第5話 続く厄介事
指輪を奪われてしまった、それと声。
一度は冷静さを失ったイリゼだが、夜になる頃にはそれなりに表面上では平静を保てていた。
そしてイリゼが常に考えるのは、指輪の奪取だ。
しかしこのような状況で指輪を無理に手元に戻そうものなら、相当な体罰が待っているに違いないため慎重になる必要がある。
エティナの言葉通り命令をこぼさず受けなくてはならなくなったイリゼは、夜まで彼女に扱き使われ続けていた。
これなら普段の雑用を黙々とこなすほうが遥かにましである。そう思わずにはいられないほど、エティナは執拗にイリゼを呼びつけた。
(さむいなぁ)
夕食にもありつけず、イリゼは雪がちらつく外を歩いている。
向かう先は果実園。食後のデザートを所望したエティナが、新鮮な果物を採ってくるようにと言いつけたのである。
ちなみに物は
それに新鮮な〜というのは口実で、結局のところただの嫌がらせだ。
(さむ……ううん、寒いと思ったら余計に寒くなっちゃう)
月もなく、雪が降りしきる夜。
歩行するには困難だが、行灯のひとつも使うことは許されない。
イリゼは凍える体を何度も摩り、反対に「暑い暑い」と唱えて果実園までの道を進んだ。
とはいっても気力では限界があるので、イリゼは道行く先にあった小さめの松明を少し拝借することにした。
そのことに巡回の兵士が気づく前に、さっさとミーティユをもぎ取って戻ろうと足早に移動していれば、途中で人の話し声が聞こえてくる。
声質の異なる低い声がふたつ。出処はどうやら近くの温室からのものだった。
「オッサムダ卿のもとに、イリゼをですか!?」
「おい、声が大きいぞ」
イリゼの足が、その場でぴたりと止まる。
なにやら嫌な予感がして、首だけを動かして視線を温室の入口付近に向けた。
(私の名前を、言ったような)
聞き間違いだったらありがたい。
そうでなくても、エティナの召使いのように動いていた今日一日の自分を哀れんだ誰かの発言だとか。
その類いならいつものことで、わざわざ気配を殺して覗こうとは考えなかった。
(オッサムダ……?)
女児好きオッサムダ。
酒場で皿洗いをしていると頻繁に耳にする名前が、どうして温室から聞こえてきたのだろう。
(この前も、孤児院から幼子を二人ほど屋敷に連れ帰ったって話だった)
さらに不穏な想像が込み上げる。
イリゼは松明を手にゆっくりと温室のほうへ忍び寄った。
「しかし、イリゼは仮にも貴方様の血を分けた子供。あの奇怪な趣向を好むオッサムダの手に引き渡すのは些か……」
「ふ、私の子だと? オフィーリア亡き今、あれは用無しもいいところだ。今回の縁談でようやく役に立つというものだろう」
温室の中にいたのは、どちらも見知った顔だった。
極寒の地ザルハンの領主であるベクマン侯爵と、彼の補佐役を努めるマーティン。
「誓言式といった形式的なものは一切必要ない。すでに話はついている。あれを先方に引き渡せばそれで終わりだ」
「郷はイリゼを見たこともありませんよね? 女児好きとはいえ、なんて見境のない……」
「ああ、そんなことか。たんに黒髪が欲しかったそうだ」
「髪……?」
「あいつの髪は私と似た黒髪だろう? ここ一帯で黒髪の者などそうはいない。ゆえにいまだ手に入っていない黒毛が欲しいんだそうだ」
オッサムダ卿からの譲渡金は受け取っており、あとは舞踏会といった催しごとが片付いた頃にイリゼを引き渡すだけだという。
(私はこのままだと、女児好きオッサムダに……売られる?)
イリゼの頬に一筋の汗が伝った。
松明の温度によるものではなく、危機感の表れで出るものだ。
幸いベクマン侯爵とマーティンはイリゼが盗み聞きていることに気づいていない。
舞踏会に向けて温室も無駄に明るく装飾されているおかげで松明の灯りがかき消されているためだ。
息を殺し、イリゼはその場を離れる。
前髪の隙間から窺えるベクマン侯爵の横顔は、イリゼを思い出しているのか心底不愉快そうだった。
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