第22話 海猫屋

 ペダルを漕ぐスピードを緩めて、良太郎は小声でセイに訊ねた。

 

「からかわないでよ。その、金龍とはどんな話になってるわけ?」


【うむ。小娘が追いつくまでには話しきれぬ。そもそも、とっ、しばし待て!】


 きつく言われてハンドル操作が危うかった良太郎だが、セイは金龍に向けていたらしい。勢いで人語からの切り替えを忘れたのだろう。


 そんなこととは知らず、ゆっくり歩いて追いついてきたマキは、わざとらしく頬を膨らませた。


「女の子を置いてっちゃうとか、ひどくなーい?」

「ごっ、ごめん」

「でもさ、こっちもごめん。すーっと通っちゃえば、どうってことないと思ったんだけど」

「まあ、あれか、こんなところにあんなものがあるんなら、通学禁止になるのも仕方ないな、うん」

「えー、お墓の中の道のこと? 知ってるんだ」

「一緒にいた女の子、城南中の出身なんだよ」

「ふうん、センパイなんだ」


 マキはたいして興味を示さなかった。

 良太郎は、セイと金龍の間で交わされる内容が気になっていたが、今はどうすることもできない。


「で、お母さんの話だけど。話すの嫌じゃない? もう少し聞かせてもらってもいいかな?」

「大丈夫、こっちから話したんだもん。リョータン、気ぃつかいすぎ」

「そうかな? 社会人としては普通だと思うんだけど」


 マキは、さもおかしそうにクスクス笑う。


「そういえば、リョータンってなんの仕事してんの? 今日も平日じゃん?」

「あー、ね。探偵事務所で働いてるん、だ、けど」


 マキの瞳が輝くのを横目で見ながら、良太郎の声はしぼんでいった。


「親父が友だちと作った事務所だから。それに、殺人事件の謎とか追わないからね?」

「えー」


 案の定、がっかりした声を出されてしまった。


「やるのは浮気の調査とか人探しとか、あっ」


 言いかけた良太郎がハッとするのと同時に、マキも「あっ」と小さく声を立てた。


「ママを探すのお願いしたかも。幼稚園に入るちょっと前だったから、どんなだったかわからないんだけど」

「……そんな前だったんだ」

「かわいそーって声出さない!」


 マキは良太郎の鼻先に人差し指を突きつけた。その顔はそれほど怒ってはいない。ともかく言い聞かせようとする勢いだけだ。


「ママは大丈夫!」

「はいっ!」

「だって、マキはまだ龍が見えないもん!」

「え?」


 また立ち止まりかけた良太郎は、己の足を励まして歩き続けた。それでも、とある予感で顔は赤くなり、汗が流れる。


「もしかして、ママの次はマキちゃんが、龍を引き継ぐって聞かされてた?」

「うん。そういうもんなんでしょ?」

「いやあ、知らないけど」

「あはっ、リョータンちには龍がいないか」


 げっと声に出しかけたのを飲み込んで、良太郎は喉を鳴らした。

 珍しいことに、彼の頭の横に浮かんだセイは、げらげら大笑いだ。


【なんとなんと。これは縁があったのだろうよ】

「そりゃあ……ねえ」

【おお、小童にもウケておるぞ】

「あれ、何か忘れてるような気がする……けど」

「忘れてる? 何を?」

「いや、こっちの話。……あっ!」

「思い出した?」

「うっ、こっちの話だから」


 良太郎は、セイを盗み見た。すぐに話をしたくて、うずうずする。それでもそういうわけにはいかなかった。


「えーと、それでママは占いをしてたんだね? スカウトされたお店で?」

「うーん、占いなのかなあ? お店を見たわけじゃないから。大きくなってから、漫画なんかのイメージで、そうだったのかなって思ったのかも。お客さんに会って、龍の言うことを教えてあげるーみたいな、そういう話を聞いた気がする」

