28 サエラの能力

 引きずられるようにして部屋まで案内させられたエリーシャだったが、いつになくサエラは顔色が悪かった。


「サエラ……? もしかして気分が悪い? お水を持ってこようか?」


 少し屈んで目線を合わせると、思い詰めた表情でサエラはエリーシャの手を掴んだ。


「お姉さま、私が差し上げた仮面を見せてください」

「え……ああ、黒い仮面のことだよね。ちょっと待って」


 剣幕に押されてエリーシャは慌てて引き出しの中から取り出した。

 婚約式でつけて、そのあとユーリスに見せて以来片付けたままで存在すら忘れていた。樹脂を固めたような硬質な素材のそれをサエラに渡すと、真剣な表情で仮面をひっくり返したり、爪ではじいたりし始めた。


「……何も変化がない、傷も欠けも無い、ということはあいつは――」

「どうしたの、サエラ」

「お姉さま、この仮面は特別なものなのです」


 サエラが両手で捧げ持つようにして仮面を持った。

 そして、仮面を手にしたまま、ぐしゃりと――まるで二つ折りにでもするように両手を合わせた。

 割れる――エリーシャがそう思ったのも束の間、ふたたびサエラが閉じた手を開けばあったはずの仮面がなかった。


「えっ」


 その代わりにあったのは真っ黒な球体だ。サエラがぐに、とつまむと伸びるし捏ねると縮む、自由自在に手の中でかたちを変える物体に釘付けになった。


「これがサエラの能力、【創造クリエイト】です。まだお父さまにしか話していなかったので、お姉さまは知りませんでしたよね。第二皇子殿下と婚約なさる前、仮面をお渡ししたとき、フォレノワール家に伝わる嫁入り道具――とか適当な由来を言いましたけれど、そんな大したものではなく、サエラが急ごしらえで用意したものです」


 興味を惹かれて、エリーシャが指でつつこうとしたのだが、指先は何も感じなかった。

 確かにそこにあるのに、何もない。触れたのかどうかさえもわからなかった。


「これはサエラが無から作ったものなので、この状態では『何もない』に等しいのです。これに月女神の加護を付与することで、意味のある物体を【創造】することができます」

「わあ……なんだかよくわからないけれど、すごいのね! やっぱりサエラの力はずば抜けてユニークで素敵だわ!」


 エリーシャが手を叩いて喜ぶとサエラは恥ずかしそうに頬を掻いた。褒められたのが嬉しかったらしく得意げに説明してくれる。


「えへへっ♪ ちなみに――この物体にはこっそりと邪気払いの加護を込めてあったので、悪しき心を持つ者がお姉さまのつけた仮面に触れた瞬間、ただちに指が爛れ、腐り落ちる仕掛けが施してありました!」

「ひえ……」


 得意げなサエラの解説に、思わずぞっとしてしまう。

 エリーシャのために【創造】したのだろうが、効能を聞いてしまうと「着けると死を招く呪いの仮面」同然に思えてくる。気のせいかもしれないが愛が重たすぎるような――ユーリスに何もなくてよかった、と胸を撫でおろした。子供のいたずらにしては度を越している。


「さ、サエラ……もうこんな危険な効能を能力で編みだしてはだめよ。この仮面も、ユーリス様がお怪我をされていたら大変なことになっていたじゃない」

「そうは言いますがお姉さまっ、サエラはお姉さまが心配なのですっ! あの胡散臭い第二皇子も信用なりませんし」

 

 むう、としたように頬を膨らませて抗議する姿はまだ幼い子供そのものだった。

 父であるヴィオラが、まだ誰にもサエラの能力開花を伝えていなかった理由がわかる気がした。まだ精神が未熟な状態で強大な「能力」を授かってしまえば、悪用される危険性も高くなる。


「サエラは……サエラはお姉さまが心配なのです。お父さまから、お姉さまが地下室にとじ込められたと聞きました……サエラはこれ以上、お姉さまが危険な目に遭わないようにお守りします! ユーリス殿下よりも立派に、その役目を務めてみせましょう!」

「気持ちはありがたいけど、落ち着いて……心配してくれるのは嬉しいわ、でも、わたしは元気だし、大変だったのはユーリス様の方なの。長い間、寝込んでいらしたくらいで」

「そのようなひ弱な男は姉さまにはふさわしくありませんっ」


「――サエラ、そのくらいにしておきなさい。おまえの大好きな姉さまが困っているだろう?」


 さりげなく姉妹の会話に加わってきたのはヴィオラだった。父の向こうを見遣るとドアが開いている。議論が白熱していたせいでノックの音も聞き逃していたらしい――迂闊だった。めえめえ、と鳴き声を上げながらヴィオラに抱きかかえられたグルルも顔を出す。床に放してやると、一目散にエリーシャのところに突撃してきた。


「ひぃ、グルル! こ、こちらに来ないでくださいっ」

「サエラも相変わらずねえ……グルル、ベッドのところでおとなしくしていてね」


 もふもふの身体でサエラに突進しようとしていたグルルを抱いて、ふかふかのベッドにおいてやると満足げに鼻を鳴らした。

 ほっとサエラが息を吐いたところで「こら」とヴィオラがエリーシャから引き離す。


「お父さま! か弱いお姉さまをお守りできるのはサエラしかいませんっ、やっぱり婚約破棄してお姉さまをフォレノワールに連れ戻しましょう! すぐにでもっ」

「落ち着きなさい……まったく、誰に似たのかなこの子は」


 不満げなサエラの頭を押さえつけながらエリーシャを見つめ「このようすだとサエラから【創造】のことを聞いたんだね」と尋ねた。エリーシャが頷くと、瞑目し、深く息を吐きだした。


「ふう、やれやれ。エリーシャ、それにしてもユーリス殿下はすごいお方だね。君はよく彼の心を射止めたものだ」

「そのようなたいそうなことをしていないのですが……」

「お父さま! ずるいです、そんな掌返しを! お父さまはサエラの味方だと思っていたのに――サフィルス宮殿に行くまでは力を合わせて姉さまを説得しようと意気込んでいたじゃないですかっ」


 サエラ、とヴィオラが静かに名を呼ぶとびくっとして小さな身体をさらに縮めた。部屋から出て待っていなさい、と思いの外強い声で命じられ、サエラは名残惜しそうにエリーシャを見た。

 退室する前に、手にしていた黒い球体を捏ねると、シンプルな黒の鎖のブレスレットを【創造】した。中央部には同じく漆黒の輝きを放つ宝石が埋め込まれている。


「お姉さま。このブレスレットを肌身離さず身に着けてください」

「もしかして、これも危険なものなの?」


 手のひらに置かれたそれをおっかなびっくり輪を左腕に通すと勝手にエリーシャの腕に合わせてサイズが変わった。きつくもなく、外れやすくもなくちょうどいい。


「いいえ。お姉さまを困らせたくはないので……何かあったときに、真っ先に心に浮かんだ相手に向けてメッセージを届けることが出来ます」

「何もないといいけど……大事に使わせてもらうね、ありがとうサエラ」


 名残惜しそうに姉を何度も振り返りながら、そして父親には「べーっ」と生意気な表情で舌を出してからサエラはエリーシャの部屋を後にした。

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