第37話 ひとつの絆
雪まじりの北風が、ビュービューと哀しい音をたてている。
炎竜の背に乗り、行く当てもなく夜空を彷徨うイェグレムの耳には、それが、自分を恨んで追いすがる亡者の悲痛な声のように聞こえてならなかった。
緑豊かなイリス王国を、瞬く間に焼け野原にしてしまった。その衝撃で、イェグレムはその後のことをあまり覚えていなかった。ただひたすら、荒れ狂う炎竜をなだめ、北の氷壁と呼ばれる山脈へ向かって飛んだこと。それだけは微かに覚えていたが、自分が今どこに居るのかまるでわからなかった。
何処とも知れぬ空の下で、イェグレムの胸に去来するのは、慚愧の念だけだった。
あの時は、自分の犯してしまった罪の恐ろしさを直視できず、イェグレムは炎に包まれる町や村から必死に目をそらし、ただ遠くへ逃げた。
これ以上の被害を出さないために、必死で炎竜をなだめて北へ向かわせたが、それすらもただの逃げだったのかも知れない。
日が落ちて、雪を被った木々が凍りつく夜が来ても、イェグレムは構わず飛び続けた。このまま凍りつき、自分の命が失われても構わない。それだけのことを、自分はしてしまったのだから――――。
すべてはジュビア王と、イェグレムの師である老魔導師が立てた策のせいだ――――が、自分も同罪だ。
老魔導師の呪いから逃れようともがき、耐えきれずに炎を吐き出してしまった炎竜はむしろ被害者だろう。
むろん、劫火に焼かれ、一瞬にして命を失ったイリス王国の無辜の民こそ、最大の被害者だ。彼らの無念さを思えば、自分に非がないなどとはとても言えない。
イリス王国は、イェグレムの故郷だ。
彼が育った神殿の孤児院は、けして優しい場所ではなかったけれど、それでも、楽しい思い出がなかった訳ではない。
その故郷を、イェグレムは破壊してしまった。
そんなつもりはなかった。これは事故なのだと必死に言い訳をしたところで、到底聞き入れてはもらえないだろう。それほどの重い罪を自分は犯してしまったのだ。
(こんな事になる前に……老師から離れていれば…………)
何度もその機会はあった。
老魔導師に対する疑惑は常にイェグレムの中にあったのだから。
それなのに、気がつけばいつも、王都の、あの老魔導師の部屋に戻っていた。まるで、見えない縄に引き寄せられているかのように。
グルルルル――――
炎竜が苦しげな咆哮を上げた。
イリスの国土を焼き尽くした後も、炎竜はずっと何かと戦っている。炎竜の中にある呪いに屈した部分と、そうでない部分が、今もまだ、せめぎ合っているのだろう。
炎竜を召還する前、イェグレムは老魔導師に体を乗っ取られ、一時は意識だけの儚い存在になった。必死に抵抗したおかげで今は自分の体を取り戻すことが出来たけれど、炎竜が、いま何に苦しんでいるのか、イェグレムにはわかる気がした。
(老師が魔道をかけると、
炎竜が己を保っていられることは奇跡としか思えなかった。
もしも呪いに屈していれば、今頃レラン王国の国境の砦は跡形もなく破壊されていただろう。それだけではない。レラン王国を皮切りに、大陸中の国々を破壊し、ジュビア王国が覇権を握っていたかもしれない。
すべては炎竜が内なる己と戦っているおかげだが、それでも、いつ炎竜が闇に飲まれてしまうかわからない。綱渡りのような状態なのだ。
ただ、苦しむ炎竜の姿を見続けるのは、胸が痛かった。
(炎竜……おまえ、そろそろ楽になりたくないか? 生きてたって、俺もおまえも、悪魔か死神だと世界中から非難されるだけだろ?)
一晩中、雪の山中を飛んだせいで、イェグレムの体は憔悴しきっていた。
まるで自分に言い聞かせるように炎竜に呼びかけながら、イェグレムは服の中に手を差し入れた。何処かにあるはずの〈炎の竜目石〉を探したが、どういう訳か見つからなかった。
普通、契約した飛竜の竜目石は、肌身離さず持ち歩くものだ。それなのに、何処にもない。
訝しむイェグレムの脳裏に、老師の顔が閃いた。
「くそっ、老師の仕業か! 俺が正気を取り戻すことを恐れて、竜目石を城に置いて来たのか?」
体中から怒りが湧いた。
ほんの数瞬前までは、弱々しく揺れる命の炎を、自らの手で消してしまおうとしていたイェグレムだったが、皮肉にも、老魔導師に対するふつふつとした怒りが、彼の命に新たな火を点けたのだった。
「炎竜、ジュビアの王城へ向かう!」
「ケェェェェ!」
イェグレムの声に呼応するように、炎竜が咆哮を上げ大きく羽ばたいた。
北山脈の上空で東へ転じれば、遠くの空は次第に白くなり始め、濃紺の海に光の道筋が出現するのが微かに見えた。
(海だ……)
イェグレムは驚きに目を瞬いた。
闇雲に飛ぶうちに、いつの間にか国境を越えてジュビア領内に入っていたらしい。
ここから南下すれば、王城はそう遠くはない。
イェグレムが南へ進路を変えて間もなく、前方に竜影が見えた。
こちらに向かって飛んでくる数頭の飛竜。一目で分かる、色とりどりの
(くそっ……俺の動きなど、
見る限り、飛竜の群れの中にイェグレムの師の姿はない。
飛竜に乗れない老体のことだ、安全な場所からこちらを眺めているのだろう。
魔道三家は常に功を競い、筆頭家の地位を争い合う仲だが、いざという時は連携する厄介な魔道士集団でもある。
イェグレムは炎竜を空中で静止させ、魔道三家の飛竜を待ち受けた。
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