12 はじめての外食
それから数分後、わたしたちのテーブルにはミルクがなみなみと注がれた木のジョッキと、チーズを使った様々な料理がテーブルいっぱいに並べられていました。
粉チーズのたっぷりかかったシーザーサラダ、チーズパイに揚げチーズ、チーズの入ったソーセージ、スキレットに入ったフォンデュのような付けチーズなどなど。
きらりんさんはそれらを眺め回しながら、食うぞぉといわんばかりの袖捲りをしていました。
「いただきまーすっ!」
元気な合唱の後、きらりんさんは真っ先に目の前にあったメインディッシュを手に取りました。
それは串に刺したチーズを暖炉の火であぶってバケットの上に載せた、『焼きチーズ』というこのお店の名物です。
まだアツアツのそれに、何度か息を吹きかけてからかぶりつきます。
ほどよく焦げたバケットがサクッと香ばしい音をたて、そのあとにとろけたチーズが糸を引いていました。
極限まで伸びたチーズはぷつんと切れ、彼女のアゴから垂れ落ちます。
でもそんなことはおかまいなし。口に入れたチーズはちょっと熱かったようで口の中で冷ましながら食べ続けていました。
「あふっ! はふっ! おいひっ! おいひっ!」
すでに酒場のアイドルとなったきらりんさん。
そんな彼女が幼子のように料理をフーフーして、ハフハフしながら食べ、口のまわりをベタベタにしている姿は反則級のかわいさがありました。
きっと誰もが、エメラルドのように輝くその瞳を独占したいと考えていることでしょう。
その視線が、不意にわたしに向けられます。
「ひなっち、どしたん?」
その時のわたしは宝箱のフタをギリギリまで閉め、まるで閉じかけの貝のような状態でした。
暗闇から目だけ出して、きらりんさんの食事風景をじっと見つめています。
「ひなっち、食わないん?」
「あっ、はい……コミュニケーションの神様といっしょの食卓を囲むなんて……恐れ多くて……」
「なに言ってんの? ひなっちも食いなよ、これマジでうまいよ」
きらりんさんは『揚げチーズ』が特に気に入ったようです。
「あーし、揚げ物とか天ぷらとかラバーなんだよね。からあげクンとかからあげサマって感じだし、この揚げチーズとか天ぷらっていうよりテンペストっしょ」
「はぁ……」
「いいから食ってみなって、マジでフラインゲストだから。ほら、もちもうまいうまい言ってるよ」
見るとテーブルの傍らでは、もちさんがチーズをうみゃうみゃと貪っていました。
もちさんでも食べられるようにと、わざわざ店主さんが無塩チーズを用意してくれたのです。
「じゃ……じゃあ、少しだけ……」
ここまで来て食べないのはかえって失礼かもしれません。わたしはお金を置いたら手が出てくる貯金箱みたいに、宝箱の中から手だけを出して焼きチーズを取りました。
そのまま宝箱の中に引きずり込み、おもむろにひと口。
しかしダンボール箱を被っていて食べられなかったので、脱いでから改めて口に運びます。
暗がりの中で、サクッと香ばしい音がした瞬間、
「おっ……!? おいっ……ひいぃぃぃーーーーっ……!」
パッカーンと宝箱のフタを全開させ、わたしは美味なる雄叫びをあげていました。
その大声に店内がしん、と静まりかえります。
「しまった」と思っても、時すでに遅しでした。
店じゅうの人たちが、何事かと思うような表情でわたしを見ています。
きっと、ドン引きしているに違いありません。
アイドルのきらりんさんならまだしも、ポッと出のわたしが、しかも素顔でこんな空気の読めないことをしたら……。
しかし次の瞬間わたしを包んだのは、温かい爆笑でした。
「がはははは! そうかそうか、そんなにうまいか!」
「ぐわははは! 俺たちのチーズをそんなに喜んでくれるとはな!」
「作った甲斐があったってもんだ! 気に入ったぜ、ひなっち!」
「それに顔を隠してるからどんなにひでぇのかと思ったら、かわいい顔してるじゃねぇか!」
「そうそう、まさにひなっちって顔だな!」
「ひなっち、こっちのパイも食ってみろよ! ミルクと合うぜ!」
おじさんのひとりが親しげに話しかけてくれましたが、わたしはとっさに宝箱のフタを閉じて引っ込んでしまいました。
でも勧められたからには食べないと失礼にあたるかと思い、わたしは宝箱のフタを少しだけ開けて、手だけを出してテーブルをまさぐります。
勧められた料理がどこにあるかよく見えなかったのですが、手探りをしていると見かねたおじさんがパイの一切れを手に持たせてくれました。
サッと手を引っ込め、宝箱の中でひと口。
「おっ……おいしっ!?」
危うくまた飛びだしかけたのですが、半分くらい顔を出したところでまた引っ込みます。
するとその仕草が滑稽だったのか、またみんなに笑われてしまいました。
「あはは、食ってるとそのうち出てくると思うから、みんな気にしなくていーよ!」
わたしのことを、人に慣れない子猫みたいに言うきらりんさん。
しかし結果的にはその通りになってしまい、料理を食べ進めているうちにわたしは宝箱のフタを全開にしていました。
ちょっとシャクな気分ではありますが、背に腹は代えられません。
「あれ? ひなっち、なにしてるん?」
「あっ、はい。ちょっと、お土産にと思いまして……」
「って、昼も言ったじゃん。こっちの食い物は持って帰れないって」
わたしは焼きチーズをビニール袋に入れていたのですが、きらりんさんの指摘に、性懲りもなくガーンとなってしまいました。
「そ……そうでした……あまりにも美味しかったので、つい……」
「お土産って、誰か食わせたい人でもいんの?」
「あっ、はい。妹に……」
妹はチーズが好物です。
どのくらい好きかというと、七夕の時に「穴の開いたチーズを食べられますように」と書いた短冊を笹に吊すほどです。
しかしその願いはいまだに叶っていません。おそらく彦星さんも織姫さんも、異国の食べ物を要求されて困惑しているのかもしれません。
そしてなぜかきらりんさんは、この話題に妙に食いついてきました。
「えっ? ひなっちって妹いるんだ。いくつ?」
「あっ、はい。9歳です」
「へぇ、そうだったんだ……アンビリーバレスト」
きらりんさんが意外そうにしているのですが、それってもしかして……。
「あの……わたし、妹がいないように見えますか……?」
妹がいると言ってこんな反応をされるのは、実はこれが初めてではありません。
どうやらわたしは傍から見て、「お姉ちゃん感」というものがゼロみたいです。
わたしの姉は母に見られるほど貫禄があるというのに、いったいどこで差が付いたのでしょうか。
きっときらりんさんも、わたしのお姉ちゃん感の無さに呆れているに違いありません。
しかし彼女は頬杖をつき、ほんのり潤んだ瞳でわたしを見つめていました。
「ヤバ。あーし……ひなっちのこと、ますますラブレストになっちゃったかも」
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