六話 漁婦

「完全に出遅れた」

 京都で異物の気配を察知し、急いで静岡まで来たはよかった。しかし現代の交通機関に疎く、予想以上に時間がかかってしまった。

 油断もしていた。六壬による予測座標の通りなら、異物の出現は数ヶ月後の筈だった。どうやら座標の予測地点が遠すぎると誤差が生まれるらしい。

 異物の気配は極めて希薄になっている。ガイアの恒常性には見られない兆候だ。彼らは気配を消す必要がない。星から与えられた憎悪のままに、ただ人を殺すだけの殺戮兵器に隠密性を与える意味がないからだ。霊能を含め人間は寄ってきてくれた方が好都合。

 つまり。昼頃に突然現れた力の本流はガイアの恒常性ではないと思われた。

 日中帯、異物は明らかに移動していた。自立稼働する何かであることは間違いない。

 時間が進むにつれて、その気配は徐々に希薄になり、察知するのが難しい領域で落ち着いた。

 誰かに狙われて、力の抑制を学習したのかもしれない。であれば意思や思考などを持っている可能性も高い。

「さて。命が惜しければ接触しない方が無難であるが、恒常性を調伏して使役する馬鹿や力の流用を図る阿呆がいることも事実」

 その中にはもいる筈だ。彼がこれほど強力な霊的資源を見過ごす筈もない。遭遇するのも時間の問題だ。凡庸であるか賢しければ、異物争いに手を出そうとは思わない。参加者はごく少数だろう。

 椎倉は嗅覚が鋭かった。それは純粋な人間の機能ではなく、常ならざる力を嗅ぎ取る経験と本能が成す技術だった。希薄になった異物の気配も漠然とした位置は掴めている。大浜海岸だ。

 携帯端末で地図アプリを開き位置を確認。海岸は駅から四キロほど離れた場所にある。紫電で筋骨強化をして走れば、数分で着くだろう。

 目的地までは一本道だ。先刻見た地図を脳裏に浮かべる。石田街道を真っ直ぐ進み続ければ、そのうち海が見えてくる筈。

 紫電で膂力を増幅させて、ほとんど予備動作無しに疾走した。道行く人を避けながら駆け抜ける。

 静岡駅南口からロータリーに出て、銀行を横目に道路の端をひた走る。眼球や神経に負担のかからない程度の速度を保ちながら、身体を駆動させた。

 呼吸を細かく連続させながら、効率的に酸素を取り込む。

 やがて自分の呼吸音とすれ違う車両の轍だけが耳を聾するようになり、駆けることのみに意識が傾き始めた。

 地を叩く足裏、風を切る両腕、歯の隙間を通る温い息、筋骨の躍動。肉体を駆動させるのはやはり心地良い。それは永らく忘れていた感覚だった。

 夏の夜風は生暖かい。

 上衣うわのきぬが汗で肌に張り付いている。若いから代謝が良いのだろう。

 はたと気づく。肉体への指摘は配慮した方がいいだろう。うら若き乙女に対して、何が失礼に当たるかわからない。不快に思わせるのは本意ではなかった。

 疾走は続き、十字路にて大規模小売店に差し掛かった時。ふと舐るような視線に気づいた。

 間違いない。誰かに後をつけられている。それも二人。早々の刺客に辟易する。

 予測をするまでもなく霊能者の類だ。動機も手に取るようにわかる。気配を消した異物の元へ移動していると思しき者を追って、漁夫の利を得ようといったところだろう。

 深夜帯とはいえ、あまりに堂々と駆けたのは悪手だった。これでは異物を狙う輩にどうぞ付いてきてください、と言っているようなものだ。とはいえ事態は急を要する。力に目が眩んだ阿呆に気を遣う暇はない。

 あの男より先手を打ち異物を確保。力の漏出を餌に彼を誘き寄せて、今度こそ消さなければならない。

 あの男の誘引が叶わなかったとしても、そこに在るだけで害を撒く異物は潰しておいた方が無難だろう。争いしか生まない正体不明を見て見ぬふりはできなかった。

 椎倉は徐々に速度を落としていき、やがて完全に停止した。僅かに乱れた呼吸を整えてから、背後の気配に向けて訊いた。

「居るんだろう」

 面倒だが追い払うしかない。霊能者相手に話し合いで収まる筈がないことは重々理解している。故に数ヶ月程度は動けなくなる身体になってもらうつもりだ。目的を達するまで邪魔をされたくはない。あるいは肉体に危害が及びそうになれば、この世を去ってもらうことになるかもしれないが。

