納豆とラッキーマンと死神

羽暮/はぐれ

終末の日

 帰る途中で、スーパーに寄った。

 店のガラスはひととおり全部ぶち破られていて、バリアフリーもかくやといった有様であるが、一応律儀に、私は自動ドアの残骸を通る。


 まだ、目当ての品はあるだろうか。

 世界が終わるというのに食料品ばかり盗まれていて、みんな、腹を括っているんだか生きていたいんだか分からない。

 

 私は冷蔵コーナーの一角で埋もれていた三パックひとまとめの納豆を取る。しめて298円。少し高くなったか。


 お金を空っぽのレジに入れ、スーパーを出る。通りでは乱交なり乱暴なりがしきりに働かれていて、まったくもってクライシスだ。

 私はラッキーマンという事もあり無事に家へとたどり着けたが、ラッキーウーマンだったらどうなっていたか分からない。


 アパートの軒先で、放逐された大型犬が縄張りを主張してフンなどしていたので、鼻の先に開封した納豆を投げつける。

 犬は、「こんなおぞましいものを初めて嗅いだ」という顔で逃げていく。人サマを舐めるなよ。


 一階の自室に入る。全然冷やされていない納豆を、電気の切れた冷蔵庫に入れてみた。保存食だし、大丈夫だろう。残り2パックだが、ひとつはすぐ食べることにした。


 カイロを突っ込んで保温していた炊飯器を開き、茶碗に飯を盛る。

 なまぬるく立ち昇る、米粒と酸化鉄の香り。

 甘く。

 そして臭い……臭い。

 

 食欲を失いかけた私は、しかしかろうじて気を取り直した。今回の主役はコメではなく、納豆だ。


 真っ白いパックを手に取り、フタに印刷された『納豆占い』を読む。

『納豆占い』は、パックによって微妙に文面の違いこそあるが、『ラッキー度』の欄がどれも星5つならぬ豆5つと書かれた占いであり、消費者の心を穏やかにするだけの出来レース的代物なのだが――

 

 ――私は目を疑った。

 

 この納豆パックのフタには、豆型の黒点が五つ穿たれているだけで、そこに発光する発酵大豆たちの姿がない。

 星0つ、ならぬ豆0つ……

 

 黒点の下に設けられた『運勢』の欄には、三つの文字と一つの記号が躍っていた。


『死、迫る』

 

 キキィーッ!!!

 

 アパートの外で馬鹿でかい音が鳴ると、玄関から私の居るキッチンまでを一直線に、横倒しになったトラクターが突っ込んできた。


 その破壊的な訪問は、私に死の訪れを予感させるに相応しく、然るに私の知覚は時をゆっくりと認識するほどの過集中に陥った。

 

 まずナンバープレートを見る。

 横浜、ひ、××-××。

 

 続いてドライバーの顔を見てやろうと思った矢先、前輪にこびりついた汚物に気がついた。


 ああ、これは大型犬の排泄したフンではないか。

 何てことだ。


 私は世界終末の日に、大型犬が気ままに排泄したフンを轢いてスリップしたトラクターに轢かれて死ぬのだ。

 なんて意味のない複雑性なんだろう。


 幽霊として化けて出る際、装束に犬のフンがついていたら、死んでも成仏しきれそうにない。


 そして思う。

 いま、穴の開いた玄関から疾風の如く馳せ参じ、私の前に立っている、この左腕が金属の青年は誰なのか?


 そんな事を思っていたら青年は義腕を振り上げ、トラクターを正面から受け止めていた。

 私ごとアパートを突き抜けていきそうだったトラクターのエネルギーは、青年の靴の下の地面を焦がすにとどまり、消失する。

 一見してサラサラの、しかし形を崩さない小気味いい青年のブロンドヘアーが、吹き付けてくる風に揺れた。

 

 沖縄の海のような瞳。


「大丈夫ですか」


 天から下るような声であった。

 まるで実在の人物とは思えない――だがしかし、この世とはなのだ。人生における法外なアンラッキーは、法外なラッキーにより相殺されるべくして存在している。


「はい、ラッキーマンなので」


 青年は苦笑する。

 その時、ぞわりと、彼の周囲に暗幕が下りたように辺りが暗くなった。


 まさか日に二度、自分の目を疑うことになるとは。

 

 始めは、コウモリの群れか何かが青年の周囲で旋回を始めたのかと思っていたのだが、よくよく見ればそれは、人骨に黒衣を着せて鎌を持たせた、まさしく死神そのものと見える存在が、三つか四つ、青年の周囲を飛び交っているのである。


 大殺界の果ての果て。

 虚数個の豆によって形容されるべきアンラッキーの権化がそこに居た。

 

「ぼく、世界終末の日なのに、死神に取り憑かれちゃって」

「え、え、大変ですね。気にならないんですか」

「いえ、せめて僕の魂を食わせてやりたいので、世界を救う事にしました」


 私は泣いた。

 なんて殊勝な人なのだ。こういった人たちのお陰で世界が回っていくのだと痛感する。


「今日、隕石降ってきますよね」

「そうですね」

「あれは僕が止めますので」

「じゃあ私は応援しますので」

「それでは」「それでは」


 我々は共に手を振り、あえて再会は願わずに、アパートの残骸で別れた。

 

 その日、私は寒風吹きすさぶ自室の中で、布団をかぶり夜を徹した。電池式の小型テレビを点け、かろうじて運営されていたNHKにチャンネルを合わせる。

 

 そこには人間が搭乗して直接操作するタイプの核ミサイルという、人道をいろいろと踏み外した兵器に乗る鉄腕の青年が映されていた。

 

 5,4……

 

 隕石を目掛け発射される核ミサイルが、その秒読み段階に入る。

 

乾杯チアーズ


 私は懐から納豆のパックを取り出し、フタを見た。

 そして、空のワイングラスに納豆を注ぎ、天に掲げる。


――


 あれから平穏な日常が戻ってきた、とは口が裂けても言えないだろう。

 世界の破滅を口実にストッパーを外してしまった人々は、再結成された法治組織『超警察』によって日々処刑されているし、脱走して交雑・野生化した野良犬の群れがシン・ニホンオオカミとして猛威を奮ってもいる。

 

 そんな歪になってしまった日本で、今日も私は納豆を食べるのだ。


 小売価格3200円の納豆を食べながら、私は食卓の上で寝そべる義腕を見る。

 あの日、軒先の干からびたフンの上に落ちてきた、鉄腕の青年の残骸……

 

 どうやら形状記憶合金で作られていたらしい彼の義腕は、熱によってサムズアップの形に変形していた。犬のフンの中から、来るはずのなかった朝日を浴びて突き立つ彼の親指を、私は一生忘れないだろう。


 彼は、彼の身に降りかかった恐るべきアンラッキーを、その胆力で乗り切ったのだ。

 私もまた、そうあろうと思う。


 私的刑法666条『贅沢罪』により私を取り囲む超警察と、調教されたシン・ニホンオオカミの群れを眺め、私は義腕を付けて立ちあがる。


『納豆占い』の結果は豆5つ。

『運勢』にはこう記されていた。


『汝、死を司る者』


 背面から引き抜いた仕込み鎌を展開して、私は迫るオオカミの喉笛を斬った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

納豆とラッキーマンと死神 羽暮/はぐれ @tonnura123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説