第10話
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放課後。
俺は教室に入り晴田の机の周りでコソコソしている連中に、軽く手を上げて簡潔な挨拶をした。
「な、なんだ。シンジかよ。脅かすな」
「よぉ、なにしてんだ?」
「決まってるだろ、晴田のヤローがムカつくから恥かかせてやりたくてな」
「へぇ、なんかセコくねぇか?」
「仕方ねぇだろ、強いらしいし。お前もあいつ嫌いだろ? 一緒にどうだ?」
俺は手を横に振って断り、3人のクラスメイトの隣の机に座ってその様子を眺める。彼らは一応こっちに目線を向けるが嫌がるような様子もない。完全に俺が彼らの味方だと思っているようだ。
まぁ実際味方なんだけど。
「シンジ。マジでスカッとしたよ、この前の口喧嘩。あいつ、顔真っ赤にして手ぇ出してさ」
「思ったことをその場で口に出すのって難しいのにな。流石、小学生で大人をボッコボコに負かしただけある」
「その話はやめてくれ、好きじゃないんだ」
言うと、3人のうちの一人である山川が晴田の机に彫刻刀で文字を刻み始めた。ガリガリと小気味よい音が教室内に響いている。傍らには花瓶と白い花、一昔前の学園ドラマみたいな嫌がらせだな。
「シンジ、怪我とかねぇの? もしかして、あいつって本当は喧嘩も弱いのか?」
「いや、痛いしまだ口の中は切れてる。かなり強いから、とりあえず殴り合いはやめとけ」
「チッ、そういうところもムカつくよな。何なんだよ、あいつ」
ハッキリ言って、これはイジメとして弱いと思った。
俺だったら校庭にラインを引く石灰の粉を袋に詰め、予め天井にセットして翌朝に本人を周囲ごと爆撃するとか。或いは女子の際どい写真を取りまくって晴田の隣のロッカーにエロアルバムを放り込んでおくとか。
こう、関係ない周囲を味方につけながら心を抉る、二度と学校に来たくならない方法でイジメるのに。
……やっぱり優しいな、お前ら。
「周りの女もバカだよな、あんな男に付き纏ってさ。いい迷惑だ、クソッタレ」
その通り過ぎる意見に思わず吹き出しながら、俺は憎しみを込めて晴田の教科書を引き裂く彼に聞いた。ビリビリという音を最後まで堪能してからだった。
「なんだよ、東出。お前、あの4人の中に好きな奴でもいるのか?」
「はぁ? ちげぇよ。あんなしょーもない女たちなんて、全然好きじゃねぇ。これはマジだぜ?」
続いて、残りの一人である浜辺。
「お前と同じだよ、シンジ。俺たちは、クラスのど真ん中で周囲に不快感を撒き散らすことにムカついてるんだ」
「でも、連中今日は大人しかったじゃねぇか。少なくとも、俺は目障りだと思わなかった」
言い返すと彼らは黙った。どうやら、まだ怒りは半沸状態。勢い付いてグラグラに沸騰しているワケじゃないから、ことの部外者である俺の言葉を聞いてくれる冷静さがある。
まったく、1日でも遅れてればどうなっていたことやら。月野の迅速な対応にあっぱれってところか。
「おいおい、シンジ。お前エラくヤツを庇うじゃねぇか。なんかお前らしくねぇぞ?」
流石山川、俺の友達だけあって鋭い。
やっぱり、下手なことをすればすぐにバレてしまうモノだ。何か言い訳しないとうっかり変なことを口走ってしまいそうだったから、隣りにあった花瓶を手に取ってわざと気怠げに答えた。
……そう。
こいつらは俺の友達なんだよ。いわゆる陰キャ友達、すげぇ気が合うんだ。
「そりゃ、晴田は俺がボッコボコにやっつけちまった相手だからな。死体蹴り入れられてるのを見れば可哀想くらい思うさ」
「いいや、お前はそんな奴じゃない。触れなければ害はないが、一度突っ突けば地獄を見る藪蛇。『泣きっ面に蜂と祟り目また一難』がお前のやり方だろ」
一体どこの誰だよ、要らん噂に尾ヒレと背ビレと尻尾まで引っ付けて校内を泳がせた困ったヤローは。
「……とにかく、やめなよ。カッコ悪いから」
「はは、なんだよシンジ。そのジョーク、全然面白くないぞ」
「大体、俺たちがそんな言葉でやめるワケないだろ。とっくに開き直ってるっての」
まぁ、よく分かるよ。
フィクションみたいに『罪のない人を傷付けるな』だの『卑怯なことして恥ずかしくないのか』だの。そんなモノは、既に自分を嫌っている彼らには何も響かない。
虐げられる者がどれだけ苦しんでいるのか、所詮立場の違う人間には分からない。普通ってのは実は真ん中よりも少し上の事を言うワケで、ならば普通じゃない彼らの劣等感は居た堪れないモノだってことを俺はよく知っている。
「考えてみろよ。リアルじゃ陽キャや天才が幅利かせて、かと言ってゲームでも時間余らせてるニートや天才が幅利かせて。それで承認欲求を満たそうと思ったら、これはもう悪いことしか無いんだって」
