童話渡りの桃太郎~ネタバレ本で人助けしながら鬼退治に向かいます~
夏目 夏妃
序ノ壱 桃太郎という男
『
その男とすれ違う誰もが、違和感を感じて二度見した。
風に
しかし、その胸元には鮮やかな桃の刺繍が異様な存在感を醸し出し、全てを台無しにしていた。そして額に巻かれた白い鉢巻きも、凛々しさを感じる顔立ちにはそぐわない。
何故なら、その鉢巻の中心に大きく描かれているのはやはり桃。桃の花ではない。果物の「桃」なのだ。
(なんで桃?)
(桃……)
(桃だ……)
何故よりにもよって桃柄を選んだのか。桃が好きなのか、それとも誰かからの贈り物でやむを得ずしているのか。誰もが気になったが、それを問いかける勇気のある者はいない。
ただ一人、純和風の家屋の軒下で果物を売っていた妙齢の女店主だけが、勇気を出して彼に話しかけた。彼女の頭の上には光の加減で金色に輝いて見える尖った耳が、腰の辺りからは地面につきそうなほど長い、ふさふさの尾が生えている。
「そこのあんた! 桃! いいのが入ったよ。買ってかない?」
あぁ、と周囲の人々は心配そうに男を見た。キツネは騙す生きものだ。大枚叩いて買ったものが、あとで木の葉に変わったりする。この街の人々はそれをよく知っているので、彼女の店で買い物をするのは大抵、ここらでは見かけない新参者だ。格好の
「悪いが、食事はもう持ってるんだ。ここにたくさん入ってる」
しかし女店主の思惑虚しく、男は首を振って腰に下げた小さな布の袋を指した。どうやら大丈夫そうだと安心した周囲の視線が散ると同時に、店主はその布袋をじっと見た。男性の拳ほどの大きさの袋で、中身はずっしりと詰まっていて重そうに見える。弁当には、とても見えなかった。
「握り飯かい? にしては小さいけど……」
首を傾げるキツネの店主の疑問に答える代わりに、男は布の袋から小さな丸い球を取り出した。彼女の眼前にそれを翳し、そして大きな口を開けて一口に放り込む。
「うん。美味い! やっぱりおばあさんのきび団子は最高に美味いな!」
「きび団子……」
女店主はごくりと喉を鳴らした。男のそれを食べる姿があまりに美味しそうだったのだ。
「それ、一つくれないかい? 店のもの、なんでもひとつ持ってっていいからさ」
「そうだな……やってもいいが、ひとつ相談に乗ってくれないか? 困ってる事があるんだ」
「困り事かい。何でも言いな」
自信満々に胸を叩いた女店主の前で、男は眉を下げて頭を掻いた。
「その……ここがどこか、教えてくれないか」
「あんた「迷子」かい! あはははっ! どおりで浮いてるはずだ」
「浮いてる? 俺が? え、どの辺!?」
「あっはっは! もうっ、笑わせないでくれよ……っははっ!!」
自分を指さして
「あー、久々に笑ったよ。あんた面白いね。で、どこ行きたいんだい?」
「当然、鬼ヶ島に決まってるさ」
「鬼ヶ島? 聞いたことないね」
「鬼が住むところだ。俺は、鬼に襲われた村の代表として、奪われた宝を取り戻しに来たんだ」
男は両手を腰に当てて胸を張った。女店主はしばらく考え、そして店の奥に置いてあった古い本を取り出すと、男に手渡す。
「コレなんかどうだい?」
「何だこれ?」
不審げに眉を寄せる男を、彼女は手招きした。彼女の背丈に合わせて少し屈んだ男の耳に、特大の秘密を打ち明けるように囁く。
「『
「……
男はその本をしげしげと眺めた。紐でしっかり綴じられた、分厚い紙の本。少し黄ばんでいるが以前は真っ白だったであろう表紙には確かに、流暢な字体で「案内本」と書かれている。
「絵図みたいなもんか?」
「簡単な絵図もあるから場所もわかると思うさ。あとは、困った時に開けば助けになるかも」
女店主の瞳が悪戯に吊り上がり、うっすら頬に銀色の髭が見えた。しかし男は本に夢中で気がつかない。早速
「駄目だよ。ちゃあんと
「いくらだ?」
「コレは売り物じゃないから対価はもらわない。あんた運が良いよ」
「なら、わかった。途中で捨てたりしないよ。後々役に立つかもしれないしな」
「よし。なら持って行きな」
女店主は笑顔で手を離し、男の持つ
「じゃ、邪魔したな」
「待ちなよ。「きび団子」食べさせてくれる約束だろ!」
「「売り物じゃないから対価はいらない」んだろ?」
振り返った男は、精悍な顔に悪戯っぽい笑みを浮かべた。不覚にもその笑顔に女店主の鼓動が一度だけ大きく跳ねる。
「あんた、名は?」
「桃太郎。『日本一の桃太郎』だ」
「桃……」
しかし彼女の赤く染まりかけた頬は、男の名と額の桃を見て一瞬で冷めた。やはりあの鉢巻きは損だなと思っている間に男はもう、少し遠くを歩いている。
彼女は遠ざかる背中に向けて雑に手を振り、大きな溜息を零した。
「全く。桃のくせにキツネを騙そうだなんて、なんて奴だ……なぁアンタ。あれでよかったのかい?」
女店主は振り返る。その視線の先には、黒いフードを目深に被った顔も見えない怪しげな影が、小さく頷いた。
「ええ。「彼」ならきっと……」
「何だって? ……あれ?」
空気に紛れるような小さな声は、誰の耳にも入らない。女店主が聞き返したときにはもう、影は幻のように消えていた。
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