さった。治しただけのはずだったのに、なんという有様。


 俺は散々な状況に遠い目をしつつ考える。

 とりあえず、なんて謝ろう。




 ポールに傷はない。そもそも元からそんなものなかったように、跡形もなく消えている。濃い青紫の痣も、切れていた唇の端も、何もない。それどころか怪我をしていなかったときに比べて肌艶が良くなった。例えるなら湯上りつやつやたまご肌。


 さっきの光り方を思い出しながら、俺は自分の手を見る。ここまで一瞬にして治るなんて、信仰されている女神の力とは凄まじい。ライゼの火傷を治したときとは段違いだ。信仰者がたった数人でこの威力なら、国に大量の信仰者を抱えているほか女神たちはどれだけ強いんだと想像するだけで恐ろしくなるが。


 しかし、いずれの恐怖は今は横に置いておく。今なんとかしなければならないのは目の前の恐怖だ。


「答えろ。ポールに何をした」

「えーと、よ、よかったじゃないですかね! 怪我は治ってるわけだし、その」

「その喉笛、よほどいらんと見える」

「すいません! 治そうと張り切って加減ミスりました! 本当にすいません!」


 土下座をする女神なんてここでしか見れないんじゃないだろうか。ギロリとこちらを睨みつけてくるライゼの前で額を擦り付けながら、俺の頭はそんなことを考えていた。人間、想定外のことが起きすぎると現実逃避したくなるものだ。


 ちらりと地面から目だけを向ければ、もはや作画が少年漫画から少女漫画に変わったポールが顔面に拳のあとをつけて伸びているのが見える。祝福する前とはえらい違いだ。


 どうやら俺の「祝福」は要らないところにまで作用してしまったらしい。つまりは怪我をきれいにするついでに心まで、ということだ。きれいにしたところで見た目が少女漫画になるか、と言われたらそれはさておいてだ。


 ポールが木こりの泉から渡されたような「きれいなポール」になってしまったのは紛れもなくまだ力の調整がわからないのにいらん気合をいれた俺のせいである。


「いや、本当にごめんなさい。俺、いや私が軽率でした。使い慣れてないのに出来ると思い込んでしまって……」


 悪気があったわけじゃないし、怪我治したし? 他にも色々手助けしたんですけど! なんて不満をたれる声が自分の心から聞こえてくるが、それらを無視して頭を下げる。やらかしたとき「でも」とか「そんなつもりじゃ」とか言うのは余計に相手を苛つかせる。


 とにかくお客様相手に俺が学んだのは一に謝罪、二に謝罪。やらかしを受けた方は言い訳なんて望んでいない。


 それに、まず俺にも想定外のことだったとわかってもらわなきゃ話は進まないのだ。あと単純に命が惜しい。まだ死にたくないです。


「……意図してのことではない、ということか」

「そ、そうです! すいません!」

「そうか。それならいい。……悪かった」


 よかった。なんとか俺の喉は無事で済みそうだ。

 バツが悪そうに軟化した声にほっとして顔を上げれば、ライゼの黒い目がポールを映しているのがわかった。気を失っているが、あの女がつけた傷痕はどこにもない。そのことに、この男は酷く安堵しているようだった。


 俺に向けたものと違い、身内への横顔は穏やかだ。それほど大事だということなんだろう。


「……治療のことは、感謝してる。あの転移者への対処もだ」

「い、いえ。私は自分にできることをやっただけで」

「いや、お前の助言がなければ俺たちはこうしてまた三人、顔を合わせることもできなかった。だから、礼を言う」


 ぽつりと呟くような声。だがそれでも俺の耳には、はっきりと聞こえた。あの堅物が、初対面から殺意ばかりの巨漢が、礼を言ったのだ。


 アルルとは比べ物にならない愛想のない言葉。けれどその言葉が、異物の俺を異世界が初めて認めた証明であるような気がして、なんだか妙に染みた。したことが認められる嬉しさってやつかもしれない。


「だが……あれは、な」

「……はい。どうにかしなきゃですよね――……」


 しかしいい話で締めくくるなんてことはできない。もちろん俺らの視線の先には作画が少女漫画になったきれいなポールと、きれいなポールをみて泣きじゃくっているアルル。少し進めたといっても、問題が解決したわけじゃないのだ。

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