「自分がみっともないと分かっててもやめられない理由、教えてくれたのはお前じゃねぇかよ。シンジ」
……過去。
具体的には、入学したての1年だった頃。俺は彼らが立ち上がるために力を貸したことがあった。
一流の進学校に落ちた山川。足を怪我してサッカーをやめた東出。やりたいことが見つからない浜辺。
それぞれが、望まない形でカーストの下に巣食ってしまった者たち。彼らは本当は一般人と何ら変わりなくて、両親のいる家庭で愛を注がれていて、疑いようもない情熱を持って生きていたのに。
それなのに少しの不幸で拗れてしまって。挙句の果て、自分の不幸が世の中にはありふれた出来事であると知って悲劇すら語れなくなってしまったのだ。
痛みすら得られない現実。馴れ初めは、そんな話を彼らと共有したことだ。
「だから、せめて勤勉にやれとも言ったハズだろ。勉強や芸術だって、それ自体に意味がなくてもなにかに繋がる可能性だ」
「勤勉だよ、心にストレスを溜めないようにな」
「何も、勤勉さは善行にのみ働くワケじゃない。実際、詐欺師やヤクザも勤勉だからサラリーマンより金稼いでんじゃねぇか」
「お前らは、ガチの悪人みたいに死にかけの人間から金を毟り取って罪悪感の湧かねぇ人種なのか? 都合の良い部分だけ切り取ってんなら、リーマンにもヤクザにも失礼だろ」
すると、3人は作業していた手を止めた。ややバツの悪そうな顔で俺を見ている。
「……やめてくれよ、シンジ。俺ら、お前と口論するつもりなんてないぞ」
「俺にだってねぇよ、ただの説得さ」
なにを思ったのか、浜辺は立ち上がって伏し目がちに俺を向く。
「なあ、シンジ。教えてくれよ」
「ん?」
「勉強が出来て、スポーツが出来て、おまけにハーレム状態で。そういう、何でも持ってる人間を恨めしく思うのってそんなにおかしいことか?」
「いいや、ルサンチマンってそういうモノだ。むしろ、抱かない方が人間的におかしいよ」
「だったらさ! いいじゃん! お前だってあいつのことやっつけたじゃん! 俺、マジで気持ちよかった! だから、俺だってあいつを懲らしめてやりてぇんだよ! でも、シンジみたいに知識も弁舌もたたねぇからさぁ……っ!」
……紡げなかった言葉の続きを思うと、心臓が張り裂けそうなくらいに痛かった。
「これは復讐だ。俺たちが何者でもないんだって、俺たちの青春にトドメを差したあのヤローへのな。人の人生潰しといて、自分だけ楽しそうに生きてるなんて許せねぇ」
「罪の意識がないって、あいつやあいつの女は笑うだろう。被害妄想だって、バカにしたような事を言うだろう。でもよ、逆に言えばあいつは意識すること無くパンピーの人生を潰すバケモンなんだよ。殺人と過失致死で、殺された奴はそこに違いを覚えるのか?」
「いいや、死人に口無し。罪の名前は、生きてる側の事情だと思うよ」
「だったら、バケモン退治しねぇとダメだろ! 他の誰かじゃなくて、俺たちがまともでいるためにも消さねぇと……っ!」
「違うよ」
俺は、浜辺の肩を叩いて頭を振った。
「……え?」
「違うよ、浜辺。お前はダメなんかじゃない。山川、東出、お前らだってそうだ」
「な、なんだよ。気持ち悪いよ」
俺も自分でそう思う。マジでキモい馴れ合いだって分かってる。夕暮れの教室で男が4人も雁首揃えて、一体何してるんだかって笑えてくるくらいだ。
けれど、それでも。俺にはお前らに言いたいことがあるんだ。
「仕方ないだろ、生きてりゃ傷付くんだよ。でも、たった一回思い通りにいかなかったからって楽な方に逃げてんじゃねぇよ」
「だから、傷つけた奴を見逃すのか? お前、復讐は何も生まないだなんてこというんじゃねぇだろうな」
「まさか、言うワケないだろ。クソムカつく奴をブチのめして言い負かして、これ以上にスカッと前を向いて生きていける方法なんて他にない。過去と決着をつけるためにも、俺は絶対に復讐するべきだと思う」
「だったら……っ!」
「こんなショボいイジメは、復讐なんかじゃないって言ってるんだ」
彼らは、虚を衝かれたようにポカンと口を開けていた。
「もっと、決定的に負かせてやらないとお前らの気持ちは晴れない。だから、正々堂々と勝負して正面から見下しなよ。こうやって陰から見上げていたって、向こうが有利になるだけだよ」
「で、でもよ! 俺たちにはなにもないんだ! お前みたいに立ち向かう勇気や技も! 何一つねぇんだよ! 何やっても晴田に勝てやしない! それなのに、どうやって復讐すりゃいいんだッ!?」
「何でもいいだろ、勝負なんてさ」
俺が口にしたのは、至極当たり前の提案だった。
