第3章 追放魔女と使い魔王、孤児院に泊まる

3-1 ドロシー、ご馳走にありつく



「見えたわ! あれが私たちのもう一つの故郷、ピメの村と【菫園】よ」


 リキノト方面に続くヒトト山道を下って、丸一日。


 天高く輝く太陽が照らし出すのは小さな山村である。


 ドロシーが昔住んでいた、【薔薇園】のあった寒村によく似た風景がそこに広がっていた。


 孤児院と思しき大きめの館。その周辺には、美しい菫が咲き誇る花畑がある。


 他にも細々と農業を営んでいるのだろう。緑豊富な畑が、村に繋がる道の脇に続いていた。


 畑仕事に精を出す人の姿も見えたし、村を走り回る子供の姿も見えた。

 活気がある村だった。


 近くにリキノトという大都市があるからだろうか。


 ヒトト山に意気揚々と入山してから五日ほど。やっとたどり着いた人里に喜びたいのは山々だったが。


「……良かった、食料ほとんど底尽きてたし……はあ」


「主よ、あと少しだ」


 エトアルの声も遠くに感じる。


「すみません、体力なくて」


 精霊樹ミスティルテインから切り出した魔法の杖を、ドロシーは我が身を支えるために使っていた。


 足に砂が溜まっているみたいに重い。


 ずりずりと足を引きずるようにして進むドロシーとは対照的に、二人の聖者はお供の聖獣を引き連れて涼しげな顔をしている。


 ここしばらく道を共にして、気付いたのが聖者二人の異常な体力だった。


 一年をかけて王国中を回る巡礼の旅を成し遂げ、神皇国にまでたどり着いた聖者である。


 並大抵の体力と精神力を持っているはずがないのである。


「ゆっくりでも大丈夫よ。ピメの村は逃げないから」



 ☆ ★ ☆ ★ ☆



「はひ、……やっと休め……られないみたいですね」


 ひいひいと疲労困憊な体に鞭を打って、やっとピメの村に着いたのだったが。


 ドロシーはすぐには休めないようだ。


「エミリー! セドリック! 無事帰ってきたんだね」


「遠くからでも分かったよ。アンタたちがこっちに向かってきてるの」


 村の入り口に足を踏み入れると、村の大人たちが聖者二人を待っていましたと言わんばかりに取り囲んだ。


 農作業に従事していたであろう、麦わら帽子を被った人々だ。


「皆! 二人が帰ってきたよ! 冠と聖獣を連れて!」


 その内の誰かが、そう声を張ったが最後、わらわらと村の方々から人が集まり始めた。


 そうして、完全なる包囲網が完成する。


「皆さん、お久しぶりです。エミリー・バイオレットと、セドリック・バイオレットが戻りました」


 エミリーの帰郷の言葉に、感嘆の声を上げる大人たち。


 そんな彼らを押しのけて、一人の翁が一歩前に出る。


 皺だらけの手をエミリーとセドリックに伸ばし「おお」と震える声で唸る。


「エミリー、セドリック。その冠と風の噂で聞いておったが、無事聖者になれたんじゃなぁ……。こんなに立派になって……聖獣を従える姿を、目の黒いうちに見ることが出来るとは、感激じゃ」


「ロン爺さん、もう泣かないでくれ」


 嗄れた声で嗚咽を漏らす翁に対し、セドリックは困った様子で後頭部を掻いた。彼に呼応するように、背後に佇むガラス細工の巨人が歪に鳴いた。


 農夫の一人が訊ねる。


「この赤毛のお方は?」


「私たちの護衛を務める魔女、ドロシーよ」


「あ、ど、どうも……よろしくお願いします」


 視線の雨に打たれてドロシーは蜂の巣だ。

 あまり注目されるのは好きではない。それも多数の人間からであればなおさら。


 それは魔王エトアルも同じらしく、彼はたまらないと言った様子で近場の樹木の枝へと逃避した。


(エトアルさん、逃げたな)


 ドロシーも鳥に変身できる術があれば、鳥となって逃避したかった。


 だが、出来ないので、人々の好奇の視線に晒されることに甘んじる。


「こんな小さな子が二人の護衛を? まだ子供じゃないか」


「ああ、ドロシーは見た目こそ小柄だが、道中、幾度と俺たちを救ってくれた。恥ずかしながら、野盗に襲われ、食料と皆の心付けも失ってしまったが、こうしてここに戻れたのも、全ては彼女のおかげだ」


