第7話 ヤギみたいだなあ、推しって

 しばらくそのまま顔を伏せてうつむいていた私だが、しだいに脳が状況に慣れてきたので、おそるおそる顔を上げてみる。


「おああ……やっぱり面がいい……」

「大丈夫か。聖魔法を浴びたアンデットみたいに顔が歪んでいるぞ」


 目を開けた先では、推しの目が私を一直線に見ていて、ちょうど視線が交差する。


 彼のアメジストのような瞳の色に吸い込まれそうな錯覚に、私はすぐさま体をのけぞらせた。そして、いつの間にか晴れていた霧の隙間から見える空を見つめ一人悶える。その際に、なにか失礼なことを言っていた気もするが、まあ悪気はなさそうなのでよしとしよう。


 それよりも私は、こう何度も推し推し言っていることにそろそろ違和感を感じてきた。普段は彼の名前で呼んだり叫んだりしているのでなおのこと。


「あ、あのー……、いまさらなんですけど、お名前ってなんていうんですか」


 だから私は、一生懸命知っているけれど知らないふりをして、推しに名前を聞いてみた。


 彼は日本語に関しては知識があまりないだけで、普段の知力はびっくりするほど高い。そのため、一瞬の油断でなにか裏があると怪しまれてしまうかもしれないと考えて、数秒悩んでなんとか無難な質問にすることができた。


 ……と、思いきや。


「我輩の名など知ってどうするのだ」

 

 険しい顔付きで私を睨む鋭い眼光。口調も重々しくなり、消えていた圧がまたかかり始めた。


 ――いや、めちゃめちゃ怪しまれとるやないかい。


 でもなるほど、たしかにそうだ。こんな山奥に現れた怪しい人のことを、誰が知りたいと思うだろう。それも、また会える確証もない相手に、普通名前など教えるだろうか。ましてや彼は魔族だというのに。


 これはそう簡単に口を割りそうにないなとすぐさま察知した私は、細く短いため息をつく。


 彼がどうしても名前を教えてくれないのなら、こちらも奥の手を使わせてもらおう。


「わかりました。じゃあ、私と友だちになりましょう」

「……はあ? なにをいっているのだ、小娘」


 私を怪しんでいるからか、先ほどとは打って変わって声色が低い。が、私は教えてくれるまでめげない。


「ほら、友だちになれば名前呼ぶときにあなたの名前知らなかったら気まずい空気になっちゃうからさ。ほら、ね? ね?」

「だから、そのそうしてでも名を知りたいという理由は何なのだ!」

「知りたいもんは知りたいの! 理由なんてないです!」

「嘘をつくな。先ほどの切り出し方は明らかに怪しかったぞ!」


 さすが魔族。少しの違いで違和感を察知してしまうその知能の高さは、魔物の中でも強いと言い伝えられている魔族の名にふさわしかった。


 しかし、思っていたよりも手強い相手だ。私の予想では、今ごろもう仲良く雑談をしているところだったのに。


 あまりの頑なさに、ついタメ口が出たり入ったりしてしまう口論の中、私は説得の方向性を変えてみようと思い立った。


 彼にとっても、私にとっても都合のいいWin-Winな提案。


「じゃあこうしよう。私が毎日あなたに会いに行こう。そして、気が済むまで日本語を教える。漢字だって教える。これでどう!」


 私の張り切った大声に、森の鳥たちが一斉に飛び立っていく。しんと静まる空気。目の前にはうつむく推し。


 あれ、もしやよくない提案だっただろうか。


「…………そ、それは……ズルくないか……」


 と思ったのは杞憂だったようで、彼に、効果はバツグンだった。チョロい。



「――ゴホン、あー……我輩の名を特別に教えよう。ただし、本当に毎日来るのだな? 本当だな?」

「本当、本当。はやくはやく」

「うっ、そう急かすな」


 自分の名前をいうだけなのに、ずいぶん渋る彼を急かし続けて、約十分が経過した。ずっと立っているのもあれだったので、近くの大岩に腰かけているのだが、照れ屋さんなかわいい推しは、岩の上で立ったり座ったりを繰り返している。


 私はいつまでも待つが、はやく名前を呼んでみたいから、なるはやで教えてほしい。


 と、私がそんな事を考えているうちにようやく決心が決まったらしく、小さく「よし、言うぞ」と告白前みたいな緊張を持って私の前に立った。


「……改めて、我輩の名は『アーロ』だ。森で木を切って生計を立てている」


「おお……!」

「な、なんだその反応は」


 ――アーロ。ずっとその名前が聞きたかった。彼にとって、何よりも大切な、意味のある名前。


 私は名前を教えてくれたことが嬉しくて、タガが外れたように「アーロ、アーロ」と何度も呼び、当の本人は恥ずかしそうにうつむいて小さく「うるさい」とつぶやく。かわいい。



 しかし、なるほど。魔族と知られないために林業家を持ち出してくるとは……、だいぶ手慣れているように見える。もしかしたら、前にも似たような事があったのかもしれない。


「……おい、小娘。まさか、人にだけ聞いておいて自分は言わないなんてことしないだろうな」

「もちろん」


 赤く染まった顔を上げて、さんざんはずかしめられた仕返しをしてやろうと、私をにらみながら名前を教えろと訴えてくる。


 そんなかわいい彼には悪いが、私にとって名前を教えることは痛くも痒くもない。


「私はイザベルです。イザベル・フェイ・バーンスタイン。この森の近くに住んでいるので本当にいつでも来れますよ」

「ほう……イザベル。良い名だな」

「すいませんでした」

「えっ」


 全く恥ずかしがらず、むしろ堂々としている私を見て、彼は悔しがるかと踏んでいたのだが、素直に褒めてくれていたたまれなくなったため、反射的に謝罪が口から出る。


 だが、そんなことを知らないアーロは、頭に三つほどはてなを浮かべて固まっていた。どうやら彼は、驚くと固まる癖があるらしい。


 まるで驚いて気絶するヤギのようだな、とこっそり思って一人微笑んだ。


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