4.大学四年 八月
雨が外の音を全て掻き消してしまう。勢いは昨日よりも弱まったが、朝なのに薄暗い。
俺は机の上に置いたスマートフォンを手に取る。真鍋へのブロックは昨夜のうちに解除した。だが、それをあいつに伝えた訳ではないので、当然連絡は入っていない。もう見つかったのだろうか。柳沢からの連絡はない。
腹がエネルギー補給をしろと主張する。俺はさっと着替えて、階段を降りた。キッチンにはラップに包まれたツナのサンドイッチが置かれている。一緒にあったメモによれば、母さんは絵葉書の教室へ行っているらしい。
俺はインスタントのコーンポタージュを作って、遅めの朝メシをはじめた。漫然とつけていたテレビに、天気予報が映る。日本海側は晴れていますが、太平洋側は今日いっぱい雨になります。お天気お姉さんが教えてくれた。
さて、どうするか。予定は特にない。天気が良ければ、コロマルの散歩にでも行けるが、この雨ではあいつが嫌がるだろう。とはいえ、ずっと家に籠っていられる気分でもない。
真鍋に連絡を取るべきだろうか。だが、連絡を取れば、あいつはまた誤解するだろう。心配したからといって、恋愛感情があると考えるのは拡大解釈だ。しかし、今のあいつには、それが通じそうもない。これまでだって何回も穏便に可能性のないことを伝えてみた。申し訳なく思って、あいつの心に寄り添おうとしたこともある。だが、真鍋はそれを自分に都合よく考えてしまう。正直、どうして良いのかわからない。相手に話し合いが通じないなら、無視するしかない。
今まで俺は真鍋みたいな激しい恋愛感情を持ったことがない。持たれたことだって、今回が初めてだ。いっそのこと、あいつと付き合ってみれば、わかるのだろうか。自分自身を燃やし尽くして苦しんでいる真鍋を抱き締めて、俺自身も炎に包まれれば。
ってそんなバカな。俺自身、ゲイに偏見はない。けれども、自分がその対象となれば、話は別だ。そもそも真鍋に対しては、一連のあいつの所業で友だちとして持っていた好意すら、なくなってしまった。今さら付き合ってみたところで、上手くいかないのは目に見えている。それに試してみるなんて選択肢は既にない。真鍋がゲイで、俺のことを好きなことはみんな知っている。それに真鍋のことだ。俺が応えたら、みんなに言ってしまうだろう。その瞬間、俺も同じレッテルを貼られる。それが誰かに知られることを怯えて暮らさなくちゃいけない。
「オレにはやっておいて、いざ自分が同じ目にあうとなったら『嫌だ』なんて。この偽善者が」
真鍋の声が心の中に響く。俺は耳をふさいだが、その声は消えてくれない。
うるさい。お前だって悪いんだ。告白だけだったら、俺も自分の胸の中だけに止めておけたんだ。それなのにお前はーー。
やっぱり家にずっといるのは、良くない。気分転換が必要だ。食べ終わった食器を綺麗に片付けて、出掛ける準備を済ませた時にスマートフォンが震える。画面を開くと柳沢からだった。
「さっき真鍋のお母さんから、あいつが見つかったって連絡があった」
なんだ、見つかったのか。心配して損した。まったく、大騒ぎする必要なんてなかったじゃないか。バカバカしい。にしても、どこをほっつき歩いていたのだろうか。
「どこにいた?」
「石川県。能登半島の方みたいだ」
能登半島? 何の用があってそんなところへ行ったのだろう。前に「卒業旅行で一緒に行こう」って提案されたが、その計画はとっくになくなっている。
「何でそんなところに行ったんだ?」
「わからない。真鍋のお母さんが向こうへ行ってる。僕たちも後で警察に呼ばれると思う」
警察? 真鍋が何かやったのだろうか。それだと、俺たちが呼ばれるっていうのは、よくわからない。
「何で?」
「あいつ、崖から落ちたらしい。事故か、自殺か、わからないから、事情聴取したいって。お前のところにも後で連絡がいくと思う」
俺は足の力が抜けて、床にへたりこんでしまった。
真鍋が死んだ。
あいつが自殺する理由は、ある。俺はあいつの告白を断った。俺はあいつがゲイだっていうことをみんなに言ってしまった。あいつはそれで精神科に通うようになった。そして、あいつは死んだ。死んだのは誰のせいか。俺のせい? 何にも知らない奴が聞いたら、そう思うだろう。俺は人殺しだ。ゲイの同級生の気持ちを踏みにじったばかりか、周りに言いふらした人間。期待を持たせるようなことを言ったんじゃないか。実はその気があったんじゃないか。あんなになるんだったら、ちょっとぐらいやらせてやれば良かったのに。無関係なやつらが無責任に影で言っていた言葉が頭の中で繰り返される。
腹の底からこみ上げてくるものを感じて、俺は急いでトイレへ駆け込んだ。身体中にあふれかえった言葉に押し出されるかのように、さっき食った朝メシが吐き出される。
これがあいつの復讐なのだろうか。だとしたら、効果はてきめんだ。でも、俺だけが悪いのだろうか。俺はどうしたら良かったんだ。
俺が電車のドアから真っ暗闇の外を眺めていると、車内アナウンスが次の駅名を告げた。スマートフォンで送られてきた真鍋の通夜が行われる会場のある駅だ。あれから警察での事情聴取やらなんやらがバタバタあって、今日まであっという間だった。
目的地に着いて改札を出ると、道沿いに一軒家が並んでいた。どの家からも明かりは漏れているが、虫の音だけが鳴り響く。街灯が、ぽつんぽつんと進むべき道を示すように並んでいる。一緒に電車から降りた人々は、まるで明かりに誘われるように歩いていく。
本当に行かなくちゃいけないのだろうか。当事者の俺はきっと好奇の視線を浴びることになるだろう。それに、真鍋の家族にどんな顔をして会えば良いのか。でもーー。俺は周りを見渡す。幸い、まだ知り合いには誰にも見つかっていない。帰るならば、今のうちだ。駅の方へ振り返ったら、ちょうど出てきた柳沢と目が合ってしまった。後ろには大久保さんがいる。
「新井、大丈夫か。ちょっとやせたみたいだけど」
「ああ」
「気にするな、っていうのは無理か。全部、お前のせいじゃないって。遺書はなかったんだろ」
警察の話では、事故なのか、自殺なのか、なんとも言えないらしい。せめてどちらかハッキリしていたら、こんなにも心が乱れることはなかったのだろうか。
心配そうな顔で柳沢は俺の顔を見る。
「お通夜、行かない方がいいんじゃないか。聞いただろ。真鍋のお母さんが『訴える』って騒いでる話」
「うん。今日、家に向こうの代理人っていう弁護士から連絡が来てた」
「マジ? じゃあ、無視する訳にもいかないか。にしても、本当にやるなんて。僕のところにも来るのかな」
柳沢は頭を抱えている。本田のところにも来たって言われたので、きっとこいつや大久保さんの元にも届くだろう。でも、みんな俺から聞かされただけだ。何も悪くない。
柳沢も本田みたいに「お前のせいだ」って言ってくれたらいいのに。罰の深さだけが、俺に罪の重さを実感させてくれる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます