19 兄と弟
夕刻、公務を終えたユーリスがサフィルス宮殿に戻って来たのをエリーシャは出迎えたのだが、相変わらず機嫌はよろしくなかった。
そっけない態度に憤慨するメイドたちを宥めているうちに、夕食会用に着替えを終えたユーリスがやってきた。
夜空の色のジャケットに、漆黒のシャツとタイを合わせ、グリーンのブローチを付けている。おそらくエリーシャのドレスに合わせたのだろう。メイドたちは満面の笑みで、ユーリスとエリーシャを送り出した。
ヴェルテット宮殿へと移動するにあたって、歩いてもさほど時間はかからないのだが、馬車が用意されていた。侍従は別の馬車に乗るため、車内は二人きりだ。それでもユーリスはエリーシャに目を向けようともしなかった。
馬車を降りるとき、ようやく目が合った。差し出された手を取って一歩踏み出す。
ヴェルテット宮殿にエリーシャは数えるほどしか立ち入ったことはない。社交界デビューの年に皇帝にご挨拶申し上げたときと、ユーリスに婚約者として紹介されたときだけだ。どちらもエリーシャは周囲に言われるがまま振る舞っただけで、何か皇帝から言葉をかけられたわけでもない。
婚約報告のときも、皇帝は興味なさそうに頷いただけだった。さすがに夕食会なのだから、あたりさわりのない会話ぐらいはあるだろう。宮殿の中に入り、気を引き締めながら大きな肖像画が掛けられた廊下を歩いているときだった。
「ユーリス」
背後から声をかけられ、ユーリスが足を止めた。完璧な笑顔を浮かべた第二皇子に合わせてエリーシャもゆっくりと振り返る。
「――ジェスタ兄上、こんばんは。いい夜ですね、新月で星が綺麗に見える」
「そうだったか? 気づかなかった、あとで見上げてみるとしよう」
淡々と兄弟が言葉を交わすようすを静かに見守りながら、目立つまいと半歩どころか数歩後ろに下がっていた。
そうはいえども今回の「食事会」は、ただの家族の恒例行事というわけではなく、ユーリスの婚約者であるエリーシャを品定めするためのものでもあるのだ。不適格の烙印を押されてしまえば、強硬な反対に遭うかもしれない。ユーリスの望むところではないだろう。
まだエリーシャに利用価値があると考えているのであれば――もう少し、仲が睦まじいようすなどを周囲に見せた方がいい。そのための「デート」であり、予行演習だったのだが……かえってぎこちなくなっているのが現状だった。
「婚約者殿も久しいな。息災だったか」
「は、はいっ第一皇子殿下。兄がお世話になっているようで、よく殿下のお話を聞いています」
第一皇子殿下――ジェスタはエリーシャが挨拶を返すと生真面目に頷いた。確かに愛想はないのだが、人柄はよさそうである。威圧感はあるが、兄と友人だと思えば若干緊張が薄れる。
「ああ……婚約者殿は、ラーガの妹君だったな。あいつは気のいい男だ……言葉足らずな俺の代わりに言いたいことを言ってくれる」
「うるさい兄で申し訳ありません」
「いや。俺は良い友を持った、ラーガには言わないが」
「そうですね、調子に乗るので言わない方がよいかと……」
強張っていたジェスタの表情がわずかにやわらかくなる。笑うと、年齢よりも幼く見えた。
「エリーシャ」
急に、隣で黙って立っていたユーリスに呼ばれてびくっとした。
「兄上をずっと立ち話に付き合わせるのは申し訳ないだろう? ――そろそろ、行きましょう。父上と叔父上がお待ちでしょうから」
「そうだな。引き留めてすまない、フォレノワール嬢」
「い、いいえっ、こちらこそ失礼いたしました!」
冷気を纏ったユーリスに怯えながら、ジェスタに謝罪する。とうのジェスタは興味深げにユーリスとエリーシャを見比べていた。
「どうかしましたか、兄上」
「ユーリス。そんなに警戒せずとも、おまえのものを俺は取らない」
「……なんのことやら、さっぱりですね」
会話を打ち切り、夕食会の会場へ向かってぞろぞろと歩き始める。何気なくエリーシャは隣を歩く婚約者の表情をそっと覗き見て――息を呑んだ。
唇を引き締めて俯きがちに歩くユーリスは、やりこめられて心から悔しがる子供のように見えた。
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