第5話

 オレ達は身支度を終え、玄関に向かう。イオルには応急処置として、体操着ズボンを穿かせた。


「とりあえず、行こうか」


 オレは二人にそう言って、みんなで、この家を出た。家の電気も消して、戸締りを確認し、それから歩き出した。


「美麻の家につくまで、何か話すか」


「そうだね。でも、どこから話せばいいのか……」


 オレ達は日が落ちて暗くなった道を歩く。街灯が照らすその道を横に並んで歩く。ここは比較的幅が狭いので、三人が並べば、それで道がふさがる。後続車がいないかなどを確認しながら歩く。


 こういう場合は人通りが多い所を歩くのがベストなのだろうが、そうしていない。何故かと言われたら、特に理由がないので説明できない。だが、住宅街ではあるので、何かしら目撃はあるかもしれない。有名な話だが、もし困った場合は「火事だ!」と騒げばいい。その方が外を見る人の比率が多いから。兎にも角にも、何もないのを望む。


「外、恐い」


 これはどういう意味で言ったのかはわからないが、イオルは、オレの腕にしがみつきながら言った。


「イオルちゃんて、昔からそうだったよね」と、美麻は笑った。オレはあまり笑えなかったが、軽く笑ってみせた。


 だがしかし、イオルは美麻の言うとおり、外を恐がっていた。あの公園から出るのをことごとく嫌っていた。見知らぬ場所に行くのを拒絶していた。これも、それの一種なのだろうな。


「美麻。……手、握っても……いい?」


「いいよ」


 朗らかな表情だった。優しくイオルの要求に応える。


 今のイオルは、片方の手でオレの腕を持ち、身体をくっつける。そしてもう片方の手で、美麻の手を握っていた。少し歩きづらい格好だ。しかし、傍から見ると仲の睦まじい兄妹のようだろう。ちょっとだけ……嬉しかった。美麻は家族ではないのを理解しているのだが、それでも、この三人が家族である、そういう妄想を作り出せる。それは、オレにとってとても心が安らぐのだった。


