第40話 炎竜と氷竜


 ラシュリが氷竜を召還したのは、明け方のことだった。

 その風格から氷王ひょうおうと名付けた〈氷雪の飛竜〉の背に乗り、ラシュリは粉雪の舞う北の空を飛んでいた。


 炎竜を追うという共通の目的を持つ両者ではあったが、炎竜の居場所を感知するのも、その場所へ向かって飛ぶのも、すべては氷竜の持つ力であって、ラシュリは自分が何処へ運ばれているのか知る由もなかった。

 もちろん、体力を温存しながらも、ラシュリは周りの様子をくまなく観察していたから、おおよその現在地は認識していたし、氷竜の向かう先に目を凝らすことも忘れなかった。


「氷王! 右手前方に炎が!」


 遠くの空に炎が上がったのを、ラシュリは見逃さなかった。


 ――――間違いない。炎竜だ。苦しんでいる……。


 怒りのこもった氷竜の心話こえが流れ込んで来ると同時に、氷竜はグンとスピードを上げた。

 北山脈から離れるとすぐ、前方に飛竜の群れが見えた。

 狂ったように火を吐く炎竜。その周りでは、貴竜種エウレンとおぼしき色とりどりの飛竜たちが逃げ惑っている。どうやら、炎竜が周りの飛竜を攻撃しているようだ。


(……イェグレム)


 炎を吐き続ける炎竜の背には、イェグレムらしき男の姿があった。

 周りを見る余裕もなく、ただ身を伏せて炎竜の首に抱きついているイェグレムの姿を見て、ラシュリはグッと眉根を寄せた。

 彼がなだめているからなのか、炎竜が炎を吐いたにしては被害が少ない。炎に焼かれて雪原に落ちた飛竜は何頭か見えたが、どこも焼け野原にはなっていない。

 そのことに安堵はしたものの、イェグレムの心の内を思うと胸が痛かった。


 ――――あの男は、炎竜をなだめている。

    だが、あの男の声は炎竜に届いてはいない。


「そんな……」


 ラシュリは唇を噛みしめ、今はまだ遠いイェグレムの姿を見つめた。

 炎竜は、イェグレムを乗せたまま逃げ惑う飛竜に向かって火を吐いている。

 その炎は、町を焼くほど強くはないものの、怒り狂ったその姿は火の神さながらの偉容を放っている。

 ラシュリは炎竜の姿に圧倒された。

 近づけば近づくほど、震えるような畏怖の念が湧き上がってくる。


 古来より、人は飛竜のことを【霊獣】もしくは【神の御使い】と呼んでいた。

 神代にまで遡れば、飛竜は人であった。沈みゆく島に取り残された人々を、天の神が飛竜の姿に変えて助けたのだ。

 それから天界の住人となった飛竜は、かつて兄弟だった人を助けるために天から使わされる存在となった――――そう神殿で教えられた。


(だが……これは、普通の飛竜テュールではない……)


 神の御使いではなく、ではないのか――――そんな思いが、ラシュリの中を駆け巡る。

 思えば、氷竜を初めて見たときもそうだった。その偉容に圧倒され、名を与えることに躊躇した。だからこそ、畏敬の念を込めて「氷王」と呼んだのだ。


「炎竜は、正気に戻りますか?」


 ――――おそらく、戻らぬであろう。闇が炎竜の魂を蝕みはじめている。

    見ろ。炎竜の体を。本来の色である赤色が消えてしまっているだろう?


 氷竜の言うとおりだった。

 昨日、初めて炎竜とまみえた時は、赤と黒の斑模様のようだった炎竜の体が、今はほぼ黒色になってしまっている。


 ――――このままでは、炎竜は闇に墜ちる。それだけは防がねばならぬ。

    それが我の存在する意味なのだからな。

    我らはついであり、互いを監視する者でもあるのだ。


 氷竜の心話が聞こえてすぐ、ラシュリの周りに氷雪が渦巻いた。彼が戦闘態勢に入ったことを、ラシュリは即座に理解した。


ついであり、互いを監視する者ならば……氷王にも、炎竜の炎に匹敵する力があるということか)


 ラシュリは咄嗟に、イェグレムに視線を向けた。彼は身じろぎひとつせずに炎竜の首にしがみついている。

 このまま炎竜と氷竜の戦いが始まったら――――神のごとき力を持つ飛竜同士の戦いには巻き込まれてしまえば、か弱き人の子に為す術はない。


 ラシュリの心にはもう、イェグレムを疑う気持ちは微塵もなかった。

 今思えば、炎竜に乗って国境の砦に現れた時のイェグレムは、まるで別人だった。狂気を孕んだ恐ろしい目に違和感を覚えてもいた。

 その感覚が正しいと教えてくれたのは、今は亡き愛竜カァルだった。


 イェグレムの体の中にはもう一人の魔導師がいる。その魔導師こそが炎竜に呪いをかけ、イェグレムはその魔導師と争っていたのだ。

 イリスの大地を焼いたのは炎竜でもイェグレムでもない。その魔導師だ。


「氷王! イェグレムを……彼を、助けられませんか? あなたが呼びかければ、もしかしたら炎竜も――――」


 ラシュリは懇願したが、氷竜の反応は冷ややかだった。


 ――――あそこまで呪いに犯されてしまえば、もはや回復は難しい。


「やってみなければ、わからないではありませんか! あなたは、最初から諦めて……炎竜を……」


 ――――もう何度も呼びかけてみた! だが、炎竜に我の声は届かない!


 ビーンと轟くような心話こえには、氷竜の無念さがにじみ出ていた。だが、ラシュリは自分の気持ちを静めるのに精一杯で、氷竜の気持ちを慮る余裕はなかった。


「そんな……」


 気がつけば、炎竜の周りには、もはや生きている飛竜はいなかった。すべて炎にまかれ落ちていったのだ。

 猛り狂った炎竜が、氷竜の存在に気づけば、いつ攻撃されてもおかしくはない。


 ――――巫戦士よ。それほどあの男を助けたいか? 

    ならば、一度だけ機会をやろう。

    旋回しながら炎竜のすぐ上を飛ぶ。引き上げられるかやってみろ。


「はっ、はい!」


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