「なるほど。じゃあ今は、総理大臣のとこにこっそり呼ばれてたりするかもね。極秘でさ」

「わあ、それは思いつかなかった! ハリウッドスターのとこにーとか考えたことあるけど」


 マキはそれからしばらく楽しそうに候補を上げていったが、良太郎の顔色はすぐれなかった。

 ちらちらとセイを見るのだが、金龍との話で忙しいのか視線が合わない。

 

 そうこうするうちに、目的の店に到着した。

 マキは途端によそ行きの顔になり、しおらしく良太郎の後ろに回った。カランカランとベルの鳴るドアを開けると、いかにも昭和な内装の店内にはニンニクとバター、肉の香りが満ちている。

 一気に食欲が押し寄せた良太郎の耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。


「じゃあ、拠点作りのための資金集めですな」


 黒坂太一の声である。

 彼は厨房に近い角の4人席で、白い上っ張りを着た老人と向かい合って座っていた。

 良太郎は、その老人がコック帽をかぶっている姿を何度か見ている。前マスターに違いない。


「いらっしゃいませ」


 太一の背中に気を取られた良太郎だが、年配の女性店員により、すぐにテーブルに案内されてしまった。


「こちらがランチメニューですが、本日の日替わりは終了しておりまして、申し訳ございません」


 ラミネート加工された手書きのメニュー表にも、年季が入っている。

 注文できるランチセットは牛肉のサービスステーキ、チキンステーキ、エビフライ、ハンバーグの4種類でサラダとコンソメスープ、ライスがつく。単品ではエビピラフとビーフカレーライス、ナポリタンがある。


「俺はハンバーグセットにしよう。マ、」「はエビフライセットね」


 マキちゃんはと言いかけたのをさえぎるように、彼女は早口で言った。そこに少しの違和感を覚えつつも、また怒らせることを避けて突っ込まない良太郎である。


 注文を終えてしまうと、ランチタイムの終盤で空いている店内で喋ることが嫌なのか、マキは大層口数が少なかった。やっぱりこの店は気乗りしなかったのかと顔色をうかがう良太郎だが、機嫌は悪くなさそうだ。

 実際に彼女は、料理が運ばれてきたら嬉しそうに笑った。

 良太郎と同じように、きちんと手を合わせて「いただきます」を言う。


 海猫屋のエビフライは大ぶりなものが2本。自家製のタルタルソースは小さな器に別添えだ。人参のグラッセとクレッソンはいつも必ず。その横に今日はナスとインゲン豆のソテーがついている。


「俺、ハンバーグの下のこれが好きなんだ」


 ハンバーグの下には薄切り玉ねぎのソテーと、塩とニンニクというシンプルな味付けのスパゲッティが敷いてある。ハンバーグソースも染みて良い具合だ。


「ちょっとちょうだい」

「えっ、もうハンバーグ切ったよ? 汚くないか?」

「うーわ。悲しいこと言わないの」

「いや、普通は嫌がるだろうに」


 マキはさっとフォークを突き出した。


「ほかほか弁当のパスタって味しないけど、ほんと、これおいしい」


 料理を奪いはしても、マキの食べ方は基本きれいだった。

 エビフライは尻尾部分を最初に切って口に運んだが、サクサクに揚がっていて美味そうだから有りだろう。

 意外に思ってその手つきを見ていた良太郎は、小さく首を振って自分の中の偏見をたしなめる。

 そのとき、太一と話していた前マスターが「ちょっと失礼しますよ。ランチ営業が終わるんでね」と断ってドアに向かって歩いてきた。

 見回せば、太一の他は良太郎たちが最後の客である。

 

 テーブル脇を通るとき、前マスターはマキの後ろ姿からじろじろと見て行った。

 金髪やボディピアスが気に入らないのだろうか。

 電飾看板を店内に入れて戻って来たその人は、良太郎の横で足を止めた。

 良太郎は、マキが難癖をつけられるのを予想して身構えた。

 しかし。


「マキ、だろう」


 感情のわからない平坦な声を聞いて、良太郎はびくりと身を震わせた。

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