第五章 皇子の後悔
35 捜索
そのことにユーリスが気付いたのは、彼女とのダンスが終わってから随分時間が経ってからのことだった。
帝都で人気の作曲家が作った華やかなダンス曲が数曲続けて演奏されていたが【帝国の薔薇】は以前から親交のある要人の娘ひとりと踊ったきり、誰も誘おうとしない。
ちらちらともの言いたげな視線が向けられていることは感じていたが、ユーリス・モレット第二皇子は黙殺した。
これ以上はなんと言われようが踊る気はない――エリーシャ以外の、誰とも。
「ユーリス殿下、次こそはぜひ私の屋敷にお立ち寄りください。イライザも喜ぶでしょう」
「ありがとうございます、ミレッティ侯爵。折を見てエリーシャと一緒に訪問させていただきます」
「……いえ、出来ましたら殿下おひとりで――婚約者様にいつもまとわりつかれていては、紳士同士の話が出来ませんから」
肯定とも受け取れる微笑を浮かべながらも「誰が行くものか」と腹の中で返答する。
エリーシャを蔑ろにするような付き合いを求める者にろくな奴はいないと知っているからだ。
『貴方だけにお伝えしたい、秘密の話があるのです』
そんな安い言葉を甘美と感じるような世間知らずだと思われているのだとしたら心外である。ミレッティ侯爵の腰ぎんちゃくであるラングトン子爵が、腰低く挨拶しながら壁際にいた娘を引きずり出した。
「そうそう、うちの娘がかねてより殿下とお話がしたいと言っておりまして――テレーズ」
はにかむような表情で挨拶をするラングトン子爵令嬢に適当に相槌を打ちながら、ユーリスは先ほどから姿が見えない婚約者を探し続けている。
無理をするな、とは言い置いたがあのじゃじゃ馬がおとなしく監視だけをしているとは思えない。意味もなく、献身的になるときがあるのだ――感傷的にでもなっているのだろう。
それもユーリスが、うっかり彼女に弱さを見せてしまったせいだ。
あれはひとが良すぎる。
同情を引けばすぐに従う、何もかも投げ出してユーリスに与えようとする。地下室に閉じ込められたときだってそうだった。
自分は下着姿になってまで、凍え切ったユーリスの身体を温めようと服を脱ぎだすような娘だ。いままで、利用されないでいたことが不思議だと思える無垢で純真な子だ。
――愛さずにはいられない、そんな相手がいつかおまえにも出来ると良いですね。
遠い昔に言われた言葉を思い出す。
どうしていま、自分がそんなことを思い出したのか。
理由に気付いていながら、ユーリスはそれを胸の中にある箱に仕舞い込む。どうせこの身体では長く生きられない。いるとも知れない
己に好意的な有力貴族たち、そして彼らの娘たちに囲まれながらも焦りばかりが募っていく。どこだ、どこにいったんだエリーシャは。もういい、いっそすぐに戻って自分の隣で愛想笑いでもしていてくれ。
彼女が自分の目の届くところにいない。ただそれだけのことでこんなにも落ち着かない。
どいつもこいつも、下心が見え見えで――あわよくば、第二皇子の婚約者の座からエリーシャを蹴落とそうと目論んでいるのに。
「ユーリス様」
静かに近づいてきた護衛の耳打ちに眉をかすかに動かし、苛立ちを端正な顔に刻んだ。第二皇子付きの護衛たちはそれだけで不興を買ったことを瞬時に理解した。
「それぐらいのことも出来ないのか、おまえたちは」
主から発せられたひどく冷たい声音に滅多なことでは表情を変えない護衛たちが悲痛な面持ちとなった。
すぐそばにいた貴族たちも第二皇子のようすがおかしいことにすぐ気づき「どうしたのかしら」、「何があったんだ」などと言葉を交わしている。ただ、そんな些末なことを気にする余裕など、いまのユーリスにはなかった。
「で、ですが我々は殿下のお傍でお守りすることが役目でして」
「黙れ」
人目を避けるため失礼、と話しかけたくてうずうずしていた貴族たちに断ってからその場を離れ、廊下に出た。周囲を見張らせるように無言で指示を出す。
護衛から渡されたハンカチを震える手で開いた。包まれていたのは指輪だ。
――君は、僕のものだ。
そう示すようにエリーシャへ贈った、この世にたった一つしか存在しない婚約指輪だった。
「こんなところにいる暇があったら早くエリーシャを探せ。おそらくアナベル・ウィンダミア嬢と一緒だ! もしあの子に何かあれば、わかっているだろうな? ……っ、ごほ」
「殿下!」
「構うな、行け」
鋭い声で指示を出すと血相を変えて護衛たちのほとんどが宮殿に散った。残ったのは常に控えていろと父から命じられている者のみだ。
エリーシャ、何故あの子が。どうして。
いくら己の不甲斐なさを悔いたところで結果は変わらない。
どこかに連れ去られたのか、宮殿内の数多ある部屋のどこかにの閉じ込められたのか。
なにひとつわからない。
手がかりもない。
「……くそっ!」
――なにがあっても、あの子を守ると決めていたのに。
悪態を吐き強く壁を叩いたが、無駄に手がじんと痺れただけだった。
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