50 貴公子のウラの顔

 エリーシャは月光にぼんやりと照らされた横顔を見て確信した。


 眼前で、アナベルを睨みつけているのはライアン・モーヌだ。

 皇帝の弟にあたるモーヌ公爵の長男で、何度かエリーシャが会った少年、レミル・モーヌの兄にあたる人物だった。

 

「――なぁ、アナベル? 君は自分の立場というものがわかっていないようだな」


 びくっと肩を揺らしたアナベルに舌打ちすると、不機嫌そうにテーブルの脚を蹴飛ばした。


 ライアン・モーヌは皇家関係者によくみられる美しい金髪が目を惹く若き貴公子であり、社交界での評判はさほど悪くはなかった。


 ただ、ご令嬢たちの圧倒的な支持を集める【帝国の薔薇】、ユーリスの人気に霞んでしまっている感は否めない。

 何気なく比較対象にユーリスを選出してしまったことに気付き、エリーシャは余計な想像を頭から締め出した。


 しかしながらエリーシャ個人としても、ライアンにあまりいい印象を持っていなかった。

 特にこれといった理由はなく、なんとなく苦手意識を持っていた程度ではある。

 でも単なる直感というわけではないはずだ。様々な舞踏会に参加して様々な人々の話をこっそり横で聞いてきたからこそ、自分でもそれなりにひとを見る目はあると思っていた。


 じゃり、と靴底で砕けた破片を踏みにじりながら、ライアンはアナベルを蔑むような視線を向けた。


「ウィンダミア卿夫人も気の毒だな……利発で賢い、と褒めちぎっていた娘がこんなに使えないとは。さぞ落胆するだろう」


 ぺたん、と力なく座り込んでいたアナベルの瞳にじわりと涙が滲んだ。


「ライアン公子様! どうか、母を……これ以上弄ぶのはおやめくださいっ」


 船室にアナベルの悲痛な声音が響いた。


「なにを馬鹿な。君の母上が勝手に勘違いしただけだろう……いい迷惑だったよ、ただ暇つぶしに遊んだだけなのに、ずうずうしくも言い寄られて金の無心まで。俺はもうソレスタ王国の第三王女との結婚が決まっているというのに」

「そんな……」


 アナベルの母、ウィンダミア卿夫人は派手好き、新しいもの好きの未亡人だ。

 男爵であった夫を亡くしてからは有望な若者――作曲家や画家、俳優、ヴィーダ帝国学院の研究者などを囲って支援するサロンのようなものを主催していた。


 支援者集めのパーティーを開くため、男爵家の財産を食いつぶし、かなり財政状況が悪いらしい、とはその「サロン」に時々招かれていたフォレノワール家の次男、ウィルバーから聞いていた。

 ウィルバーは愛想がいいので、どんなところにもするりと猫のように入り込んでしまう。

 アナベルにはまだ幼い弟がいて、彼が成人して男爵として認められるまでは母親であるウィンダミア卿夫人が財産を管理することになっていた。それもとっくに食いつぶし、借金だらけだ、という噂も兄からの情報だった。


 ライアンは、絶望の表情を浮かべるアナベルにハッと鼻で笑ってみせた。


「あんな年増女、本気で妻に迎えるとでも思っていたのか? だがなアナベル、君を愛妾として囲ってやっても構わないぞ」

「っ……!」


 アナベルの茶色の髪を引っ掴むと、ライアンがぐいと顔を覗き込んだ。


「君みたいな女のつんと澄ました顔を屈辱で歪めてやりたくなるよ。それに……」


 下卑た視線が、鎖骨が見える優美なデコルテをなぞり、さらにその下の胸のふくらみやきゅっと締まった腰までゆっくりと下りていった。


「母親とよく似て良い身体をしているじゃないか――男を誑かし、堕落させる――いやらしい女の血を引いているんだな」

「っ、嫌っ、おやめください!」


 抵抗するアナベルの髪をぱっと放し、床に投げ出されたアナベルを醒めた目で見下ろした。


「いいのか、アナベル? 君は第一皇子暗殺、今回は未遂とはいえ関与したんだ……もし、発覚すれば罪に問われるだろうな」

「それはあなたが、母を使って私に毒の手配をさせて……」

「君は本当に頭が悪いなぁ、どこにそんな証拠がある」


 ライアンは肩を竦め、唇をゆがめた。笑みであるとはわからないほどに、その表情は悪意に満ち溢れていた。


「公爵家嫡男のこの俺と、故ウィンダミア男爵の娘である君――母親は実家から受けた援助や、俺に縋って集めた資金までも湯水のように使って若い男たちの関心を買うために散財して……挙句、借金まみれじゃないか。世間はどちらを信じると思う?」


 唇を噛みしめ、俯くアナベルを見つめながらエリーシャはひたすら願った。



 フォレノワールの地を守る月女神、お願いです。どうか救いをお与えください。



 誰か――誰か助けて。

 わたしの【異能】では彼女を救うことも、此処から逃げて助けを呼びにいくことさえできない。ただ気配を消すことだけしかできないわたしには。


 ――ユーリス様。

 ――ユーリス様……わたしは、どうしたらいいんでしょうか。


 頭に浮かんだひとの名を、心の中でとなえる。

 ずっと長く一緒にいた父やきょうだい、家族ではなく――ほんの数か月のあいだ、サフィルス宮殿で共に過ごした婚約者の顔が頭に浮かんだ。


 そのとき、しゃらり、と手首で黒い腕輪が鳴った。

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