 さて。

 果たして、高層建築物の隙間から現れたのは二つの影。

 一人はスーツを身に纏った若い男。現代の基準で言えば、おそろしく美丈夫だ。

 一人は紺の袴を羽織った中年男性。二メートルを超えるだろう長身だ。顔に貼り付けた造物然とした笑顔が気色悪い。

 どちらも、

「奴ではないか」

 あの男ではないと断定できた。

 彼とは因縁浅からぬ関係にある。仮令たとえどれだけ姿が変わろうと、滲み出る冷徹な臭気と記憶の気配は隠せない。眼前の二人からは、その匂いがまるで感じられなかった。

「気配は絶っていた筈ですが。よくお分かりになりましたね」

 美丈夫が笑った。

「いやらしい視線に付き纏われれば、否が応でも気がつくよ」

 昔に比べれば夜でも街道は明るく、営業する人々の営みが月明かりを退かせていた。

「悪いけど急いでいるんだ。どうせ君たちも異物を追っているんだろうが、アレを譲ることはできない。諦めて帰ってくれないか」

「んフフ。そういうわけには参りません」

 丁寧な口調とは裏腹に、あからさまな殺気を漏出させながら、

「我々にもアレは必要でしてね。初対面で恐縮ですが、案内していただけると幸いです」

 美丈夫が言う。

 やはり対話は望めないようだ。

「言い方が遠回し過ぎたかな。凡夫じゃ相手にならない、と言っているんだ。それに御仁の方は無能力者じゃないか。受動的な紫電の共有を要する凡人が、この業界に首を突っ込んではいけない」

 加えて言えば、彼らの才が異物の高みに届くとも思えなかった。仮に接触が叶ったとしても殺されるだけだろう。ならばこの場で病院送りにしてやることが、せめてもの情けだった。

「ちょいと言葉が過ぎるな」

 柔和な笑みを崩して、中年男が凄んだ。

「口を慎みなさい、お嬢さん。彼をどなたと心得ますか」

 気遣いの通じない紫電を纏う二人が、徐々に距離を詰めてくる。

「そんな水戸黄門みたいな台詞吐かれても知らないよ」

「最近の若者は世間を知らない」

 袴の上からでもわかる筋骨隆々な体躯が目前で止まった。

「御仁の詳細に興味はないよ」

 紫電の膂力強化を人体が耐えうる限界にまで引き上げて、

「やるんだろう?」

 胡散臭い二人を交互に見やった。

「できればアレの情報を吐いてもらいたいのですが──」

 中年男の後方から、美丈夫の刺すような視線を肌で感じた。

「──仕方ありませんね」

 配置からして、前衛が中年男で美丈夫は後衛だろう。おそらく戦い慣れている。

「ふん。戦闘の弾みで死んでしまっては、それまでだ」

「そっくりそのままお返しするよ」

 大男を見上げて眉間を絞る。

 空隙を経て。

 中年男が動いた。視界の端で右脚の予備動作を把握。蹴りが来る。動きを予測し、予め腰を落としておく。

 果たして、頭頂部で中年男の脚が擦れたのを感じた。腰を落とした力の流れをそのままに両手を地に突き、腕を軸とした脚払いを繰り出した。面白いくらいに技が嵌り、大男が盛大に尻餅を突く。

 隙だらけだ。

 立ち上がり、無防備な顎を蹴り飛ばそうとした。瞬間。美丈夫の方から尋常ではない殺気を察知し、後方へ飛び退いた。

 案の定。眼前で光の線が閃いた。思わず目で追うと、光線は走行中の車両を射止めていた。横転した鉄塊に刺さるそれは槍のようだった。車からは火の手が上がり、次いで暴発が起きる。運転士は間違いなく無事ではないだろう。

