第36話 別視点 5

 私の名前は時川芽衣です。都内の商社に勤める23、もうすぐ24才になります。


 営業二課に配属されて二年目、まだまだ仕事は半人前ですけど、周りの人たちに助けられながら頑張っています。



 実は私、最近まで本当に困ってました。私の指導係にもなっていた先輩の相嶺さんから、一人では処理できない量の仕事を振られていたのです。ただでさえ仕事の遅い私は、残業したり家に持ち帰ったりして、なんとかやり繰りしていました。おかげで土日関係なく働いても毎日の睡眠時間は4時間程度でした。立ち眩みで駅のホームから落ちそうになったこともあったほどです。


 このままでは、いつか体を壊してしまうのではないかと思い、一時は本気で会社を辞めようとさえ考えていたのです。


 でも、私の家はいわゆる母子家庭です。決して裕福ではありません。弟は大学生でまだまだお金もかかります。私自身も奨学金の返済があるため、簡単に会社を辞めることは出来なかったのです。


 以前一度だけ山崎課長に相談してみたのですが、「相嶺さんは部長案件だから手が出せない」と言われてしまいました。なんでも大島部長の愛人なのではと噂されているそうです。そう言えば相嶺さんからも大島部長の名前をよく聞きました。


 結局、誰にも相談できなくなりました。これが噂のブラック企業というやつなのかと、半分諦めながら毎日を過ごしていました。



 そんな毎日を一瞬で変えてくれたのが須崎さんでした。


 相嶺さんに教えられた通り、いつものように退勤のタイムカードを押してから残業していると、須崎さんが心配して声をかけてくれたのです。そしてひと目で私のブラックな状況を把握してしまいました。


 元々仕事の出来る人だというのは知っていました。特に営業部の人達からは『困ったら須崎大明神を頼れ』と言われているほど、現場の信頼が篤い人です。


 ただ相嶺さんは、須崎さんに対して少し苦手意識があったらしく距離を取っていたため、私はあまり接点のなかった人でした。


「事情は分かった。ちょっと僕の方でも考えておくから少し時間をくれない?」


 ほんのちょっとのやり取りで私の状況を把握した須崎さんは、あまり関係がないはずの私を助けてくれるつもりのようでした。


 それから二日後、私が相嶺さんに仕事を押し付けられていたこと、私がやった仕事も相嶺さんがやったように見せかけていたことを、営業部の全社員の前で公表してくれました。それもすごくさりげなくです。大島部長も状況を理解してくれて、頭を下げられました。後で聞いた話では、相嶺さんは来月から総務課に移動になるそうです。それまでは社内謹慎ということで部内で雑用ばかりさせられています。


 私はと言うと、仕事量も通常に戻って快適な環境になりました。サービス残業代もある程度支払われるそうです。今季のボーナスも大幅アップらしいです!正直すごく助かります!母も大喜びです!


 本当に須崎さんには感謝の言葉もありません。母に須崎さんのことを話したら感激していました。挨拶したいから家に呼びなさいと言われましたが、それは無理!と返しました。会社で話すのも緊張するのに、家に呼べるはずありません。



 そんなある日、私は総務の石野さんに呼び出されました。女帝とまで言われている人です。緊張しながら話を伺うと、須崎さん親子が遊園地に行くので接待しなさいということでした。


 須崎さんには、お礼としてネクタイを贈りましたが、そんなものでは全然足りないと思っていたので有難い提案でした。やりたくないなら他の人に頼むと言われましたがとんでもないです。正直なところ、須崎さんに近づくチャンスだと思いました。


 実は須崎さん、社内でもかなりモテます。仕事で困ったことがあれば、優しくフォローしてくれ、分からないことがあれば丁寧に教えてくれます。しかも嫌味がなく偉ぶったりしない。一度でも須崎さんと仕事で関わると、男女問わず須崎さんのファンになるとまで言われています。


 私も今回のことで、すっかり須崎さんのファンになりました。なので他の人に接待役を譲ることなどあり得ません。前もって遊園地のことを徹底的に調べ上げ、完璧な接待をしてみせます!


 そう意気込んだ当日、須崎さんに挨拶をすると少し困った顔をされました。娘さんと二人で楽しむつもりだったようで迷惑だったみたいです。少し落ち込みました。でもここで引くわけにはいきません!母にも「頑張れ!今日は帰って来なくてもいいぞ!」とエールを受けて来たのですから。


 接待役はけっこう上手くできたと思います。途中から完全に自分も楽しんでいましたけど。琴美ちゃんとも仲良くなれました。素直でとても可愛い子です。妹が欲しかったので「メイお姉ちゃん」と呼ばれたときにはキュンキュンしました。


 バーベキューを食べているときなどは、本当の家族のように思えて嬉しかったです。こんな生活が続いたらどんなに幸せだろう、と思わず妄想してしまうほどでした。


 帰りは家まで送っていただきました。やはり須崎さんは紳士です。玄関前で話していると母が出てきました。須崎さんの手まで握ってお礼を言っていました。私でさえ握ったことがないのにと、一瞬嫉妬しましたが顔には出しませんでした。


 そのあと母からの質問攻めが凄かったです。最後には両肩を掴まれ、真顔で「頑張りな!」と言われました。母のあんな凄味のある顔を見たのは初めてです。



 月曜日の昼休み、私は石野さんに土曜の報告をしました。石野さんは「ここは畳み掛けるところじゃない?すぐ次のデートの約束を取り付けなさい」と私にアドバイスしてくれました。どうやら私の気持ちはとっくに知られていたようです。


 石野さんの計らいで、総務課の隣の給湯室を使って須崎さんにデートのお誘いをしました。緊張で膝が震えました。ですがあっさり断られました。あっ、明確に断られたわけではありません。優しい須崎さんのことです、遠回しに断られたのだと思います。


 石野さんに報告しました。報告している途中で涙が出てきました。いつの間にか須崎さんに本気になっていたようです。石野さんは私を慰めながら、「まだ断られたわけじゃないわ。少し待ってくれと言われたのだから、待ってあげたら?」と言ってくれました。


 私は待つことにしました。須崎さんが気持ちの整理をつけるまで、そして私に気持ちを向けてくれるまで。たぶんこのまま須崎さんを諦めても当分引き摺ると思いますし……。



 ということで、今日は石野さんと残念会です。総務のお姉さまたちも来てくれるそうです。飲みます!飲みまくります!

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