「初めて……公園の外で、遊んだの……覚えてる? あの……でっかい、建物で……遊んだ」


 ここでイオルが過去話を切り出してきた。オレ達の目を交互に見る。


「ああ。あれか。そういえば、デパートのゲームコーナーで遊んだなぁ。覚えているよ。あまりにも人が多かったもんだから、イオルがオレの後ろでずっと隠れていたよな」


「それは……初めて……だったし……」


 イオルは少しふくれっ面になった。


「透はゲームが下手だったよね。UFOキャッチャーとか全然取れてなかったじゃん」


「アレは……いいだろう。軍資金少なかったし。それに、何個かお菓子とってただろう」


「誰でも取れるでしょ。安いお菓子がたくさん入っていた奴だったし」


「厳しいなぁ。でも、イオルを使ってちょっとイカサマしたよな」


「……ちょっと、ドキドキした」


「パイの実は美味かったよね。だけど、アレは一回だけだったよね。やっぱり、そういうのはよくないって……」


「そうだったよなぁ。懐かしい……」


「楽しかった……よね……」


 もう一度あの頃に戻りたい、と不思議な気持ちになった。懐旧に浸り、もう、あの頃は戻ってこないんだよな、と哀しい気持ちになった。


「そうだ!」美麻は何かを思いついたようにパンと手を叩く。


「……どうしたの?」


「明日、買い物に行こうよ。イオルちゃんの服とか、髪とか……いっぱいやる事あるじゃない?」


「ああ。それはいいかもしれないな」


「えっ……いいよ……別に……」イオルはフルフルと首を横に振った。遠慮をしているのだろう。


「いいじゃないの」美麻はイオルと握っているその手をぶんぶんと縦に振った。イオルは軽い悲鳴を上げていた。「だってさ、イオルちゃんさ、ずっと暗い感じじゃない」


「そう……か?」鋭いな。でも、確かに、明るくはないよな。


「だからさ、久々に楽しいことをして、羽でも伸ばそうよ。遠慮なんかいらないわ」


 美麻は笑いながらそう言った。


「…………うん」イオルはあまり浮かない顔だった。


「やはり、人混みが嫌なのか……?」


「……うー……ん。そう……だね」


「大丈夫! 何とかなるって」


「そういう根拠はどこからでるんだよ」


「特にない」


「あ、そう」


 兎にも角にも、明日、オレ達は遊ぶことにした。昔のようにで。




 十一時ぐらいにオレ達は街へ向かった。


 イオルは昨日の時もそうだったが、よくもまあ食べる。本人が言っていたが、まともな食事は何年も取っていないと言っていた。久しぶりに炊き立ての白米を見て、泣くほど感激していた。それから、何杯もおかわりし、おかずもバリバリ食べていた。あっという間に食卓の上が静かになった。オレ達は苦笑いしていた。しかし、元気で何よりだ。


 今日の朝もよく食べていた。オレはたいしたものは作れないので、ご飯とか味噌汁とか、そんな感じの一般な朝食を作った。昨日の段階でイオルの食は理解できていたので、多めに作ったが、それも無くなった。まあ、栄養失調気味の体なんだから、多く食べる事に越したことはない。だが、少しは遠慮してもらいたい。というのが少々な本音ではある。


 イオルもその事を一応は理解しているのだが、食べると、つい我を忘れてしまうらしい。本当に、まともな食事にありつけるのが嬉しくてたまらないらしい。


 今日の予定はデパートで買い物だ。生活の必需品を買いに行く。あとは、服とか色々。どうやら、というかやはり、イオルはオレの所でしばらくは過ごすことになるので、そういったものが必要となっていく。果たしてうまく生活していけるのか、そこが議題となっていくが、まあ、なんとかなるだろう。


 今日の費用は全てオレが持つ事になっている。美麻も少しは出す、と言っているが、オレにはちょうど、余るほどお金があるのだ。史さんからの仕送りである。この時の為に溜めていたようなお金だと思えば、安いものだろう。快く使わせていただこう。


 最初は、美容院へ向かった。イオルの髪型を整えてもらう。イオルの髪の毛は地面に届きそうなぐらい伸びていた。ここに来る前にオレの家で美麻がイオルの髪型を整えてはいたが、それでも、うまくはいっていないようだった。女子の髪型についてはよくは分からにが、美麻は三つ編みとくしゅくしゅ結びとかいうやつを合わせた髪型、と言っていた。服の方は美麻のおさがりである。イオルは年齢に比べて小柄なので、一〇歳前後の服がちょうど合っていた。女子の身長とかはあまり変わらないと思っていたが、そんな事はないんだな、と感じた。


 やはり先に昼飯でもとっとくべきだったか、少々小腹がすいて来た。当たり前ではあるが美容院は長い。美麻もついでにやってもらっているので、オレ一人が待たされている形になっている。オレは携帯をいじりながら暇をつぶしていた。


「ごめん。お待たせ」


 ようやく終わったらしく、二人は申し訳なさそうに言った。美麻はパーマをかけたようで、髪がクルクルと巻いていた。イオルの方は、ただ短くした、という感じで、腰ぐらいまでの長さになっていた。ナチュラルストレートというもので、特にいじってはいなかった。だが、これがイオルに一番似あっている髪型だと思う。年齢にあった女の子の可愛さが十分に出ていた。その可愛さは誰もが立ち止って見惚れてしまうほどである。


 会計を済ました後、昼食を取りに行く。オレ達は洋食店へ向かった。美麻が一回行ってみたかったお店があるという事で、そこに行くことになった。昼の時間は過ぎたとしても、多少混んでいた。お店の外で座りながら待つ事にし、そこでこれからの事を話していた。昼食を終えたら、ここの下の階にあるお店で色々回るということを決めた。


 そして、ようやく名前を呼ばれ、店の中へ案内される。店の中はあまり広いとは言えなかったが、雰囲気は静かな感じで良い印象を受けた。四人用のテーブル席に案内され、そこで、オレ達は腰を落ち着かせた。


