06 異能伯爵家の一族と顔合わせです
フォレノワール州に第二皇子が訪れたのは求婚状の到達から、三日ほど後のことだった。さすがに早すぎるので、書簡が到着したという知らせを待たずして帝都を発ったに違いない。長兄のような特殊能力でも使わなければ無理だ。
先ぶれこそあったため、急いで第二皇子をお迎えする準備をすることができたが――通常は行わないようなやり方である。
「こんにちは、エリーシャ嬢。あの夜ぶりだね?」
「ユーリス第二皇子殿下におかれましては……ごきげん麗しゅう、ございます」
エリーシャがたどたどしくぎこちないながらも挨拶を終えると、ユーリスは唇に笑みを載せた。見る者すべてに好感を抱かせる【
「君のことが恋しくてたまらなかったよ」
手の甲に口づけられて、思わずびくっとしてしまったのをユーリスも気づいたらしい。ふっとエリーシャにだけ眸で訴えかけてきた。
――
勢いよくひっこめて後ずさりしたエリーシャの足下からぴょん、と白い影が飛び出してきた。勢いよくユーリスの膝下に体当たりする。
「……何かなこの毛玉は」
「グルル! だ、ダメだよ……っ、この方はお客様なんだから」
威嚇するようにぶつかっていった仔羊を醒めた目で見下ろしていたユーリスは、ひょいとグルルを抱き上げた。
「こちらの家畜はエリーシャの物なのかな。躾がなっていないようだけれど」
「申し訳ありませんっ失礼しました……グルル、こっちにおいで」
じたばたと腕の中で暴れているグルルをしげしげ見つめ、ユーリスは言った。
「君に似ているね」
「えっ?」
「もこもこの毛は君の髪の色みたいだし、つぶらな瞳も僕を前にしてしっとりと潤んで夜露のようだ……そう思うと愛らしいと思えなくもない」
グルルを預けられる瞬間に目が合ったので勢いよく逸らしてしまった。おそるおそる視線を元に戻すと、エリーシャの反応が興味をそそったのか、眸には喜色が浮かんでいる。ひきつった笑みのまま、フォレノワール邸へ案内した。
それから間もなくユーリスを招いての、遅めの昼餐が始まった。
フォレノワール家は、当主であるヴィオラ、長男ラーガ、次男ウィルバー、次女のサエラ……そしてエリーシャ、皆が勢ぞろいしている。
一方で、ユーリス側は護衛騎士である青年一人だけを連れて現れたことからも、真意をはかりかねていた。豪奢な馬車で乗り付けてはきたものの、婚約を申し込みに来たにしては従者の数が極端に少なく、荷物もさほど持参しているようには思えない。目立つのを避けているような節もある――ラーガがユーリスをじろりと睨んだ。
ラーガはヴィーダ帝国軍に所属しており、第一皇子殿下の指揮のもと演習に励んでいる。今日は休暇をもぎ取り【
「申し訳ありません。急な訪問でしたのに歓迎いただき、感謝いたします」
ユーリスの礼に、ヴィオラは「此方こそ、殿下にこんな片田舎までお越しくださいまして恐縮しております」と応じる。今日のフォレノワール伯爵は帝都で見慣れた男装姿で第二皇子を出迎えることになった。長い銀髪を黒いリボンでひとつにまとめた伯爵を、ユーリスは興味深そうに眺めている。
「フォレノワール家の皆様が揃われると圧巻の一言ですね。神々しいほどの美貌に眼が眩んでしまいそうです……さすが、月女神の加護を受けた一族なだけある。失礼を承知で言えば、エリーシャが最も愛らしいと感じますが」
「我々の容姿は奇妙だとか不気味だと言われることも多いですから、お褒めにあずかり光栄です。エリーの父としても嬉しい限りですね」
表面上は取り繕ってはいるが、青と赤の火花が散っているのが見える気がした。失礼なのは承知だが、一刻も早くこの場から立ち去りたい。体調不良を申し出ようか、とエリーシャが悩んだところで、ヴィオラが口を開いた。
「ユーリス殿下。お互い、堅苦しいのはやめにしましょうか。正直、驚いていましてね……エリーシャは引っ込み思案なところがありますし、婚約を申し込まれるほどに親しい相手がいたなんて娘から聞いたことがありませんでしたから」
「お、お父様っ、ええっと、それは」
