考 共感覚と小説 なろう小説の発する体験

 小説は文字の集まりだ。その文字の集まりから、様々な質感が伝わってくる。やわらかさ、あたたかさ、残酷さ、非情さ、暗さ、といった様々なものが。

 記号と概念の連なりとしての小説は、見ることを通して、見る以外の感覚を体験させてくれる。あたかも、別の世界にいるように、体験と感覚の想起を起こさせて、それらを組み合わせる。

 ひとつの描写は世界への入り口であり、描写の連続したものを体験した果てには、別世界が待っている。

 文字という媒体を通して、著者の感覚を疑似体験する。実に不思議な体験だ。


 ところで、最近の書き物のはやりには、異世界転生チートという設定がある。私の私情をはさむと、ややついていけない部分もある。多少ゲームはやったのだが、いきなりスキルだのなんだのという説明が続くと、覚えておくのに一苦労だ。かたわらにメモしたものを置いておかないと、誰が何のスキルを持っているのか判別できない。

 そこで、ふと、思った。なぜ、異世界転生チートなのか。異世界に行きたがるのはなぜか。転生するのはなぜか。チートを持つのはなぜか。そこに疑問を持った。その設定を使うにあたって、何かしらの願望があり、その願望が満たされていくところに、共感するのではないか、と考えた。断じて、スキルが読みづらいとか、覚えづらいとか、中二病万歳とか思って批判したいわけではない。

 とにかく、つまるところ、共感覚によって伝わる世界に表される願望とはなんなのか、という疑問を持った。

 ただ、単なる現実逃避などとぶったぎっては、つまらないので、勝手に真面目に考えてみる。批判したいわけではないから。


 まず、チートについて、考えてみる。チートは、作中では、その世界の常識を超えた能力とされている。そのチートを以て、人助けに至るところに、私は、日本のある労働観を見る。家業と職分だ。家業はイエをひとつの単位として見る生業だ。職分は、その職業が社会においては何の役割を担うかということだ。この、職分というものが、なろう小説のチート能力というものに、親和性を持つ考えだと思っている。

 ここで、能力について考えてみる。チートとは、もとは不正の意味だ。そこから転じて、その世界で、不正と思えるほどに逸脱した能力のことと見るからだ。

 能力とは、まず、見ることのできないものである。何ができるかという言葉を発するとき、そこにあるのは、成果であって、能力そのものではないことが多い。特に労使関係や請負契約ではそうなるだろう。以下に、論文から抜き出した語句を並べてみる。

 ・賃金を生み出す源泉

 ・支配の理由となるもの

 ・業務を遂行し企業の活動の利益となるもの

 このような語句があった。これらの語句の背景にあるのは、能力主義であり、成果主義の評価だ。例えば、企業にあっては、利益に繋がることを実現できることを以て、能力があると評価する。そもそもの能力というのは、属人的なものであって、固有のものである。それに対して、社会の需要をいかに満たすかという概念を付け加えたものは、成果主義と言ったほうがいいだろう。

 その価値観は、この社会に根深く浸透していると見る。

 いわゆる、なろう小説においては、スキルは可視化される。そのスキルの重要性についても、世界では周知の事実であったり、実践によって、すぐに明らかとなるように見受けられる。つまり、その技能を持つことの社会的意義というものが、ハッキリとしているところに特徴があると思う。(そうでないと小説にならないとか言わないで。) 皆に分かりやすく、どんなシーンで必要とされるか明確なところに、成果主義の世の中に対しての不満というものを、私は感じる。己がどんな能力を持っていて、どんなときに何をしていく役割を担うのかについて、不明瞭な社会であることに不満があると見る。

 また、企業の利益というものを中心に据えられた評価と、分離された労働工程による疎外により、人間個人としての存在に疑問を持っていることを表していると思う。

 また、神の力で能力を得たり、偶然のバグによって力を得るというところもポイントだと思う。個人の持つ運命と言えばそれまでだが、現実にはそこまで都合のいい出来事はないだろう。なにをできるか明確に与えられて、場合によっては説明すらついている。私は、そこにピンときた。それを世の中は求めているのだ、と。(もちろん全員じゃないぞ)。努力に次ぐ努力によって、成功を獲得することが正義とされている自助努力の世界において、救いの手が与えられること、そして、自らの役割を運命的に得ることを、欲しているのだと思う。