「まあ、大変。なんて罰当たりな人なの?」


「セドリックの法衣に穴が開いているのもそのせいか?」


「二人を救ってくれてありがとう、魔女さん」


「魔女さん、ありがとな」


 セドリックが一つ答えれば、彼らの声はその何倍になって増えた。


 生真面目そうな顔に苦笑を浮かべて、セドリックは言った。


「皆と話をしたいのは山々だが……俺たちは長旅で疲れている。魔女ドロシーには、俺たちと同じ待遇でのもてなしをたのむ。彼女は俺たちの救い主だ」


「では、皆様【菫園】においでなさいな」


「マザー・バイオレット!」


 二人の聖者の声が重なる。

 同時に、集まっていた人の海がさあっと二つに割れた。


 出来上がった道を進むのは、恰幅の良い老婆である。


 髪は色あせ、白くくすみ、老いている。彼女が身に纏うのは、聖者たちと同じ菫色の法衣である。


「おかえりなさいね、私の可愛い子供たち」


「マザー・バイオレットはお変わりない?」


「もちろんですよ。ヒトア様のご加護のおかげで無病息災。八〇になっても元気にやっていますよ」


 ほっほっほ、と上品に笑うマザー・バイオレット。


 その呼び名の通り、彼女は孤児院をとりまとめる寮母で間違いないだろう。


 マザー・ローズと違って、彼女のドロシーを見る目は慈愛に満ちている。


 だが、正直なところ彼らの世話になるのは気が引ける。


 ドロシーの悪夢の一四年が甦るのだ。


「え、エミリー、わたしは別に、泊まる場所があればそれで……無理に孤児院に行かなくても」


 それから枝に留まるエトアルの方をちろりと見やり「エトアルさんは魔獣だから」と続けた。


「教会の結界はほら、あんまり体に良くないかなって……」


 どこの教会にも大なり小なりの魔獣除けの結界は張られているものだ。有事の際には教会と、その近辺は強力な防衛拠点にもなる。


 もちろん、教会側の孤児院にも施されているはずだ。


 魔法学校に施されている結界魔法とは異なり、法力による結界はあらゆる魔を拒む性質がある。


 その中に魔力の塊であるエトアルを連れ込むとどうなるか。


 魔石の魔力に苦しむ聖獣ユニコーンほどではないにしろ、エトアルの体に負荷がかかるのは間違いない。


「主よ、我のことであれば気にするな。仮に、ここに滞在するとなっても、数日程度であろう?」


「でも、いいの?」


「我は魔王。夜を統べる王である。この程度の法力で音を上げる軟弱な魔族ではない」


 そう言って、彼は飛び立つと、ドロシーの三角帽子の上に足を下ろした。


「夜鷹はなんと言ったの?」


「えっと、ちょっとくらいなら大丈夫って」


「まあ! ありがとう、エトアル。ドロシーをもてなすには、あそこじゃないと駄目だって思っていたの。私たちの大切な思い出の場所でもあるから」


 エミリーがドロシーの頭に止まる夜鷹に満面の笑みを向ける。


 恥ずかしいのか、偶然なのか、エトアルはそっぽを向いた。


「さ、行きましょう聖者さま方。今晩はご馳走ですよ。腕を振るって準備しますよ」



 ☆ ★ ☆ ★ ☆



「これが祝いの席の料理か?」


「し、エトアルさん、静かに」


 エトアルの面前に置かれた皿の上。そこには乾燥した豆が盛られていた。


 ドロシーの皿には黒パンにスープに、ミルク、燻製肉。それから彩りに畑で取れたばかりと思わしき瑞々しい葉物野菜のサラダ。


 貴族が愉しむような食卓ではないことは確かであるが、魔法学校時代の食事もこのようなものだった。十分な馳走と言える。


 ここ数日の保存食を切り詰めた食事を考えたら、とんでもないご馳走だ。


 ドロシーは魔王を咎める口調で耳打ちする。


「……聞こえちゃったらどうするんですか。これはご厚意なんですよ」


「安心しろ。夜鷹である我の声は、主にしか聞こえぬ」


 そう言って、エトアルは豆をついばんだ。まだ食前の祈りの前だというのに、肝が据わっている。流石は魔王といったところか。


 ドロシーは愛想笑いを浮かべて、食卓に着く皆を見た。


 孤児院【菫園】の食堂に集まったのは、マザー・バイオレットを初めとした【菫園】の聖職者が数名と、この孤児院で生活を送る子供たちが一五名ほど。


 それから、今回の祝いの席の主賓である聖者二人と、おまけの魔女と使い魔王の二人である。


 すでに役者は揃っていて、あとはこの場においてもっとも階位の高い聖職者の祈りの言葉が始まるのを待つだけだった。


 どちらが祈りの言葉を捧げるか。エミリーとセドリック、二人の聖者は相談しているようだった。


 その相談時間も僅かなもので。


「それでは、聖女ヒトア様と偉大なる主神、そして今日の糧となったすべてのものに感謝の祈りを捧げましょう」


 エミリーがそう口にした時、ざ、っと食卓に着く全ての人間が手を合わせた。それから静かに瞼を下ろす。


 ヒトア教が伝える正式な祈りの姿である。


 ドロシーもポーズだけは真似をした。

 郷に入っては郷に従えとはどこの地方の言葉であったか。


 ヒトア教の懐で世話になっているのだから、ヒトア教の教義に合わせるのが大人というものだ。