 美丈夫の方へ視線を投げると、彼の側には蟾蜍ヒキガエルのような姿をした怪物が佇んでいた。

「一体、何処から」現れたのか。

 鈍い光沢を持つ灰色の肌。口元には磯巾着いそぎんちゃくめいた触手が蠢いている。体長は美丈夫の肩口ほどもあり、自然に生きる生物ではないことは明らかだった。

 紫電で作られた思念体でもなければ、調伏された怪異でもない。如実に伝わってくる視覚情報の現実感は、怪物が生身であることを示していた。

 などと美丈夫の方に気を取られていたら。

 立ち上がった中年男の拳が迫るのを視界の端で捉えた。紫電で強化されたそれは常人では避けきれない速度だろう。

 しかし。

 六壬りくじんは既に発動している。

 占術の粋を応答すれば回避は容易。身を捩り拳が到達する座標から退避。攻撃の勢いを殺さず腕を掴み肩に担ぐと、右前方を目掛けて男を宙に放った。

 背負い投げだ。

「ぬおおお……!」

 中年男の野太い声が耳朶を叩く。紫電の筋骨強化と六壬の予測。その併用が体格差を埋めた。

 男を地に叩きつけると、六壬の対象を怪物に設定。視界の外で迫る光の槍が椎倉には視えていた。

 膝を落とし槍の到達する座標から逃れる。無駄な動きはしない。倒れる上半身を十の指で支えて、右膝を突いた。腰を持ち上げて足裏に膂力を込める。身体がバネのように跳ねた。強化された筋骨が尋常ではない速度を叩き出す。

 風の唸りが耳を聾した──刹那。

 違和感に気づく。

 増えている。蟾蜍の怪物が。

 二体。三体。四体。現在進行形で増殖する怪物はそれぞれ槍を構えて、今にも投擲する構えだった。

 しかし止まれない。

 脚の筋肉は受け取った電気信号を瞬時に読み取り、身体を前へ前へと押し進めている。増幅された膂力は電気信号と筋肉の動きの時間的損失を限りなく狭めていた。

 故に尋常ではない走力を発揮するが、容易には止まれない危険性もはらんでいる。

 紫電による筋骨強化は常人の目では捉えきれない移動速度を実現させるが、人間の肉体では御し得ない閾値限界の運動は突発的な事態の対処に不向きだった。

 怪物の槍が一斉に投擲される。

 時間の流れが緩慢になった。

 遠目に見える美丈夫が嗤う。口角の持ち上がる動きすら遅延して見えた。六壬を合わせている怪物の口元で蠢く触手の一本一本の動きが手に取るようにわかる。まるで俯瞰した自身を操作するような感覚に陥った。

 無我の境地。意図せず訪れた忘却状態。

 怪物は横一列に並んでいるわけではない。つまり槍の到達に差がある。六壬で予知した槍の座標から他三本の槍が迫る時間的差分を計算すれば、あとは積年の経験と勘。忘却状態が必要最小限の肉体の動きを導き出す。

 果たして、速度を落とすことなく全ての槍を避け切った。

「馬鹿な……!」

 美丈夫の均整の取れた顔が徐々に歪んでいく。その様を緩慢に捉えた。

 美丈夫が間合いに入る。

 六壬の照準を合わせている怪物が槍の装填を始めた。遅い。

 一番最初に投擲した怪物でさえ再装填中なのだから、他の個体も同じだろう。

 槍が椎倉へ到達するよりも先に、美丈夫の顎へ蹴りが入る。思念体ではないだろう怪物を生み出す過程プロセスは不明だったが、それらを操る本人が意識を失えば、怪物も自ずと霧散する筈。

 そう考えて、蹴りを放とうと身を捩った。

 瞬間。

 美丈夫の肩越しに、槍を投擲する寸前の怪物を視界に捉えた。

「奇怪な──」

 先刻までは間違いなく何も居なかった場所に蟾蜍の怪物が佇んでいた。

「──また増えたのか?」

 おそらく新しい個体だと思われた。

 六壬の照準を新規個体に合わせて、槍の到達する未来を予測。攻撃の座標を確認し、大きく後方へ跳び退いた。先刻まで立ってた場所に槍が突き刺さる。

 そしてまた。増殖。蟾蜍の怪物が瞬きの間に視界の中で増え続ける。

「まさかな──」

 試しに何度か瞬きをした。するとやはり。

「──厄介」

 怪物が増えた。瞼を下ろした回数分。そういう特性を持っているのか、特性を持たせているのか。何れにせよ、このままだと避けきれなくなるのは時間の問題だった。中年男も迫っている。怪物の投擲支援と大男の肉弾戦の組み合わせには、ほとんど隙がなかった。

