第8話「なんでも命令できる」
対面にはジャン王子がおり、木剣を構えている。場所は王城内の訓練場になった。そこで中央を挟んで向かい合っている。
教室くらいの大きさの部屋は、剣道の道場のようだった。床は板張りで、周囲の壁はただただ白いブロックの壁。なんともアンバランスな造りだが、なによりも目を引いたのは左の壁だった。全面ガラス張りになっているため、城下町がよく見える。
それは大変美しい光景ではあるが――
「ジャン、落ち着かなくない、ここ」
「……だよな。でも、ここでしか出来ないからしょうがないだろ」
訓練場なんて沢山ありそうだが……。よく分からない。というか、やっぱりジャン王子もここは落ち着かないのか。
しかし、稽古をしたいと言い出したのはこっちだ。単に落ち着かないというだけで、稽古が出来ないわけではない。
ミラは持っていた木剣をジャン王子へ構える。
「稽古する前に、ミラの実力が知りたい。変に教えてもしょうがないし」
「うん」
「だから、最初は模擬戦をするぞ」
「うん」
「……何か質問は?」
「ありまーすっ!」
一丁前に講師を気取っているジャン王子にミラは元気よく返事した。模擬戦と聞いて、一ついいアイデアを思いついたのだ。せっかくだし、こういうのも面白いと思う。それに、ジャン王子がミラを意識してくれるかもしれない。
「……なんだよ、ミラ」
「折角だし勝負にしようよ」
「模擬戦なんだから勝負だろ」
「そうじゃなくって。勝負に勝った方が、負けた方になんでも命令できるってのはどう?」
「何でも……?」
「そう、何でも」
ジャン王子は訝しがるような目で、ミラを見つめていた。失礼なことに不信感で溢れているような気がする。
「別に不正も何もしないよ?」
「そういうこと言うと余計に怪しいぞ……」
「もう、何もしないって。それとも、何でもは嫌なの? ジャンの好きなことしてあげてもいいんだけどなー」
「な、なんだよ。好きなことって」
「えー、何考えてるのー、ジャン」
わざとらしくミラがしなを作ると、ジャン王子が顔を真っ赤にし、抗議してきた。
「変なことは考えてないっ!」
「じゃあ、いいよね。やろうよ、罰ゲームありの勝負。それとも、負けるの?」
「ぐっ、そこまで言うならやってやる。後悔するなよ」
「んー、ジャンが変な命令をしなければ後悔しないかなー」
「だから、しないって!」
本当ころころ変わる顔だ。見ていて飽きない。そんなに叫ぶと余計に怪しいことに気付いているのだろうか。何を想像してくれたのだろうか。
「はぁ、はぁ……。もう、やるぞ。ミラ」
「はーい」
「くそっ、絶対勝ってやる」
怖い怖い。負けたら、一体、何を命令されるのか。
「合図はお互いに木剣の剣先を床に付けたらだ。それでいいか?」
「うんっ」
「ふうっー……」
ジャン王子が深呼吸し、木剣を下げる。目線はミラを見たままだ。いつになく真剣な顔にこっちが照れくさくなる。ミラは嘆息するしかなかった。
こういう時はかっこいいなんて、ずるいなあ。
徐々にお互いの剣先が下がっていく。床まであともう少し。
――コツン。
ニアほどではないが、ジャン王子は魔法を使用し一気に距離を詰めてくる。そもそも、ニアが異常なだけではある。ああ見えて、同世代ではトップクラスの実力を持つはず。ゲームでもそのことには触れていた。
だから、ミラが目の前に振り下ろされた剣を受け止められたとしても不思議では無いのだ。なにしろ、ニアの剣でも反応は出来ていたのだから。
「なっ……」
女だと油断していたのか。それとも、ついこの間までのミラから想像して強くは無いだろうと思っていたのかもしれない。さっきは、ニアにボロボロに負けたとも言っていたのもある。
驚いた顔をしたジャン王子は目を見開かせる。それでも、一瞬で気を引き締めて剣の力を緩めなかったのは流石という他なかった。
