鉄仮面な美少女と病弱な図書委員長が図書室でラブラブになる話

八幡ヒビキ

第1話 どっちが「ぐり」で、どっちが「ぐら」だって?

 千葉房総半島の南端、館山には一足早く夏がやってくる。


 穏やかな風がカーテンを揺らし、夏の日差しになりかけている陽光が差し込む。


 そんな放課後の図書室の窓辺に、上泉玲花かみいずみ れいかは目的の上級生を見つけた。


 本のページをめくり、前髪を風に揺らしているアンニュイな彼の姿を見て、玲花の足は止まった。


 少し中性的だな、と玲花は思った。


 腕に図書委員の腕章をつけており、姉から聞いていた特徴とも合っていたから自分の尋ね人に間違いないだろう。彼が座るテーブルの正面に立つと、彼の読書の邪魔だと分かっていて、声をかけた。図書室には他に誰もいないから、話しかけても彼以外は邪魔することにはならない。


「図書室の、仙人センパイですか?」


 春風が玲花の前髪も揺らした。


 うっとうしいので前髪を指で横に流す。


 図書室の仙人と呼ばれた少年は、面倒くさそうに顔を上げたあと、少し驚いたような顔をした。


「その肩書きは好きじゃないんだけど」


「他の呼び方を、知りませんから、センパイ」


 やれやれと顔に文字を浮かべたような表情をし、センパイと呼ばれた少年は本に栞紐を挟み込んだ。


「評判の新入生の美少女がなんの用かな。確か双子の――そう、上泉かみいずみの双子、だ。特進クラスに有名人の娘が入ってくるって噂になっていた」


「よくご存じで」


 玲花は自分が表情を固まらせてしまったのが、わかった。


「聞きもしないのに校内の情報をいろいろ教えてくれる友人が何人かいてね」


「じゃあ、私が、『双子のダメな方』、ということも、知ってますよね? もしくは、鉄仮面、かな」


「ああ、それは少し聞いているのと違うな。君は『双子の性格の悪い方』だろう」


 陰でそう言われているのを知ってはいても、面と向かって言われるとさすがに凹む。しかしセンパイはそのままこう続けた。


「でも、それはそう聞こえてきているだけのことだよ。性格が悪いかどうかなんて、噂話はあてにならない」


 私の表情を読んだのだろうなあ、と思いつつ、センパイの顔を見る。


 中性的な顔立ちで、化粧映えしそうな線の細さからは今のような言葉を口にするようには見えない。気弱そうで、年齢よりも幼く見える。しかし彼は気にしている自分を、それとわかるように気遣ってくれた。


 なるほど、と思う。


「僕は占い師でもなければスクールカウンセラーでもない。もちろん恋のキューピットでもない。ただの図書委員――今年は委員長だけど。調べ物なら司書の仕事として手伝うけど、君の場合、調べ物ではなさそうだね」


 彼にとって自分の悩みの相談に乗ることなど面倒ごと以外の何物でもないのだろう。


 そう思うと、声をかけた理由を口にするのが憚られた。


 センパイは席を立ち、玲花の後ろに立つと椅子を引いた。


「座ってくれる? 話を聞こうかな」


 身長は玲花の方が5センチほども高いだろうか。そうだとするとセンパイはたぶん、160センチくらいだ。


 玲花はその言葉に戸惑うだけだったが、両肩をやさしく掴まれて座るよう誘導された。


「なに勝手に触ってるの!」、


 座ってから玲花は血相を変える。


「立たれていたら話せるものも話せなくなるよ」


 それはそうだが、玲花は先に言葉が出る。


「勝手に女の子に触るものじゃないでしょう!」


「はいはい」


「高くつくからね! こんな美少女に触れたんだから」


 顔がとびきりかわいいのは母譲り。それだけではない。外国人の祖母譲りの亜麻色の髪に白い肌。父親譲りの均整の取れた身体と筋肉。どれをとっても平均からほど遠い、完璧に近いスペックだ。


