素晴らしい恋人

素晴らしい恋人

気がつくと僕はフカフカのお布団に包まれていた。


カーテンが閉められた窓は明かりが差し込まず、灯りはオレンジ色の間接照明だけのせいで視界が悪い。時計を見ようとして上体を起こす。布団がだらりと床に落ちた。なぜか全裸だった。


午前一時。

まだぼーっとする頭の中でのろのろと記憶を辿る。


最後に時計を見た記憶があるのは…午後9時過ぎ。ああ、そうだ。今日は特別な日だからと息巻いて、恋人を情緒たっぷりに脱がせたんだ。ボタンの多い服を脱がせるのに難儀した。男物のシャツは脱がせるようにできていない。


裸になってすぐベッドに潜り込んだわけじゃない。髪の毛から人工的な花の香りがしたので思い出す。確か、お風呂に入ったはずだ。泡のたつタイプの入浴剤にワクワクして、いろんな遊びをした。


恋人は器用に指を動かし、あらゆる動物を生み出していた。今にも飛び跳ねそうなウサギや、日向ぼっこ中の丸まった猫、首の長いキリンまで。僕も見様見真似で試みたけど、彼のようにはいかなかった。僕が作ったライオンは、サバンナを駆けようとはせず、昼間の動物園でへたりこんであくびをする方が性に合っているようなのだ。


思いつく限りの動物を生み出した後、恋人はその掌で僕の身体を隅々まで泡まみれにした。左官職人のように丁寧に隙間を埋める。泡が足りなくなったら、並べ置いたウサギや猫やキリン、ライオンであったそれらを掬い上げ、僕の体に押し付けた。何の抵抗もなく肌の上で溶けていく彼らを、恋人は愛おしそうに見つめていた。


恋人の名前は、渉。

少し赤茶けた髪と高い身長。落ち着いた低い声。特徴的な瞳は鈍色で、角度によってさまざまな色を反射させる。虹の落ちた水溜りのようだ。幼少期の頃、雨上がりによく見かけた特別な水溜り。なんて事はない。車のオイルが浮かんでいるだけなのだが、あの不思議な模様は今も渉の目の中で僕を魅了し続ける。


しまった。

急いで恋人の姿を探す。ワンルームで見失うことはないはずなのに、どうにも姿が見えない。僕は最愛の彼に触れ、視線を交え、束の間の全能感に酔いしれようとした矢先に、意識を失ってしまったのだ。


立ち上がろうとして足を下ろすと、すぐ横の床に仰向けに寝転がっている渉を発見して驚いた。


渉は、真上に両腕をぴんと伸ばした不自然な体勢で本を読んでいた。長いこと同じ位置に負荷をかけていたので体が悲鳴を上げているのだろう。きっとああでもない、こうでもないと何度もポジションを変えながら、結局この体勢に落ち着いたのだ。


僕が目覚めた事に気づいていないのかもしれない。読書時の渉の集中力は凄まじい。部屋が火事になっても気づかないんじゃないかと思うほどだ。


控えめに声をかける。

渉はまだ気づかない。

腕をトントン、と揺らしてみた。

ようやく僕の存在に気付いたようだ。慌てたように飛び起き、眉間にしわを寄せ額に手を当てる。


「やあ、目が覚めたんだね。今お茶を入れよう」


「相変わらず、ものすごい集中力だね」


「まったくだよ。読書以外でも発揮してほしいところだ。えーっと、ケトルはどこに収めたっけ」


「もしかしてだけど、テレビ台の上に載っているあれのこと?君はあれを収めたっていうのかい。どう見たって“置いて“あるだけじゃないか」


「コーヒーとほうじ茶、どっちがいい?」

渉は人のいい柔らかな笑みで僕の詰問をかわした。


コーヒーを注文して、手近にあったバスタオルを腰に巻き、ソファーに座る。

湯気を立ち上らせたケトルからお湯を注ぐと、香ばしい匂いが部屋いっぱいに充満する。コーヒーの匂いはいつも温かい。どれだけ寒くとも、どれだけ冷たい風が吹こうとも、この匂いのそばには柔らかな温もりがある。


渉はミニテーブルに僕のマグを置き、片手に持ったマグにふうふうと息をかけながら隣に座った。一度だけ乾杯代わりのキスをする。


「どのくらいの時間トリップしていた?」

コーヒーを啜りながら、僕は切り出した。渉は首や肩をぐるりと回す。


「さあ、二時間ほどじゃないかな。君が気を失ってから読み始めた本が半分まで進んだ」


「なんてことだ。せっかく渉と一緒にいられる時間をそんなに無駄にしてしまったのか」


「それじゃあ、二時間分取り戻そうよ」


渉は悪戯っぽく微笑んだ。血管が浮き出た大きな手のひらが、腰のあたりをゆっくりと滑る。僕はなるべく愛らしく見える仕草で寄り添い、産毛の光る耳元に囁いた。


「いいアイデアだ」

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