 オムライスがうまいという事なので、二人はそれを選び、オレは無難にカレーライスを選んだ。オレはイオルの分を少し貰って、それを味わってみたが、確かに、おススメするだけあって美味かった。卵が口の中で溶けるようにトロトロとしていていた。食レポは苦手なので、これぐらいで勘弁してもらいたい。とにかく、美味しかった。もちろん、カレーも。


 そんなこんなで昼食を終え、オレ達はイオルの服を見て回った。基本、美麻が選び、オレがそれを判断する、という形だったが、ほとんど店員さんと話して決めていた。イオルは着せ替え人形のように遊ばれている感じに見えた。みんなノリノリだった。


 オレは外で待っている、と美麻に一言声をかけ、外の自販機でジュースを買い、それを飲みながら、エスカレーターの前のベンチに座った。オレはため息をつきながら、二人を待っていた。


 ぼんやりしていると、オレの目の前を通った男性が、メモ帳を落としたのだ。それに本人は気づいていないようだった。オレは急いで、「あの、落としましたよ」とそれを本人に渡した。


はじめその人は、何だ? オレを訝しく見ていたが、オレの用件を知ると、「すみませんでした」と態度を変えた。


 男性は二十後半ぐらいの人で、眼鏡をかけていた。優しそうな表情をする人で、いい人そうだなと第一印象では思った。


「ありがとうございます。これには大事なことが書いてあるので……」


「そうですか。それは大変でしたね」


「ところで、誰かを待っているんですか?」


「え?」オレは急に質問されたので、うろたえた。


「いえ。何となく、そんな感じかなと思っただけですよ」


「いえ。確かに……そうですね。買い物が中々長くて困りますよ」オレは頭を掻きながら笑う。


「という事は女性ですかね?」


「まあ、そうです。友達ですけどね。」


「そうですか。女性の買い物は長くて大変ですから。それに、荷物持ちとかさせられますから、困ったものです」肩をくすめる。


「面倒くさそうです」


 オレはこの人とは初対面なはずなのに、こんなにも気さくに話をしている。この人の特性でもあるのか。話しやすかった。


「何はともあれ、友達は大事にするべきですよ。人生は何が起こるかわかりませんから。一人でも、心を許せる友人がいるといないとでは、全然違いますから」


「そうですね」


「人との関わりが強い今を大切にしていってください……ああ、すみません。年を取ったのでしょうか。変なことを言ってしまいました」


「いえ。オレは大丈夫ですよ」


「では。ちょっとお詫びに……」と、言って男性は何もない掌から、パッと一輪の花を取り出した。「手品です」いつ仕込んだのだろうか「スカシユリという花ですよ。これをご友人にでも差し上げてください」と、そう言った。


 オレは「ありがとうございます」といってそれを受け取った。男は薄く笑い会釈し、そのまま去っていった。


 何だったんだろうな……。とその後姿を眺めていた。そうすると、買い物を終えた二人がやってきた。


「お待たせ」


 両手にたくさんの紙袋を下げていた。


「……トオル、今の……誰?」


「ん? あー。さっき会った人だよ。ああ、そうだ。これをあげるよ」


 オレは、さっきあの人にもらった花をイオルにあげた。


「何これ?」と、美麻が訪ねた。オレはスカシユリと教えてもらった名前をそのまま言った。


「……ありがとう」イオルは表情を曇らせていた。オレがどうかしたか? と尋ねると、首を横に振った。


「スカシユリって、飾らぬ美とか、注目を浴びるとか、そんな花言葉だった気がする」


「花言葉か。そんなのをよく知っているよな」


「何となく、知っていただけ。可愛いじゃん。なんか」


「……ユリ……か……」


 イオルが哀しそうな顔で呟いた。その声は切なく聞こえた。


「……別に。なんでもないよ。それより、次のとこ、いこ?」


「そうね。そうしましょう。という事で、透、少し持って」


「はいはい」


 そんなこんなでオレ達は買い物をつづけた。終わったのは五時ぐらいだった。オレは勘弁してくれ、と疲れ切っていたが、二人はどこにそんな体力があるのか、元気だった。


 買い物を終えた後、オレ達は、美麻の家の途中まで行き、そこで別れた。オレとイオルが二人きりになり、そこから、家に帰ることにした。


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