 以上のように能力について考えた。私としては、なろう小説のテンプレートプロットなるものは、成果主義に疲弊した心のわだかまりを解消した世界を考えたときに、可視化された技能と、その役割の明確さ、唯一無二の役割というところに至ったと考える。ここには、現在の能力主義や、成果主義といった社会思想が影響していると考える。成功は努力の結果であり、努力をしていないものこそ失敗しているのだ、という価値観に対するものがあるんじゃないか、と。

 結果から人格を評価されて、社会においての立ち位置を他人に決められる。この当たり前にある自己決定の排除に対してのアンチテーゼの意味合いもあると見る。

 自分の努力により成功し、人の認める数値によって能力があるという評価を受け、他の人間を支配する立場に立つという現在の仕組みがあり、隠せぬほどの、勝者と敗者の分断がある。それを、所得階級に関係なく知っているからこそ、小説という媒体に表現として、存在していると見る。

 この、チート能力と、それにまつわる関係性の描写について、己の職分を理解し、全うしたいという日本的労働観が表れているものと見ている。


 次に、転生だ。転生というと、宗教的な意味合いを思い浮かべる。実際、作品の中には、天界とか、魂の待合室とか、死後の世界を表現しているところもあり、輪廻転生のようなイメージを持たせている。

 辞書的な意味では、生まれ変わることによって、自身の環境や生活を一変させること、とある。素直にとらえると、自分の生活を一変させたいという願望と見える。それは、生活への不満と見える。

 前世の記憶を持っていることから、転生というよりは、生まれ変わりというものに近いように思う。

 輪廻とは、何度も魂が生まれ変わること。転生とは、生まれ変わりそのものを指す。

 転生に関係する宗教というと、バラモン教、仏教、ギリシア哲学、キリスト教などがあげられる。

 キリスト教においては、この世のあらゆる行為を行いつくして、天使の権力から解放される これは異端とされたが、転生思想はあった。ただ、これについては、聖書での根拠には乏しいらしく、教会と信者の関わりのなかで生まれてきたものなのかもしれない。

 また、六道輪廻を見てみよう。

 地獄道(じごくどう):最も苦しみの多い世界

 餓鬼道(がきどう):飢えに苦しむ世界

 畜生道(ちくしょうどう):弱肉強食に脅える世界

 修羅道(しゅらどう):争いが絶えない世界

 人間道(にんげんどう):苦もあり楽しみもある世界

 天道(てんどう):最も楽しみの多い世界

 なろう小説においての世界というものも、決して順風満帆というわけではなく、六道輪廻の苦しみのような、苦難が存在する世界であることがある。その苦難を乗り越えて、成長していく様子は、いわゆる、サクセスストーリーである。そこに感じるものは、生まれ変わりは、新たなスタートであるということだ。また、一連の成長を通して、生き直している。はっきりと特殊な能力を与えられ、天啓とも言えるものを受けた上で、生き直す。ここにも、現代社会と違う世界を求めている姿を感じる。

 昨今、マルクス主義がみなおされ、資本主義批判について、書籍が発売されている。そこにある考えによれば、生産設備の発展によって、労働は人を疎外し、生産設備の一部としての労働者の立場がある。そこには、人間の個性は必要なく、設備の性能に合わせた行為が求められ、人間性を除いた人間というものが求められる。

 チート能力を得るということは、運命によって特別な存在としての自分を得ることである。それは、世界に唯一無二の存在として社会参加できる個人であることへの願望がこめられていると考える。


 さて、小説とは何だろうか。私は、文芸というものに分類できるものと考えている。そこに芸術性があり、人に影響を与えるものだと考えている。

 辞書では、文芸とは、時間芸術と呼ばれる。

 彫刻、絵画は、時間の一瞬を切り取り、そこに留める。それに対して、文芸では、描写によって時間が変わる。ある一瞬に留まり、心情や人物の過去を詳しく述べることもあれば、人の行動や物の変化を表現することもある。数年が一気に流れることもある。時間の経過と世界の変化を表しているのが、文芸という領域だ。

 先に述べたような世界観があり、読み手の感覚に訴えかけるものがあるのであれば、なろう小説もまた、芸術性をもった文芸のひとつと言えるのではないだろうか。

 芸術として、その文章は読み手に影響を与えていると思う。であれば、私の考えたものに留まらず、それぞれの人の自由な感性の働きによって、様々な体験に繋がっているはずだ。

 ネット上の公開も、様々な人に受け取られることによって、個人の思想の総和としての社会に影響を与えているものだと考える。

 なろう小説のみならず、小説公開サイトの文章に影響を受けた人間性が、社会という総和にどういったエッセンスとなるのか、気になるところだが、私はここで席を外すとする。


 お読みいただいて、本当にありがとうございます。

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