サンドボックス

ようかん

第1話 「帝都陥落」

「はぁっ、はぁっ、早く、早く!」


 息を切らせ、焦燥に満ちた表情を浮かべる男は、譫言のように自分へと催促を行った。


 男の手には奇妙な形状の筒のような物が握られていた。半ばほどで僅かに捻れた二十センチメートル程度の筒は、装飾が一切施されていない無骨な意匠の割に、見る者を魅了する不思議な魅力があった。


 男の周囲一帯は正しく地獄絵図であった。酸素を糧に燃え盛る炎は、周囲の人間に平等な苦しみを与える。


 火属性魔石の適性が高い者は、適性が無い、或いは低い者よりも比較的軽傷であったが、酸素を喰らい周囲を囲む炎を前にして酸欠を起こし、皆地に伏した。


 死した同僚が羽織っている白衣が煤と灰に汚れ、火が燃え移っていくのを横目に、男は筒を片手に駆け出した。


 幸い、男には火属性魔石に高い適性を持っていた為、他の者よりも幾分かの長生きは期待出来る。


「はぁっ、はぁっ、一体何がどうなっている!? 祖国は、リバルは敗れたのか!?」


 無駄だと理解していても男は問わずにはいられない。


「お母さん、どこぉ? ⋯⋯早く戻ってきてよぉ⋯⋯」


 少女の悲痛な嘆きを男は必死に無視する。少女の横を駆け抜ける数瞬、涙に濡れた瞳と視線が交わるが、男は努めて気にしないようにした。


 男の視界には、倒壊した建造物や燃え盛る炎、親を探す子供、焼け爛れた患部を抑え込む者たちが映る。

 男の聴覚は、家族や友人を亡くした者の慟哭や情報錯綜によりまともな伝令を受けられない兵士の怒声、やや離れた場所で発生した爆発音を捉えた。


「爆発音だと!? 最早帝都は陥落寸前の筈だ!一体何故こうまで徹底的に──」


 そこで男は悟った。帝都を、祖国を侵略している敵の目的が侵略ではなく、殲滅であることに。


 しかし、ならばこそおかしいと男は考える。先程から帝都を攻撃する魔法は、破壊力や殲滅力こそ最高水準だが、酷く散発的だ。一人ないし二人が良いところだろう。だが、これほどの惨状を単独若しくは二人で成立させる事が出来る存在を男は知らない。いや、考えたくない、という言い回しの方が適切だろう。


 そしてそれ以前に、この世界の常識として、貴重な魔石適合者、それもこれほど高い水準で魔法を行使出来る者を戦場の前線に出すわけがないのだ。

 戦争関係に疎い男ですら知っている程度の常識だ。敵軍が知らないわけがない。


 敵軍と言えば、陥落寸前の帝都で敵兵の一人も見かけないことも不自然だ。最初からこの敵襲は何もかもが不自然で歪だった。


「逃げる⋯⋯それしか手はないのか⋯⋯それも一人で」


 男には、この絶望的な状況から脱出する手段があった。しかし、それはあまりにも不確定で、あまりにも卑劣な手段であった。


「ああ、主よ。誠に貴方のような糞っ垂れ野郎が居らっしゃるというのなら、どうか私の行為を御赦し下さい。また、無辜の民を御救い下さい」


 男は、生まれて初めて、この世界を創り、人族を創ったとされる創造神にして唯一神に祈った。心はまるで籠っていなかったが。

 そもそも、神などという人間が作り出した偶像を欠片も信仰していない帝国で生まれ育った男に、神に心から祈れというのは酷な話だった。


 形だけの祈りを済ませた男は、遂に覚悟を決め、手に握り締めた筒を睨んだ。言葉は発しない。覚悟が揺らいでしまいそうだから。

 男は、妙な気を起こさぬうちに、普段通り保有する現状の全魔力をその筒へと流し込んだ。


 大食らいの筒は全ての魔力を平らげると、不完全ながらその力を発揮した。


 男の体から何か特別な、決して失くしてはならない大切な物が抜けていく。

 常人には知覚出来ない特別な「何か」が筒へと吸収されると、半ばほどで捻れた筒は逆方向へと捻れ、元々そうであったかのように、何の変哲もない筒へと早変わりした。


 空の受け皿と化した男はそれを見届けると、徐々に体の隅から、乾いた土の塵のように変わっていき、最期には等身大の土人形へと相成った。



 今日の日、リバル魔導帝国の帝都ベリルは、一夜にして陥落した。難攻不落の城塞都市として名高い帝都が一夜にして陥落した事実は、世界に激震を与えた。

 また、帝都陥落の一報は、同時に皇族の隷属又は没落を意味し、リバル魔導帝国は凋落の一途を辿り、瓦解した。

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