第35話 イリスの大地



『ここから先はひとりで行く。おまえは砦に戻ってシシルを安心させてあげて欲しい。今までありがとう――――ラシュリ』


 テーブルに置かれた走り書きを見た瞬間、ソーは「はぁ~?」と大きな声を上げた。


「なーに言っちゃってくれちゃってんの?」

「俺に、ひとりで、砦に、戻れって? 俺が、はいそうですかって、言うと思ってんの?」

「甘いぜラシュリっ!」


 ソーは盛大な独り言をぶつやきながらも、急いで防寒着を身につけた。もちろん、食料を荷物に詰め込むことも忘れない。

 最後に手に取ったリンゴにかじり付きながら、ソーは神殿の扉を蹴り開けて外へ飛び出した。


「リュザール、おまえの感だけが頼りだ! ラシュリを追ってくれ!」


 美しい緑色の飛竜は、ソーを背に乗せた途端に飛び立った。何の躊躇も見せず、迷いなく東へ飛ぶ。これにはさすがのソーも面食らった。


「えええっ、おまえ、ほんとにラシュリの居場所がわかるのか? ってことは、あいつも飛竜テュールに乗って行ったってことか? ああ……そうだよな。飛竜の神殿に居たんだもんな。竜目石のひとつや二つ転がっててもおかしくないよな。と、なると……」


 ソーは空を見上げた。

 すでに夜は明けている。ラシュリがいつ出て行ったのかはわからないが、彼女も飛竜に乗っているのなら、いくらリュザールが速く飛んでも距離を縮めるのは難しい。

 少なくとも、ソーが眠りこけていた時間の分だけラシュリは先に行っている。


「くっそぉ~!」


 己の失態に頭を抱えてうめいた拍子に、リュザールの首と翼の間から大地が見えた。

 昨日、真っ黒に焼き尽くされたはずの大地が――――その中心の、わずかに白っぽく変色している部分が――――サラサラと風に流されている。

 それはまるで、竜導師ギルドの本部があるベルテ共和国の大地砂漠のようだった。


「なんだよこれ……まさか、焼けた土が、砂になってるのか?」


 ソーが戸惑っている間にも風景は流れ去ってゆく。

 東へ行けばゆくほど、黒い大地が白茶けた砂色に侵食されていて、ソーはあまりの衝撃に瞬きするのも忘れてしまった。


 イリス王国は、北国だが緑の美しい国だった。

 ソーの故郷であるモラード王国よりも国土は小さく、農耕に適した土地は少ないが、それでも緑豊かな国だと聞いていた。

 そのイリスの大地が、少しずつ砂漠化している。

 焼けた大地ならばやがては再生するが、このまま砂の大地が広がれば、やがてイリスの国土は砂に飲み込まれてしまうだろう。


(これが……炎竜の呪いなのか?)


 さすがのソーも声が出なかった。

 痺れるような畏怖の念と共に、この事実を知ったときのラシュリの絶望までが頭を過る。

 いっそ、ラシュリには何も知らせず、イリスの上空を通らずにベルテ共和国へ連れ帰ろうかと思案に暮れていたソーの視界が、次の瞬間、黒一色に染まった。


「ケーッ!」


 リュザールが甲高い警戒声を上げた。

 いつの間にかジュビア王国との国境近くまで来ていたのだろう。すでに眼下に広がる景色にも炎の痕跡はない。

 ソーの視界を染める黒い物体は、南へ向かって飛ぶ黒竜の大群だった。ソーは飛竜の数を数えようと目を細めたが、距離が遠くて数えることが出来なかった。

 とにかく、十や二十の群れじゃない。これだけの大群に襲われたら、砦はひとたまりもないだろう。


「シシル……」


 ソーの脳裏に、賢くて少し気弱な年下の友人の顔が浮かんだ。

 飛竜が大好きで、竜導師になりたくて、ギルドの訓練生になったシシルは、荒事が得意じゃない。

 あれだけの大群が国境の砦へ向かえば、黒竜討伐隊がどんなに獅子奮迅の戦いをしたとして――――シシルを守る余裕のある者がいるとは思えない。


 ソーは今すぐにでも砦にとって返しシシルを守りたかった。しかし、それと同じくらい、たった一人で炎竜を追ったラシュリのことが気がかりだった。

 ソーは唇を噛みしめた。

 眉間に深いしわを刻み、断腸の思いで黒竜の大群から目を背けた。


(済まない……頼むから、無事でいてくれ……)

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