「自分で言うんだ」


 センパイは苦笑しながら席に戻った。


「これじゃあ、性格悪いって言われても仕方がない」


「360度どこから見ても美少女だって言われるんだから自分で言って悪い?」


「事実がそうだとしても、日本では奥ゆかしさが美徳とされてきたからね。自分から言っていたら魅力は半減だよ」


「正論ばっかりだ」


「正論を言われて反応するのは、そこに問題があるって自分自身分かっているから反応するんじゃないのかな」


 カチンときた。


「もう、いい」


 玲花は一度は座った椅子から立ち上がったが、数秒固まった後、また座った。


「自分の行動が間違っていたら、すぐに修正できるのは美徳だと思うよ」


「悔しい」


 玲花は憮然としてうなだれる。


「感情をストレートに言葉に出せるのも善し悪しだけど誰かを傷つけない分にはいいと僕は思うよ。言葉にしたら少しすっきりしたんじゃない?」


 言われれば、そうかもしれない。


「――なるほど、図書室の仙人だ」


「いやだから、そう言われるの好きじゃないんだって」


「傷つけました?」


「そこまでじゃない」


「では、良かったです。反省します。ではなんと呼べば?」


「センパイでいいんじゃない?」


「いや、さすがに名前くらいは教えてくれてもいいじゃないですか」 


「――名前を聞くなら自分から名乗らないと。等価交換だよ」


 ぐぐ、と玲花は拳を固めてこらえる。


「特進クラス1年、上泉玲花です」


「特進クラス2年、坂崎空河さかざき くうが


 坂崎センパイは自嘲したように笑った。


 どうやらこの名前にコンプレックスがあるらしい。


「どうせ聞こえてくるだろうから言っておくけど、キラキラネームだから」


「そうですか? 聞かないけど変な名前ではないですよね」


「仮面ライダーから名前をとっているから」


「うわあ」


 ヲタ親だったらしい。


「みんなそういう反応だよ……」


「言わなきゃいいのに。分からないですよ」


「こういうのは自分から言っておいたほうがすっきりする」


「仙人センパイじゃなくてライダーセンパイだったんですね」


 玲花は真面目な顔を作ってから言う。


「じゃあ、話を聞こうかな」


 坂崎は小さく頷いて笑った。


 玲花は合点がいった。1回、話題を変えて、しかも自分の弱みを見せて、話を聞く相手の緊張をほぐしたのだ。自然にやったとは思えないからテクニックなのだろう。


 実に興味深い。


「今日はやめておきます」


 すぐに相談してしまうのはもったいない気がした。なんと言っても、初対面なのにもうこんなにも感情を言葉にして出せる相手は初めてかも知れない。


 坂崎は肩透かしをくらったようで、少し口を開けた。


「――そう。ご機嫌を損ねたのでなければいいんだけど」


「ぜんぜん。代わりにオススメの本を教えてください」


 会話を長引かせたいな、と思った。この人物は興味深い。玲花は彼の引き出しの中を少し見たいと思う。だからすぐに終わってしまってはつまらないとも思う。同時に、普段あまり話が出来ない分、この人と話したいとも思う。


「それはいいけど無茶振りだ。君がどんなものが好きなのか、何を求めているのか、どんな価値観を持っているのか何も知らないんだから」


 自分の一言で思ったより多くの引き出しを開けたようだ。センパイは『私』を見てオススメを選ぼうとしてくれている。それは真摯な姿勢の証明だ。


「じゃあ、センパイが最近読んだ本を教えてください」


「これ?」


 テーブルの上の本を指し示すとタイトルに「日本古代の祭祀考古学」とある。


「さっぱりだ」


「フィクションはもうあまり読まなくてね。ご期待に添えないかもしれない」


「じゃあ、代わりにセンパイが子供の頃に好きだった本を教えてください」


「ハードルをぐっと下げたね。でもここにはないよ。『ぐりとぐら』だし」


 有名な絵本だ。ぐりとぐら、2匹のネズミの兄弟がカステラを作る話を皮切りにシリーズ化している。


「そうきたか。ホント、センパイ、期待を裏切りませんね。いや、ウチにまだそれあると思うし」


「知ってる? ぐりとぐらって、ネットで調べるとネズミじゃないんだってさ」


「えええ?」


「その正体は手長ウサギってネットで検索すると出てくる」


「知らなかった。どうして? ぐりとぐらは耳は長くないよ」


「もちろん本当はノネズミさ。でもネットで検索すると最初に『手長ウサギ』って出てくる。そのあとに『くるりとくら』ってちゃんと書いてあるんだけどね。どうしてそうなったかっていうと、手長ウサギの『くるりとくら』がゲスト出演する回があるんだけど、その絵本の本文に『正体は手長ウサギ~』って出てくるから『正体+ぐりとぐら』を検索すると、トップに出てくるのが『手長ウサギ』って情報になる。ちゃんと読まないと騙される。全部ひらがなだから、普通に目が泳いじゃうんだ。ネット情報はしっかり読み込まないと大変なことになるよねって例」