 エミリーが祈りの言葉を神と聖女ヒトアに捧げ終えると、お待ちかねの食事タイムである。


「……それでは、今日の糧に感謝の言葉を」


 それが祈りの言葉の終わりであることは、孤児院時代でよくよく理解していたので。


 誰よりも早く瞼を上げると、ドロシーは配膳されたカトラリー類を掴み、真っ先に燻製肉にフォークを突き刺した。


 それが祈りの時間に訪れた静寂を破る合図となった。


 先ほどまで充満していた窒息しそうなほどの静けさは、子供たちの声によって打ち破られ、神聖な食卓はあっという間に歓談の席へと変貌する。


「ねえねえ! 教皇様にお会い出来たんだよね? どんな人だった?」


「ねえ、聖獣ってどんな風に操ってるの?」


「旅はどんな感じだった? 楽しかった?」


「ユニコーンのお背中に乗せて貰う事って出来るの?」


「神皇国ってどんなところ? リキノトの【菫大教会】よりも大きい教会があるってホント?」


 ねえねえ。ねえねえ。ねえねえ。


 子供たちが本日の主役である聖者たちに質問の嵐を投げかけていく。


 そんな言葉の豪雨を受けながら、聖者二人は質問に答えてあげている。


 ドロシーのことなど皆眼中にないようだった。

 それは好都合だと言わんばかりに、ドロシーは黙々とナイフとフォークを進めていった。


 料理は温かい内に食べるのが一番だ。


 孤児院時代では中々出来たての料理を食べるということが出来なかったせいか、ドロシーは食に関して言うと貪欲だった。


「二人は人気者ですね」


「そのようだ」


 自分に配膳された皿の中身がすっかり空になったところで、ドロシーは呟いた。


 聖者、しかも自分たちと同じ孤児院出身となれば、この人気も仕方ないだろうか。


 自分たちもいつかは、と夢見る子供たちの双眸は星のように輝いている。


「だが、主よ」


「……分かってますよ」


 カップの中の水に口を付けながら、ドロシーはそっと答えた。


 この食卓に集まった時から、ドロシーだけを見つめる者がいた。その肌を焼くような痛い視線の存在に、ドロシーが気付かないはずがない。


 赤毛のドロシーはいつだってその類いの視線に晒されてきたのだから。


 すぐに気が付く。その視線に悪意があるかどうかも。


「しかし、なにゆえあの小僧は主を睨んでいるのであろうな?」


 エトアルが豆の最後の一粒をついばむと、首を傾げた。


「……同じ赤毛だというのにな」


 楽しげな雰囲気の食卓の中で、一人ドロシーを睨む子供。


 年の頃合いは一〇歳ほどだろうか。帝国系の血の流れを汲んだ赤い髪を自分で切ったのか髪の長さはまちまち。地肌が見えているところもある。


(目を合わせると面倒なことになりそう……)


 ドロシーは努めて彼と目を合わせることはしなかった。


 カップの中の水を飲み干して、質問攻めにされて食事が中々進まない聖者たちをじっと見る。


「ドロシーさん、お食事はお済み? お水はいかがかしら?」


 ずっと自身の席でニコニコと笑みを絶やさず歓談の姿を眺めていたマザー・バイオレットが、いつの間にやら水差しを片手にドロシーの脇にやって来ていた。


 ドロシーは全く彼女の気配に気づけなかった。


「え? あ、え? あ、はい。とても美味しかったです。お水、少しだけください」


「はいはい、注ぎますよ」


 こぽこぽと空になったカップに水を注いで、マザー・バイオレットはそっとドロシーに囁いた。


「ごめんなさいね。少し、心証が悪くなったかしら?」


「えと……?」


「あの子には、ちょっと事情があって。ドロシーさんのことが気になるみたいなの。不躾に見られて、気分が悪くなったかと思いまして」


「い、いえ、大丈夫です。大丈夫ですよ。はい。慣れてますし」


「それなら良かったわ」


 どうやらマザー・バイオレットはあの赤毛の少年がドロシーを睨み付けていることに気が付いていたようだ。


 ドロシーの気分が害されていないか、気になったのだろう。


 なんとも気配りの出来る人だ。


 彼女が【薔薇園】に派遣されていたとしたら、ドロシーはもう少しまともな幼少期を過ごせただろうに。


「お食事が済んだのであれば、一度お部屋に戻ってお休みになってはいかが? お風呂の準備が終わったら、またご案内しますよ」


「お、おふろっ」


 マザー・バイオレットの言葉にドロシーは歓喜した。


 お風呂に入ることが出来る!


 旅を始めてかれこれ一週間以上経つが、その間、ドロシーが風呂に入った回数はゼロ。


 ヒトト山の清流で顔を洗ったり、濡らした布で体を拭いたりはしたが、暖かい湯船に浸かったことは一度としてない。


「ふふ、ゆっくり暖まって、旅の汚れをすっかり落としてくださいね。寝間着も園のものをお使いなさってくださいな。お召し物も、こちらで綺麗にして差し上げますよ」


 マザー・バイオレットの申し出に、ドロシーの意識はすっかりお風呂に向いていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る