のんきなエルフとくたびれオオカミ

ターキィ

立志の章

1.ああっ、クソッ!


 西方世界と呼ばれる、その名の通り世界の西側のそのまた西の端っこのアルダルスと呼ばれる国の更に西の端っこの港街に、小さなエルフがいた。金髪の一つ結びで、可愛らしい顔立ちに尖った耳、歳は50手前だが、見た目は13、4ぐらいの少女であった。町娘のような服装をしており、使い古した鞄を肩にかけていた。そんな彼女は今下水道にいる。


「く、臭いです〜〜〜!!」


 かつて西方世界の全土を支配した帝国が作った巨大下水道網はこれまた非常に便利であったが、帝国が滅んだ今となっては誰も管理する者がおらず、その多くが魔物の巣窟となっている。そんな状態だと下水道から魔物が時々街に出ては悪さをするので、冒険者ギルドに駆除の依頼が入った。とはいえ下水道、誰も受ける者はいなかった。食うのに困ったこのエルフと、その同行者の他には。


「鼻が曲がりそうだな」


 同行者というのが、大柄な狼獣人の男であった。典型的な青みがかった銀色の毛皮をしており、獣人らしく筋骨たくましく、身なりは一般的な衣服の上に胸甲と籠手、外套だけを装備した、いかにも冒険者といったふうであった。腰には東洋風の刀を下げ、背中に西方世界では見かけないほど長い複合弓を差していた。手には光る魔石を嵌め込んだランタンを持っている。


「私帰っていいですか?」

「お前が受けた依頼だろ」

「でも、でもですね! こんなに臭いとは思わないじゃないですか!」


 屎尿とそれが腐った臭いで充満している。その上人道通路には魔物の糞や死骸が散らばっており、不衛生という概念を絵に描いたような光景であった。


「これも世のため人のためだ」

「世の人々はもっと私に尽くすべきですね」

「……そうだな」


 男は適当な返事をすると、耳を澄ます。ピンと立った耳が何やら不気味な気配を捉えた。


「何か音が」

「あーあー! 歌でも歌いましょうかねー!」


 しかしながらタイミング悪く彼女が歌い出す。


「私は美少女~♪」

「静かに」


 男が制止するが遅かった。下水道の奥から大きな音が近づいてくる。男はランタンを床に置くと、弓を構えて矢を番える。


「下がってろ、ステラ」

「ひぃぃ、お願いしましたからねジロさん!」


 そして巨大な蛇が汚水の中を這いずりながら現れた。大きさは5メートル以上あるだろう。眼孔らしきものは見当たらず、口は人間など丸呑みできそうなほど大きい。


「こんなのがいるとか聞いてない、が……」


 ジロと呼ばれた男はぼやきながらも余裕の表情だ。彼は狙いを定め、弦を引き絞り、放つ。放たれた矢は一直線に飛び、大蛇の頭を貫く。急所を射抜かれた大蛇はそのまま汚水の上に倒れ込み、高く打ち上げられた飛沫は二人の全身を包み込んだ。


「……」

「ぶえー」


 幸いにも流されずに済んだランタンに照らされた二人の表情は苦悶に満ちていた。服も荷物も屎尿まみれになり、男の方は毛皮にまで染み込んでしまっていた。

 


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ではなぜ、二人は屎尿塗れになってしまったのか。

 まずハイエルフの少女ステラには悲しい過去があった。

 この港街より遥か東には巨大な森林地帯があり、そこにはチェヘマ族と呼ばれるハイエルフの氏族が住んでいた。彼女はそこで悠々自適な暮らしをしていた。


「もう成人したんだから、訓練に行くか、職人に弟子入りするか、結婚相手ぐらい見つけなさい」

「へへへ、嫌でーす」


 ハイエルフ族は魔力の高い女性の方が権力が強かったが、それでも結局は結婚と兵役、あるいは技能を身につける事こそが一人前として認められる条件であった。ステラはあらゆる事を面倒臭がってやりたがらないがために、あまり出逢いに恵まれず、兵隊としても落伍者で、そして技能も身につけられなかった。

 彼女は子供の頃から本に取り憑かれており、様々な冒険譚に夢中になっていた。自分もこの登場人物たちのように偉大な存在になり、そしてチヤホヤされたい、彼女の夢であった。そんな彼女が故郷を飛び出すのは時間の問題であったのかもしれない。

 ある日、彼女は母親と些細なことで喧嘩した。


「ゴミ出しを手伝うぐらいなさい」

「絶対嫌です! そんなことするぐらいならこんな村出て行きます! バーカ! 滅べ!」


 ステラは生粋の堕落したやつドブカス野郎であった。ある意味では悲しい存在だが、屎尿に塗れるのも当然の帰結と言える。彼女は日記帳と鞄、父親のヘソクリを手に取ると、村を飛び出した。初めて見る森の外は新鮮で刺激的であったが、二日ほどすれば飽きて帰りたくなってきた。


「今更帰るのも恥ずかしいですし……」


 とりあえず、海にぶちあたるぐらい西に行ってみようと歩き続けた。

 道中は比較的安全であった。ハイエルフに関わりたがる人間は殆どいないためである。ハイエルフのイメージはとにかく悪かった。傲慢、利己的、癇症、潔癖とまあまあ酷い言われようであった。とはいえ路銀が尽きた時は流石に彼女の頭を悩ませた。


「あ、噂の娼館とやらにでも入ったら楽して稼げますねえ!」


 適当に見つけた娼館に入った当日、金はいくらか渡してやるから出ていってくれと追い出された。客を取るのにあれこれ注文をつけた挙句、行為の前に暴言を吐いて客を泣かせた上追い返したためである。ステラはちょっと反省しつつも、それを路銀の足しにし、ついに西の端の港街へとたどり着いたのである。

 街に辿り着いたその日の晩方にジロと出会った。彼は路地裏でむにゃむにゃ言いながら酔っ払って寝ていたのである。


「良さげな毛布があるじゃないですか!」


 彼は東洋の刀と大弓を携えた、狼獣人の大男であったが、ステラは自分の都合が最優先であるため気にしなかった。壁を背もたれに眠っている彼の服と毛皮の間にすっぽりと収まると、寝息を立てて眠ってしまった。

 当然翌朝、目を覚ましたジロは困惑した。


「財布から金が抜かれている」

「そっちですかぁ」


 ちなみにこればかりは流石にステラの仕業ではない。特に悶着などは起きず、彼はステラを受け入れた。彼は彼で問題を抱え人生に投げやりになっていたためである。彼は自分を屎尿を引っ被るには相応しいような存在であると定義していたのだ。いやそれでも当然のように受け入れるのもどうなのとステラは思わなくもなかったが、自分に都合がいいので黙っていた。

 ともあれ先立つものは金、現金、キャッシュである。二人は冒険者ギルドへと向かい、なんか報酬が良さそうな依頼を受けたのであった。


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