2、他人の喧嘩ほど気まずいものもないよね
さて、どこまで読んだのだったか。
話し相手もいなくなり静まり返った檻の中で、俺はマニュアルの続きを読もうとページをめくる。この異世界で唯一俺の持ち物らしい持ち物は、情報集めにしてもそうだが、退屈を紛らわせることにとても役に立った。何せこのケモミミ男が誰も近寄らせないものだから、俺は随分と暇なのだ。
神が持たせたマニュアルは名前にふさわしい内容の充実ぶりで、おかげでページをめくっているだけだというのに、俺はかなりこの異世界のことを知ることができた。
「シード大陸に、女神を祀る国ねぇ」
この異世界の地をシード大陸といい、国は大きく分けて三つ。どうやらそれぞれの国でそれぞれの女神様を崇めているらしい。
血と争いの絶えない無法者の国、シュラ王国。祀るのは戦いの女神、ガネット。
あらゆる欲を満たす欲望の国、フルール国。祀るのは豊穣の女神、シャムラン。
幸福が約束された国、ミラクロ。祀るのは幸福の女神、フレイラ。
異世界をめちゃくちゃにしている三馬鹿もとい三女神は、各々の国を拠点としているようだ。恐らく神が言っていた「異世界転移者」とやらもそこで呼び出しているのだろう。皮肉な話である。祀っている相手が、住む世界を破滅へと導いているのだから。
段々と目が疲れてきて、マニュアルから一度顔を上げると何やらアルルとポールが言い争っている声が聞こえてきた。
「ちょっとポール、やめなさいよ! 外は危ないってライゼお兄ちゃん言ってたでしょ!」
「なーにビビってんだよ弱虫アルル。ライゼの兄貴がいるんだから大丈夫なんだろ。それにボクも鍛えてるんだ。今さら魔物くらいへっちゃらさ!」
咎めるアルルの声を全く聞こうとしない根っからのクソガキポールはミニサイズの木刀を振り上げて得意顔だ。ちなみに魔物とは大気の魔力濃度が狂った影響で凶暴化した動物のことを指す。マニュアルで読んだ。
この森には三馬鹿女神の影響で魔物が少なくない頻度で出るらしく、たびたびケモミミ男が魔物らしき獲物を引きずっているところを見たことがある。最近だと大人の身長を超える、一つ目のイノシシのような生き物を軽々と片手で持って帰ってきていた。ケモミミ男の筋肉は飾りではないらしい。
「へっちゃらって、小型の魔物に追い回されて泣きべそかいてたくせに何言ってんの!」
「ばっ、大声出すなって! あ、あれはちょっと調子が悪かっただけで」
「……それに、外は転移者がいるかもしれないのよ」
そして、これはマニュアル外でわかったことだが、異世界転移者というのはあまり良い印象を持たれていないらしい。
転移者のことを口に出すアルルの声は言ってはいけない言葉でも言っているかのように低く、ついさっきまで調子に乗っていたポールもその単語が出た瞬間、表情を硬くしている。
少なくとも子供にあんな顔をさせる程度にはやらかしているようだ。もしかしたら俺が捕まっているのも、そいつらが好き勝手したからなのかもしれない。なんともまあ迷惑な話。
「アルルの言う通りだ。ポール、やめておけ」
「……ライゼの兄貴まで。そんなに僕が信用できないってのかよ!」
「能力を過信し、身の丈に合わないことがわからない奴を信用できると思うのか」
「――――っ!」
事をおさめようとしているのだろう。檻の前から腰を上げたケモミミ男が言う。しかし、小学校三~四年程度の子供をなだめるにしては少し言葉がキツすぎる。ケモミミ男のような威圧感のある奴が言うと特にだ。
そしてマニュアルをめくる恰好だけを取りながら目と耳をチラチラ向ける俺の前で、想像通りのことが起こった。
「強くなりたいというお前の気持ちはわかっている。だがな、勇気と無謀は」
「もういいよっ! どうせ何やったって認めてくれないんだろ!」
冷たい言い方に我慢していたことが爆発した様子で、ポールがケモミミ男の言葉を遮る。悔し気に歪んだ目には大粒の涙が浮かんでいた。そして少年は見上げるほどの巨体をキッと睨みつけると唇を噛み、その場から逃げ出すように走り去ってしまう。
「あっ、ポール! ……ごめんね、ライゼお兄ちゃん。あいつ、ほんとにガキだからさ」