ミラの剣とジャン王子の剣が鍔迫り合いを行う。二人の剣が接する場所からは火花が見えるようだった。
「……ぐっ、おい、ミラ」
「な、に。ジャン」
「剣を、習っているのか?」
「さあ」
その返答にジャン王子は顔をしかめた。はぐらかされた、と思ったのかもしれない。間違いじゃないが、正確には自分でも分からないのだからしょうがない。見えるから、反応する。できる。それだけなのだから。
何を言っても同じような感じになるだろう。だから、さあ、だ。
「そう、かよっ」
ぐっと押し込まれた次の瞬間、その力が消えた。思わず前のめりになりそうになるのを、脇に避けたジャン王子がバットのごとく木剣を背中に向けて振ってくる。
このまま前回転すれば避けられるだろうが――反応できない振りをして、ミラは剣を受けた。
背中を殴打され、痺れるような痛みが襲う。この程度で済んでいるあたりジャン王子も手加減はしているのだろう。明らかに振り方と力が合っていない。
ミラは膝を落として前に倒れ込み、ひんやりしている床と頬をキスする。少しして、仰向けにひっくり返った。呼吸を乱れさせながら作戦の出来を考える。
これで負けた振りは出来ただろうか?
そう思ってジャン王子を見たのだが――
「……なあ、ミラ」
そこには非常に不服そうなジャン王子の姿があった。木剣を下げ、不満を露にミラを見下ろしてくる。
まずい。ほとんど直感でミラは思った。
「お前、今手加減しただろう」
ミラの心臓が跳ねる。気付かれないと思ったけど、彼を見くびり過ぎたようだ。
ここで言い訳を連ねてもジャン王子は拗ねてしまうような気がした。彼に勝たせて何が望みなのか聞き出そうと思っていたが、この様子だと失敗したらしい。
「バレちゃった?」
「はぁー……、何がしたいんだ。ミラ」
「んー、ジャンと仲良くなりたい」
「もういいだろ……」
ジャン王子は照れくさそうにぷいっと顔を背けた。いい反応に、ミラの心が躍った。
「もっと仲良くなりたいの。ジャン、いっつも本読んでるだもん」
逆さまにではあるけど。しかし、目を合わせてくれないと見てくれたことにはならない。
「それは、……いや、なんでもない。それよりも、さっきの勝負お前の勝ちでいい。何かして欲しいんだろ」
「話逸らしたー」
「うるさい。命令聞いてやらないぞ」
「はーい。んー、そうだなー……」
分かりやすく話を逸らされてしまったが、追及できそうにもない。命令か。ジャン王子からのお願いばかりで、こっちから何かを、は考えていなかった。ミラはうんうんと唸る。
どうしよう。
仲良くなれるのは、二人っきりになれる何かにした方が良いだろう。今だって、さっきよりはジャン王子の距離が近くなっているはずだ。少なくともいくらかは砕けているはずだった。ミラの頭の中がぐるぐると回る。
二人きり。どこがいいだろうか? やっぱり、お出かけ? 城の中を探索しても子供らしくていいかも知れないが、どうせなら外に出たい。お忍びデート、がいいかもしれない。
ミラの頭は数瞬の内にそろばんをはじき終えた。
「お出かけ」
「は?」
「外にお忍びで行ってみない? というか行きたい」
「……まぁ、それでいいなら」
「あ、他の人は呼んじゃだめだよ。ジェイとか」
「……分かってるよ」
本当だろうか。
ミラはぱっと立ち上がって、ジャン王子の頬を両手で挟む。強制的にミラの方を向かせると、耳まで真っ赤にしていた。
ちょっと面白い。
「本当にダメだからね。二人きりだよ。二人きり」
「分かった、分かったって。離せ」
ジャン王子が目を泳がせながら、腕を暴れさせる。ミラは満足し、さっと離れた。
彼がきっと睨んで来るがまだまだ可愛らしい範疇に収まっている。
「楽しみだね、お出かけっ」
「ああ」
ジャン王子の返答には呆れが混じっているようだった。
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