第19話(月野ミチル)

 019(月野ミチル)



 まただ。



 また私だけが取り残されている。シンジくんの物語の中で、私だけが何もせず傍観を決めている。

 二人の心に満たす甘い毒も、痛みを和らげる苦い薬も、何一つとして持ち合わせていない自分の薄っぺらさが本当にイヤになりそうだ。



 私はただ、会いたいと感じた時に彼の姿が見えたから衝動に任せて降りただけ。



 それなのにシンジくんに願いを言えず、かと言ってサオリちゃんから奪おうともしなかった。あまりにも真剣な表情に、自分の気持ちが二人の想いの沸点へ辿り着いていないと思うと怖くて足が竦んでしまったからだ。



 だから、ただここで突っ立って悲劇を眺めて、私の人生には決してありえない二人のドラマチックに涙を流しただけ。



 泣いたのは、シンジくんを取られるからでもサオリちゃんが悲しみに暮れるからでもない。

 私の持っていないモノを、目の前で自慢された気分になったから。その怠惰で醜い自分を再認識させられたからだった。



 ……そう、私はフラレてすらいない。本当は恋が何なのかも分かってないって、『コウくんを好きか』と聞かれた瞬間に見透かされたのだろう。



 無視をされることが一番傷付く。なるほど。コウくんを攻略したときに教えてくれた言葉が、胸の奥にグサリと突き刺さって痛かった。



「はは、ミチル。あたし、フラレちゃった」

「……うん」



 努めて平穏に言葉を発したサオリちゃんは、次第に幼くてかわいらしい顔をクシャクシャに歪めていった。目の奥は潤んで、声も酷く震わせて。それなのに彼女が涙を流すことが出来ない理由を私は考えていた。



「あ、あたし。なんで、一緒に成長しようと思えなかったのかな。あの頃は、シンちゃんのために自分を変えようと思ってたハズなのに」

「ごめん、分からないよ」

「あんなに……っ。あんなに頑張ったのに……っ。どうして……っ!?」



 理由はすぐに分かった。サオリちゃんは、本気だったからだ。



 頑張って、頑張って、他のすべてを捨てても手に入れようとした彼女だからこの結末を受け入れられない。泣いてしまえば、終わってしまうから。悲劇に感動すれば、そこで自分を認めることになってしまうから。



 だから、サオリちゃんは涙を流せない。彼女は分かっていても納得できなくて、シンジくんが学級裁判を覆したのを目の当たりにしたから、ありもしない逆転劇に希望を見てしまって。その幻のような光に縋ってしまう気持ちこそが、まさしく彼女のの正体なのだ。



 ……終われないなら始まれない。



 恋って、本当に残酷だ。



「だって、い、一度はこの手の中にあったの。シンちゃんは、あたしのことを好きでいてくれたハズなの。……な、なん。なんで、あたしはそれを信じられなかったんだろう。どうして、こんな……っ」

「サオリちゃん」



 シンジくんは、知っていたのだろうか。



 きっと、どうやったって自分にはサオリちゃんの気持ちを殺すことは出来ないと。当事者以外の誰かが止めてあげないと、また彼女は失敗を犯してしまうと。不幸なままでいることを肯定することは、決して友達のやることじゃないと。



 ……なら。



「な、なに?」



 何一つ返せなかった、シンジくんへのお礼。今ここでしてあげなければ、彼の元へはたどり着く機会なんて二度と訪れないだろうって。



 そう、強く思った。



「もう、いいんだよ」

「は、はぇ?」

「終わったんだよ、



 どうして、シンジくんが人助けを始めたのかがよく分かる。



「……ひっぐ」

「よく頑張ったね」



 サオリが傷付く姿を見ていると、心が引き裂かれそうなくらいに辛かった。無能で怠惰な私が傷付くよりも、本気で頑張った彼女が崩れていくのが苦しかった。



「あ……っ。ひ……っ。ぐ……っ。あたし、あたし……っ」

「大丈夫、きっと変われるよ」

「う……ぇ。ひっ、み、ミチル……っ」



 揺れた膝を抑えサオリを抱き締めると、彼女は泣いた。



 本当に幼くて切ない。今の彼女を形容する言葉を、私は知らなかった。



「あたし……っ! あたしね! シンジのこと大好きだったの! だ、だって、でも。あたし、あたしなんかじゃ見てもらえないって!」

「うん」

「だからね! すっごく頑張ったんだよ! ひっぐ……っ。あ、あたしだけはシンジの心の拠り所になってあげたくて! あたし、本当にずっと頑張ってたの! ひっぐ……っ。し、シンジを慰めてあげたくて、でも彼よりも弱かったらダメだと思って! だから高校だって!」

「うん、うん」

「なんで、どうして……っ! どうしてあたしは間違えちゃったのかなぁ? どうして信じていられなかったのかなぁ? どう、どうして! あんなに酷いことしちゃったのかなぁ!?」



 私を見上げるサオリは、いつも電話で聞いていた理知的で余裕のある声なんかじゃなくて。もう恥も外聞もかなぐり捨てて縋りついて、まるで崖の端でうずくまる赤ん坊のように弱々しい。



「ごめん、私には分からないよ」



 サオリは、それくらいシンジくんが大好きだったから。



 分かっていたけど私が口にするには重すぎて、けれどサオリを慰めたかった。これだけは嘘じゃないって信じられたから、泣きじゃくる彼女の頭をただ撫でて強く抱き締める。



「サオリは、きっと間違ってなかったよ」

「ひっぐ……っ。ああぁ――」



 月も雲に隠れた暗い夜。



 私は、戦うことすら出来ず喫したの失恋を、サオリにバレないよう密かに噛み締めていた。

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