二杯目 出会い

 陽太と出会ったのは、六年前の春だった。

 私は大学を卒業した後、医療機器メーカーの会社に就職した。

 新入社員研修で、隣の席に座った男性が、陽太だった。

 新入社員研修では、社会人のマナーについては勿論、特殊な場面で扱われる機器であるため、人体の基礎についての研修も多数あった。

 自分にとっては未知の内容で、学生気分も完全に抜け切れていなかった私は、一日目で、既に折れてしまいそうだった。

 その日の研修が終わり、会社を出てすぐ。

「あの、すみません――」

 後ろから、声を掛けられた。振り向くと、隣の席に居た、陽太だった。

「お疲れ様です、すみません、呼び止めて」

 と、陽太は話し始めた。

「あ、お疲れ様です。はい、大丈夫ですが、何でしょうか…」

 返答しながら、私に向けて伸ばしかけている陽太の右手に目をやると、スマホを持っていた。

「良かった、間に合って…」

 陽太はそう言って、スマホを持った右手を、今度は完全に私のほうに差し出した。

 あ、私のスマホ。気付くと、陽太は僅かに息が上がっていた。

「あ…ありがとうございます!すみません」

 いつの間に落ちたのかな…。そう考えながら、私は、スマホを受け取りつつ、頭を下げた。

「いえ、全然――それより…研修、疲れましたね」

 そう言って、陽太は少し笑った。

「本当、疲れましたね」

 私も少し笑って、答えた。

 そこから、駅までの道を一緒に歩いたが、駅に着いてからは、乗る電車も同じだとわかり、どちらからともなく、お互いの、他愛もない話が始まった。

 何故だか、話が止まらなかった。今乗っている電車が、帰宅ラッシュだという事も苦にならない程。

 勿論、周りの迷惑にならないよう、声のトーンなどにも配慮していたが、それでも、終始会話の止まらなかった私達は、おおよそ、迷惑な乗客だったかもしれない。

 お互いに驚いた事は、同郷であったことだった。

「こんな、ドラマみたいな事って、あるんですね」

 ……思っても口にできなかった私と、口にした陽太と。

 一瞬、間があった後、陽太と私は笑い合った。


 陽太は知らないだろうけれど、この時、私が本当に驚いていた事は、高校も大学も女子だけの、異性と関わることの少なかった私が、自分の降りる駅が近付く頃には、もっと、陽太と話していたい、と思った事だったんだよ――――

 

「スマホ、本当にありがとうございました。じゃあ、また明日」

 そう言いながら私は、研修資料などがぎっしりと詰まった重いバッグ全体を抱え、電車内の乗客の隙間を潜る準備をしつつも、陽太の顔を見上げた。


「うん、また明日。帰り道、気をつけて」

 

 そう返してくれた時の陽太の、人懐こそうな、優しい笑顔が、社会人一日目で既に折れかけていた心に、温かく、沁み込んでいった。

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