「……いや」
「悪気があった訳じゃないんだ。ポールの奴、『兄貴にばっか頼ってられない』って張り切ってたからさ。だから、あんな強引なことして」
フォローをいれるアルルの目はポールが去っていった方向をチラチラと見ていた。兄貴分に突っぱねられた弟分のことが心配なのだろう。彼女は「必ず謝らせるから」と言い残すと、ポールの背を追いかけるようにして走って行く。
残され、二人の背を視線で追いかけてボーっと突っ立っていたケモミミ男だったが、しばらくすると再び檻の前に戻ってくる。俺に対してだけかと思ったが、どうやらこの男は身内にもかなり不器用らしい。
俺はといえば心なしか尻尾を下げた男に「ざまあみろ」と思う感情以外浮かんでこなかった。普段からコミュニケーションを蔑ろにするから、いざと言う時に意思疎通ができないのだ。
「……何だ。何か話す気にでもなったか」
「別に」
見られていることに気づいたのか眉間に深く皺刻んでこちらに尋ねてきたケモミミ男を前に、俺は視線をマニュアルへと戻す。こちとら問答無用で捕らえられている身だ。「もっと優しく言ったほうがいいんじゃない」と指摘するほどの義理はない。
それに、今はそんなことをしている場合ではない。ケモミミ男へコミュニケーション講座を開くよりもよっぽど大事なことがわかったのだ。
俺は見間違いでないことを確認するために、マニュアルを後ろからパラパラと開く。ノートにでも使えという意味か少しの間白紙が続くが、それはデカデカと赤文字で書かれた「女神の注意点」というページで終わっていた。
赤文字の下、「食べることは最悪必要ない」や「信仰の力でパワーアップ」という言葉に混じって書かれていた最後の一文。見間違いであったほしかったそれが、一言一句間違っていなかったことに、俺は思わず頭を抱える。
――もし一定期間内に信仰が得られなかった場合、女神は消滅する。
つまり、女神として信仰が得られなければ、俺は死ぬ。
突き付けられた新たな事実に、胃を冷風が撫でてく。
「……マジで?」
力が抜ける感覚はあった。だけどそれはここに来てまともな食事をとっていないせいだと思っていたし、足に力が入らないのも日がな一日座りっぱなしだからだろうと思っていた。
けれど、どうやら事態はそこまで楽観視できるものではないらしい。
生死にかかわる原因に焦りを覚え、俺は急いでページをめくった。しかしマニュアルには魔法の仕組みや女神としての力の使い方は書いてあっても、信仰を得る方法は書いていない。
藁にも縋るような気持ちで目に入った「信仰」の文字に飛びついてページを開いたものの、その後に続くのは「頑張れ!」の文字。
俺は乱暴にマニュアルを閉じて、その手で頭を抱える。痛んでいない青い髪が指にぐしゃりと絡まって、サラサラとこぼれていく。
「マジかよぉ……生まれ変わってすぐお陀仏とか、冗談だろ」
「おい、何をブツブツ言っている」
「ふざけんなよ、何が助けろだ」
良くも悪くも平凡な人生を送って来た。人並みに迷って、苦しんで、普通に生きてきた。期待に応えられないことなんて山のようにあったし、俺自身この世全ての人間に誇れるような生き方をしてきたかと言われればそうじゃない。やりたいことだって結局わからなかった。
ただ日々をマニュアルに従って生きている、つまらなくて冴えない、誰と比べても取り柄のない飲食店員。俺の人生を表すならそんなところで、誇りだと胸を張れるかと言われたら全然そんなことなくて。
けれど
「子供がさぁ、溺れてたんだよ」
「……いきなり何だ」
「店によく来る悪ガキで、ガラスに手形は付けるし何度注意しても店員にぶつかるやつで。でも俺が描いてるお子様ランチの旗、毎回すげー笑顔で持って帰るんだ」
いつも通り店を出たあのガキが転んで、お子様ランチの旗が飛んでいって、雨で増水した川に落ちた。旗ぐらい言えば何本だってやるのに、あいつは親の手を押しのけて飛び込んで、それを見た瞬間、俺の足は勝手に動いていた。
それが最初で最期の、俺が初めて「やりたい」と思ったことだった。