当然の疑問ではあるが、まだ食前酒の段階で吹っ掛けるような話題ではなかった。ユーリス相手でも物怖じしないあたり、求婚状を受け取った日のやりとりで何か思うところがあったのかもしれない。
「ひとめ惚れでした」
「……は?」
ユーリスがあっさりと口にした一言に、エリーシャは開いた口が塞がらなかった。
「エリーシャに会ったのは、今年の社交シーズン、ウィンダミア卿夫人のダンスパーティーが初めてでした。これほどまでに可憐で愛らしい女性がこの世に存在したのか、と我が目を疑ったほどです。星明りに照らされた雪のような白銀の髪も、潤んだ赤いルビーの瞳も、何もかもに心惹かれ、一瞬で恋に落ちました。あの夜以来、僕は彼女の
呆れた……よくもまあ、こんな白々しい嘘を並べ立てられるものか、と言葉を失う。やはり信用ならない、この男。エリーシャのユーリスに対する評価は地に落ちた。
「……ユーリス皇子殿下、妹の手前、しばらくのあいだは黙って聞いていましたが、私はもう耐えられません」
「ちょっとラーガ兄様、抑えて……」
がた、と椅子を引いて立ち上がろうとしたラーガの袖をエリーシャが引っ張って止める。兄が腹を立てるのも、十分理解できた。完全にふざけているとしか思えない嘘八百の誉め言葉を言われて、怒らないでいる方が難しい。
「完全に同意です」
「……ん? 兄様?」
「これほどまでに見る目があるお方だとは思いもしませんでしたっ、失礼をお詫びいたします! そうなのです、うちの妹は帝国で一番可愛いのです!」
「ラーガ兄さま⁉ 何を言っているの?」
「ははは、お兄様とは気が合いそうです。ラーガ様は僕の兄上――ジェスタ皇子の下で軍人としての任務に就いておられるとか。兄も褒めていました、男気があり、立派な心根の持ち主であると」
すっかり懐柔されてしまったらしく、食前酒をぐいぐい一気に飲んでしまい赤ら顔になっていた。弱いのだからほどほどにしておけ、とお父様からも言われているのに――エリーシャが呆れていると「ねえねえ」とウィルバーが口を挟んで来た。
「エリーが可愛いのは私も認めるけどさあ、ユーリス様はフォレノワールの大事な妹を本当に丁重に扱ってくれるんですか? 正式な婚約者ってことです? ……妾妃とかそういうのじゃなくて」
「もちろんです。煩わしい手続きに時間がかかってしまいましたが、年内には婚約を正式に発表したいと考えています。フォレノワール家の皆様にお許しいただければ、ですが」
「ふうん」
じっとウィルバーがユーリスの眸を覗き込むようにして見つめる。
あ、と思わず叫んでしまった。次兄の能力【
「ウィル」
「はいはーい、さすがにやりませんって。父上は心配性ですねえ」
ヴィオラの一声で、ウィルバーは両目を瞑り、開いた。
「まあ、私は賛成だよ。エリーが幸せになれるんだったら構わない。サエラはどう? 大好きなお姉さまが、皇子様のお嫁さんになっちゃうんだって。ほんとにいいの?」
「……お姉さまが、決めることなので。サエラは何も」
俯いて、もじもじとドレスの裾を握りしめるサエラを見て、なんだか申し訳ないような気がしてくる。エリーシャだって望んでいない。家族と離れたくないし、フォレノワールの地を離れたくもない。
婚約する、ということはつまり結婚するということだ――ユーリスの妻となり、帝都で暮らすことになる。
砂を噛むような昼餐を終え食堂を出るとき、ユーリスと目が合った。
「エリーシャ」
名前を呼ばれると、胸がぎゅうっと苦しくなる。おそらく恐怖心と緊張から来るものだろう、指先が氷のように冷たくなって痺れるような痛みを覚えた。
ユーリスはエリーシャだけに見えるように、唇の前に指を一本立てた。
秘密は守らねなければならない、そう言っているかのようにエリーシャには見えた。
数日後、ユーリスが帝都に戻るとき、その手には「求婚状」に対する「承諾書」が握られていた。
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