 そこまで話をして坂崎はうなだれた。


「ごめん。またやってしまった……」


「いえいえ、続けてください」


「本当に? じゃあ、ちょっとだけぐりぐらネタを続けようか」


 坂崎は笑顔になる。


「ではクイズです。青いのと赤いのとどっちがぐりで、どっちがぐらだ?」


「気にしたことない」


「じゃあ、家に帰ったら表紙を見て考えてみよう。家にあるのなら、画像検索しちゃだめだよ」


「釘刺された」


「明日、答え合わせにおいで。待っているから」


 坂崎は小さく手を振った。


「厄介払いか」


「余計な一言だ。だから性格悪いって言われるんだと思うよ」


「これが私ですから」


 玲花は席を立つ。


「待っているって言いましたよね。約束ですからね」


「具合が悪くならなければね」


 センパイはまた小さく手を振った。


 ふん。今日のところはこれくらいにしてやる。


 玲花はそう思いつつ図書室の出口に行く。


 そして振り返って窓辺のセンパイを見る。


 センパイは本に目を戻していたが、玲花の視線に気づくと言った。


「また明日」


 そんなことを言われるのは久しぶりだった。


「また明日、センパイ」


 玲花は指を銃の形にしてバン、と言って彼を撃った。


 坂崎は胸を押さえ、撃たれたように苦しむ仕草をした。


 玲花は思わず、小さく吹き出してしまう。


 そして久しぶりに笑っている自分を見つけ、内心驚いたのだった。




 家に戻ると双子の姉である玲那はまだ帰宅していなかった。入学してからはずっとだが、部活だろう。母の南がキッチンで夕食の準備をしており、玲花の帰宅を確認すると声をかけた。


「? 何かいいことあった?」


「あったの、かなあ」


 まだそうかどうかは分からなかった。


 ダイニングにはまた顕彰の盾が増えていた。リボンがついているから、レプリカではない。また勝ったらしい。S級1班にとはいえ、まだ返り咲く気満々なのだ。だからこそこの歳まで戦えるのだろうが、父は超人である。


「お父さん、遠征中?」


めぐるくんも一緒よ。G1」


「それはそれは。また勝ってくるかな」


 初恋の人の名前を聞くと、まだ凹む。


「さあ。勝っても負けてもお父さんは変わらないからどっちでもいいわ」


 上泉家的にはもう資産的には何の問題もない。とっくの昔に、引退しても余裕で暮らせるだけの賞金を獲得している。それだけではない。地元の館山市議会議員、いや、千葉県議会議員に出馬しないかという話も何度も断っている。ただ戦いたいから戦い続けている父を献身的に支える母は配偶者の鏡だと玲花は思う。


 玲花と玲那の父、上泉駆かみいずみ かけるは40歳半ばになろうという今でも競輪界の第一線、S級1班で戦う競輪選手だ。巡は父の一番弟子で、現在はS級2班に所属し、国際競技大会で銀メダルをとったこともある将来有望な若手である。そして、玲花と玲那の初恋の人でもある。さすがに年齢が離れすぎていて初恋は無残にも散ったが、今でもやっぱり理想の男性像は巡だ。


「瞬くんは?」


「ロード練」


「男の子はみんな自転車に夢中になるのかなあ」


「人に寄るでしょう。たまたまとは思わないけど」


 高見沢瞬たかみざわ しゅんは巡に続く2人目の里子だ。娘と同世代の男子の里子を家に入れる両親もどうかと思う。小学生の時とはワケが違う。彼の居室が離れにあるとはいえ、風呂は一緒だ。誰にも言わないし、告る気もないようだが、玲那は瞬くんに夢中だから、事故が起こらないとは限らない。


 まあ、少なくとも姉の邪魔はしたくないなと思う。


 自転車少年に夢中になるのは母の血か、と思わないでもないが、自分が瞬くんとどうにかなるのは想像もできなかった。だからバランスがとれていいかとも思う。


「あ、そうだ、『ぐりとぐら』ってどこにあるかな」


「普通にロフトの本棚」


「ありがと」


「なあに? 珍しい」


「うん、ちょっとね」


 玲花は階段を駆け上がり、2階の自室からはしごを登ってロフトにあがる。


 ロフトには読まなくなった本を母がきちんと並べてくれている。そんな暇があるとは思えないのだが、こういうときには助かる。


 大判の本なので本棚の下の方の高さがあるところに他の絵本と一緒にその本が並べられていた。


『ぐりとぐら』


 青い服と赤い服を着た野ねずみが表紙だ。


 玲花はペラペラとページをめくる。


「『ぼくらの名前は』しか書いていないじゃないかー」


 最後まで読み終わって玲花は声を上げてしまった。


 なんといういじわるなクイズだろう。


 ネットで検索してしまえば簡単に分かるだろうがそれではクイズにならない。ズルだ。


 ぐぬぬ、と美少女らしからぬ唸りを上げても、分からないものは分からない。


 唸り続けても時間の無駄なので今日の復習と明日の予習を始める。


 玲花と玲那が通う特進クラスはこの南房総地域で一流大学への進学を志す生徒が一堂に会するところだ。南房総の高校では一番偏差値が高い。そのため、クラスの中で成績を維持するためには努力が欠かせない。今のところクラスで存在感を示せているのは成績だけだ。コミュ強で性格もいい姉の玲那にこれ以上比較されるのもイヤだし、これくらいしか姉に比べて秀でたところがない自分は勉強するしかない。


 そういえば仙人センパイ、いや、ライダーセンパイも成績はいいって玲那姉が言ってたな。


 玲花はそんな情報を思い出し、何を考えているのか自分でも分からなかったが、少し彼との接点が増えたかな、と思った。

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