 甘く見ていた。

 もはや念力器官から呼び出す他ない。

さる

 紫電が血管を走り器官へと経路を繋ぐ。

 宙が切り拓かれた。

「……!」中年男が立ち止まる。

 顕れたのは純白巨躯。全身覆う白毛絢爛。四肢で地に立つ獣が吼えた。司るのは刃物と疾病。黄金爛爛瞳が光る。

 申の気迫に押されたのだろう、中年男が後退った。

月棲獣げっせいじゅう、怯むな!」

 美丈夫の一喝が薄闇に響く。

 装填をとうに終えた怪物群が一斉に槍を投擲した。夏の夜に光の柱が駆け抜ける。

 しかし。それらは椎倉の元へ到達する前に悉く霧散した。刃物と疾病を司る申が槍を刃物と判断したからだった。

「何故!」美丈夫の怒声が響く。

 ひとまず窮地は逃れたが、追い込まれていることには変わりはない。申の巨躯は虚仮威こけおどしだ。司る要素の無力化を請け負うだけで攻撃はしない。

 それに気づかれるのも時間の問題だ。怪訝な表情を浮かべた中年男がじりじりと迫る。怪物の増幅も槍の雨も止む気配がない。

 諦観を以て決意した。

 殺す他ない、と。

 これ以上のは無用だった。肉体に危害が及ぶのは言わずもがな、念力器官も酷使するわけにはいかない。異物との接触で利用することは目に見えている。

 彼らの他にも道を阻む霊能が現れるかもしれない。余力は残しておくに越したことはなかった。

「殺生は控えたかったが、致し方ない」

 怪物の槍が無力化できた今、対処するべきは中年男の方だった。連携の隙を埋める彼が消えれば、美丈夫の撃破も容易になる。

 中年男がちょうど西の方角にいるのも好都合だった。

とり」念力器官が閃く。

 姿を現す知恵者の少女。黒髪靡かせ西を睨む。司るのは清廉潔白。しかして冷酷無比な素性。幼い声音を震わせた。

「貴方……奥さんはいる?」

 酉が中年男に訊いた。その時点で彼の死は確定した。問うまでもない。戦闘の最中、男の指に嵌めらた指輪を椎倉は目にしていた。

「そう。子供もいるのね」

「だからどうした」

「ゆ、る、せ、な、いいいいいいいい」

 突如。

 酉が狂ったように髪を掻きむしった。絹のように美しい黒幕には、やがて白髪が混じり華奢な背中は歪曲した。老婆の姿に転じた酉が念力の壁を中年男の頭上に生み出す。

 そして。酉は躊躇することなく、不可視の壁を男に叩きつけた。

 瞼を下ろす。その後の光景は、とても見るに耐えないからだ。

 果たして、何かがひしゃげる聞きなれない怪音が響いた。美丈夫の悲鳴が続く。

 瞼の幕が上がる。と、そこには黒々とした血の海が広がっていた。

 我ながら惨い仕打ちだとは思うが、優先すべきは異物とあの男。それに、あのままでは椎倉が殺されていた。

 霊能者同士の命のやり取りは、一瞬で決まる。余程、実力差が拮抗していなければ長期戦にはなり得ない。霊能はそれぞれに必殺の技を練り上げているからだ。技が決まると一方が判断した瞬間に勝負はつく。

 月明かりを反射する黒い海に美丈夫が駆け寄った。這いつくばり、取り憑かれたように汚れた袴を手に取る。

「無い! どこにも! 彼の痕跡が!」

 泥濘を踏みつけるような水音を立てながらスーツが汚れることも厭わず、血の海を漁る。

 彼らの死因はそれなりに強かったことだ。膂力のみで圧倒できたのであれば、しばらくの間、白い天井を眺めさせる程度で済んでいた。なにも私刑がしたいわけではない。

「クソ売女、死ね」

 美丈夫の毒に答えるようにして、騒然とする闇の中で数多の怪物が吼えた。

 蟾蜍の異形は既に群れを成している。異能以外にも目視可能らしいそれらは、夥しい槍を投擲した。軌道上に居た野次馬が次々と肉塊に変わっていく。

「なんだよ、あの怪物……!」

「何が起きてんだよ、今日は」

「は、腹に、誰か……!」

 槍の雨が迫る。

 申は悉くを無効化した。

 遠方で異物の動く気配があった。

 もはや構ってはいられない。

 紫電の配分を指先に集中。

 膝立ちのまま、顔を怒りに歪ませる美丈夫の胸を貫いた。

「ぐぼ……ぼ」

 服や腕に血が付着することはなかった。感染症の元となる血液を申が疾病と判断したからだ。

 腕を引き抜くと、美丈夫の胸に空いた洞穴から黒い滝が流れた。

「申し訳、ございまぜん。拾っでぐれだごおんを。ぼがえじでぎず」

 美丈夫はごぼごぼと譫言うわごとのように呟くと、間もなく呼吸を止めた。抜け殻になった肉体が、かつて人間だった池の上で倒れ伏す。

 重なり合った二人を見て、良心が痛まないことに気づいた。彼らも多くの人を殺した。現に今日だけで何人の無辜なる民が犠牲になったか。しかしそれ以上に、積年の年月が心を摩耗させて、とうの昔に風化していた。


