時々記憶をなくす精神病のOL

emimama

第1話記憶をなくす前の幼少期から大学卒業まで

私は小さい時からネグレクトにあっていた。


 小学校に上がる前からお前はわがままだと言われ続け、欲しいものなどを買い与えてくれない母に育てられていた。


 幼少期は何を食べても吐き戻す自家中毒を起こしていた。


 そんな時でも母は「わがままな子がなる病気なんだってよ。」と吐き捨てるように言ったものだ。


 小学生になるころには、母には何も期待しなくなっていた。何かというとつっかかり親子喧嘩が絶えなかったのだ。


 私には弟がいるが、母は優秀な弟には甘かった。


 私は差別されていると感じたりはしなかったが、周りはみんな態度が違うことに気づいていた。


 思えば今の病気の発端は小さいころからのストレスだったのだろう。


 祖父が同じ統合失調症という病気で亡くなっていて、遺伝もあったのだと思う。


 中学に入るころには髪は自分で切り、お小遣いもほとんどもらっていなかった。


 弟は床屋に行っていたので、不公平なことだと思う。


 勉強は出来たので、学校では優等生だったが、弟が出来るので家では劣等生として差別されていた。




 高校に入るとお小遣いはもらえなくなり、バイトをするようになった。


 そのため帰りが遅いことをいつも怒られていた。


 部活にも入れず、学校が終わるとすぐバイトに行った。


 その頃には、親子喧嘩をすると「家を出ていけ」と言われるようになっていた。


 父は単身赴任で地方へ行き、金銭的にも苦しい時期だったと思う。




 こうして大学に入る前から病気の下地は出来ていた。


 私は一部の記憶が消えるという症状を発症するようになったのだ。


 大学に入ると、弟は私立の進学校に入り父が単身赴任するなどますます家計が苦しくなっていった。


 私は相変わらずバイトをしていたが、家にお金を入れないためかなり怒られていた。


 それでも、父が家計が苦しいことを子供に言うのは良くないと止めていたため、私はそのことに気づかずにいた。




 バイトから帰ると、母は玄関で仁王立ちしており、私をしかりつけた。


 帰りが遅いことを怒っているのだ。


 私はお小遣いをくれないのだから仕方ないだろうと思って反抗を続けた。




 大学での勉強はとても楽しいものだった。


 特に臨床心理学は私はとても興味を持った。


 それというのも、自家中毒が子供の精神病だということを知ったからである。


 主に母親の存在が原因とのことだった。


 わがままな子がなる病気ではないと知った私は心の霧が晴れて行った。


 それでも、バイトの帰りが遅いことで「家を出ろ」と母から迫られて、大学を中退して一人暮らしするかを悩んでいた。




 大学生活自体は勉強が楽しかったのでやめたくなかった。


 しかし、何かというと家を出て行けと言われることにも疲れていた。


 大学の教授に相談したところ、「君のような優秀な学生が中退などとんでもない。もし親御さんが納得しないなら私が間に入ろう。」と言ってくれた。


教授のお世話にはならないまま、何とか歯を食いしばって大学を卒業した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る