「馬鹿だよな。他のやつに任せればよかったんだ。溺れてる人間を助けるなんて素人がやっていいことじゃない」
平凡な人生を送って来た。自慢できるような人生でもないが、それでもこんな仕打ちをうけるほどのこともしなかったつもりだ。子供を助けたのだって、死ぬとは思っていなかったが後悔はしていない。
けれど、やりたいことをやった結末が今のこの状況なのだとしたら。
「やらなきゃよかったのかなぁ……」
我ながらか細い声が弱音となって溢れた。
らしくもなく、行動を起こした。その結果がこれだ。子供を押し上げたまではいいが、俺は間抜けにも水に足を取られ、簡単に死んでこの様だ。神に性別も常識も何もかも違う中に放り込まれて、しかも死は目前で具体的な回避方法もわからない。
それならきっと、俺はやるべきじゃなかった。つまらない人間らしく、マニュアルに従う日々に戻ればよかった。きっと俺がやらなくても誰かが子供を助けただろうし、妙なやる気を出して、手を出すべきじゃなかったのだ。
考えるほどに突き付けられる事実が妙に悔しくて、俺は膝を抱えた状態で鼻をすする。気づいてしまったからか、ここにきて張りつめていたものがぷっつり切れてしまったらしい。
元の俺であればみっともないが、今の俺は美少女なのだ。きっと鼻水を垂らしていようと顔面ぐしゃぐしゃだろうと、見苦しくは見えないだろう。人前で泣いても眉を顰められないというのは、顔が良い人間の特権だ。
「……」
「なんだよ。いつもみたいに黙れって言えばいいだろ」
ケモミミ男がこっちをジッと見ていることに気づいて、つい投げやりな声が出る。死が間際に近づいているのがわかったからか、色々とどうでもいい気分だった。この男が怒り狂って殴りかかってくればいいとさえ思った。
「……子供は」
「……?」
「子供は、助かったのか」
「……多分、助かったけど?」
「助かったことで、お前は後悔しているのか」
「……してないよ。助けたかったんだから」
しかしケモミミ男の反応は予想を反して理性的だった。ぽつぽつと呟くように問いかけてくる男に返事をすれば、奴は「そうか」と頷く。少し前まで話の全体も聞かなかったくせに。妙な空気が漂う。
「なら、誇れ」
「……は?」
「命を救うということは、やって出来ることではない。どう手を尽くそうと死ぬ時は死ぬ。だが、お前はそれをやり遂げたんだろう」
「……でも、他の奴ならもっとうまくできた」
「他の誰かが子供に手を伸ばす可能性があったとしてもだ。お前がしたことは変わらない」
ケモミミ男は最大コミュニケーション時間をどんどん更新していった。俺に対しては「黙れ」と「話せ」しかレパートリーがないかと思いきや、男はすらすらと言葉を並べていく。
肩越しに見えていた顔は、いつの間にか俺を真正面にとらえていた。
「誰かがやらなければならないことだった。それを率先してやり遂げた己を誇れ」
まっすぐな目だった。まっすぐな声だった。俺に向けられた全てが、その言葉に嘘偽りがないことを叫んでいる。俺がぽかんとした顔でそれを見上げれば、ケモミミ男は言うべきこと終わりだと檻に背を向け定位置へと戻った。
「……ひょっとして、慰めてる?」
「オレは言うべきことを言ったまでだ」
俺の素直な感想に尖った声の返事は数秒で飛んできて、奴の尻尾がばふんと土煙を上げた。勘違いするなとでも言いたげな態度に思わず吹き出しかけ、俺は慌てて手で口を塞ぐ。黒い目でギロリと睨まれたが、正直、もう怖くはなかった。
「……言っておくが何をしたとして、お前が怪しいという事実は変わらないからな」
「あー、はいはい。わかってますよ」
凄みのある声に風船より軽い返事をしてから、俺は少し伸びをした。縮こまっていると考えまで狭まっていけない。
何も数秒後に死ぬと決まった訳じゃない。力は抜けやすいが意識はあるし、動くことだってできる。信仰のあれこれは何もわかっていないが、それでもこれから調べていけばいい。結末はこれからの行動でいくらでも変えられる。
この男も、どうやらそこまで怖い奴ではないようだし。
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