負けている事がコンプレックスならば、要は彼らが一つでも晴田に勝っていることを見つければいい。そうすれば自ずと自分に価値を見出せる。小さなことだって、なんの役にも立たないことだって、勝つってだけで人は情熱に満ちる。
勝負にはそういう魔力がある。だから、俺は勝ち負けから逃げるなって言ったんだ。
「なん、だよ。それ。意味わかんねぇし、第一あいつが受けるわけ……」
「受けるよ、何なら必ず乗ってくるセリフを教えておいてやる」
「で、でもさ。俺たちじゃ、やっぱり何やっても勝てないかも」
「勝てるよ、大丈夫」
そして、俺は自分が一番辛いとき婆ちゃんに言われて嬉しかったことを思い出した。
「お前らなら出来る。だから、もう少しだけ頑張ってみようぜ」
……何もない時間が、どれだけ過ぎただろう。彼らはやがて、彫刻刀や破かれた教科書を机の上へ静かに置いて弱々しく口を開いた。
「本当に、そう思うか?」
「もちろん」
「なら、それがどんだけショボいモノでもお前は認めてくれるのか?」
「あぁ」
「嘘じゃないって誓ってくれるか?」
「誓うよ」
3人は、互いを見ると恥ずかしそうに笑った。ようやく自分たちのやっていることがクソしょうもなくて、おまけに生産性の欠片も無いことに気がついてくれたようだ。
「ふふっ。あれだな。俺たち、ラノベで主人公にちょっかいかけてくる雑魚チンピラ役」
「あはは。いるな、そういうやられ役」
「でも、あいつらってバカだよな。主人公が強いのなんて分かりきってんのに、わざわざ腕力とか魔力でバトルしようとするなんてさぁ」
つまり、そういう事だ。
どうしても勝ちたいなら、勝てる勝負をすればいい。彼らに必要なのは自信なのだから、自分が決して晴田の青春のモブなんかじゃないと思える自信を得ればよいのだから、決してあいつの土俵に上る必要なんて無いのだ。
つーか、お前らって暗い割に顔もいいんだしよ。勝つことを見つけて、新しい趣味にしたらそこでカノジョでも作れよ。
多分。いや、絶対に楽しいぜ?
「……そうだな。あぁ、目ぇ覚めたよシンジ。やっぱり、お前には敵わねぇ」
「バレねぇように隠れてたのに、結局見つかって説き伏せられちまってるもんな」
「本当は、なんとなくお前に言ったらこうなるってわかってたんだ。俺たち情けないなぁ」
「よせよ。それより、あいつの机と教科書をなんとかしようぜ。手伝ってやるよ」
「悪いな、シンジ。とりあえず教科書は俺のと交換しておくか」
「机はどうする? ガリガリやっちまったし、俺のと変えるワケにもいかねぇよ」
東出に言われて俺は教室の外へ向かった。
「使ってない教室からかっぱらってくるよ、そいつは第二倉庫の裏にでも捨てっちまおう。山川、手伝ってくれ」
「おう」
「俺も行くよ、東出はちょっと待っててくれな」
「わかった、俺は花瓶と花も消しとかねぇといけないし」
「なぁ、見回りにバレたら三人でボコって逃げようぜ。全部東出のせいにしてさ」
「はぁ!? ふざけんなよ!!」
「うはは! シンジ、お前やっぱサイテーだな!」
こうして、放課後は無事に過ぎていった。
……。
「おい、晴田。勝負しろよ」
「はぁ? お前ら、急になに?」
翌日の朝、三人は晴田の元へ歩いていって勝負を仕掛けていた。
「クソムカつくんだよ、何でも出来るって余裕かましやがって。お前、本当は弱いんじゃねぇの? シンジにも負けてたし」
「な、なに!? なんであいつの名前が出てくるんだよ!?」
ほら、そういう反応だ。
「まぁ、逃げてもいいんだぜ? そしたら俺たちが上、お前が下だ。間違えるなよ、高校に通ってる間はそれが絶対だからな」
「く……っ。マジでなんなんだよ!」
「はは、悔しかったらポーカーで勝負だ。おい、青山。お前がディーラーな」
「はぁ!? なんでこのあたしがそんなことやらなきゃいけないのよっ!?」
「なら、私がやりますよ。カード裁きは任せてください」
「お、榛名か。頼むぜ」
ハーレムの時とは違って、不思議と彼らの喧騒は心地よかった。あの晴田が男と関わっているっていうのも何だか新鮮で妙に安心できる。
そんな事を考えて久しぶりに砂の器のページをめくると、ポケットの中でスマホがブブブと揺れた。すぐに確認してしまうのは、いわゆる現代病というヤツなのだろうか。
『ありがと』
バナーで表示されたそれを、俺は宛名も調べずにスワイプして消した。長ったらしいメッセージであることを告げる『……』の表記が、俺に見る気を失せさせたのだった。
さて、計画も大詰めだ。
あのクソバカなヒロイン様がハーレム主人公を手に入れる、最高の瞬間をしっかりと見届けてやろうぜ。
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