 大浜海岸に到着すると、標的はまだそこにいた。

 多少、安倍川方面へ移動していたが、見つけるのは容易かった。もっと遠くに逃げる選択もあったのではないか。そう思ったがすぐに考え直した。逃げ場なんて無い。異物に帰る場所なんて何処にもなかった。

 夏月が煌々と照らし、水面に白を落としている。砂浜は民家から漏れる橙に染まり、小さな影を切り取った。

 異物は少年の形をしていた。浜辺に佇む消え入りそうな背中を一目見ただけで異質さを感じ取れた。

 日中、県外にまで及んだ力の波と全く同質のそれを備えた彼は、椎倉の気配を気取ってか振り向いた。

 黒のショートパンツにシャツだけのあまりに飾らない少年は人畜無害に見えるが、裡に秘めた力は大災害を齎すに等しい。先の戦闘のように無用な争いが起きる前に消す必要がある。こうして対峙したことにより、事の重大さを改めて実感した。

「そこで止まれ──」

 少年が容姿通りの幼い声音を震わせた。「──君も、私を利用したいのか」

「利用。なるほど」

 その言葉だけで異物の意図を理解した。やはり昼間に行われた両替町の惨劇は、戦闘の余波だったのだ。何者かが彼を狙い、力の流用を画策したのだろう。

「私は違うよ。君を消しに来た」

 隠し立てする必要はない。簡潔に伝えた。

 無論、消去する前に一仕事してもらうつもりだが、わざわざ言わなくてもいいだろう。異物には関係のないことだ。

「消す。それは人間的に見て、否。状況的に見て殺すと同義」

「そうだね」

「何故。私が君に害を与えたか?」

「私自身には与えていない。でも、君が存在するせいで被害を受ける人が大勢いる。今日だってそうだ。君が暴れたせいで、無辜の民が命を散らした」

「人間的に見て、それは正当防衛。私は誰も害していない。その理由がない」

「なるほど君を襲った誰かだけを撃退したのであれば正当防衛だと言えるだろう。が、その正当防衛とやらで関係のない人を巻き込んだ時点で、それは通らない」

 念力器官に経路を繋げた。もはや言葉は必要ない。故に速戦即決。

「来る」異物が身構える。

 しかし。大股で八歩程度の彼我の距離。そこは既に間合いだった。

 唱えて瞬時に浜辺を炎の壁で切り取った。

 灼熱に囲われた異物に逃げ場はない。

うま

 業火渦巻く円の中心。その上空から碧い鳥の形をした炎が舞い降りた。

 豪。

 神々しい超常の灯が月光を遮る。

 橙と碧が入り混じり、縞模様の炎柱を立ち上げる。強力無比だが、この二将は目立ち過ぎるのが玉に瑕だ。

 死を齎す業火の舞踏。その中からは未だに異物の気配が感じ取れる。予想通り、この程度では消去できないようだ。

「君には餌の役割が残っている。故にこのまま確保させてもらう」

 念力閃き顕れる。椎倉の裡から覗かせたのは。鋭利な毒牙と黄金鱗。聳える巨躯は大樹のようで。怒りと争い司る。

たつ

 蟠を巻く黄金の蛇──辰がおどろおどろしい咥内を覗かせた。分泌毒が糸を引く。それに触れれば最後、不動性の要素を付与された者は身動きが取れなくなる。辰に異物を飲み込ませて確保。それで終い。

 と、思っていた。

「ハナコさん、いらっしゃいますか」

 闇夜の中からか生まれた女性の声が浜辺に響く。

「はーい」

 次いで幼い少女と思われる声。それが浜辺を走った瞬間。

 巳が。午が。辰が。

 刹那のうちに霧散した。

「は?」

 炎が拓かれた先には、乱れた映像のように佇む異物。そして彼に触れる女がいた。

 帽子を被った彼女が何かを呟くと、異物は瞬時に姿を消した。

 それから女は踵を返すと、階段を上がり鉄馬に跨った。現代のバイクと呼ばれるそれは排気音を轟かせて、路の向こう側へと姿を消して行った。

 逡巡している合間に起きた顛末に戸惑いを隠せなかったが、一先ず考えるのをやめた。

 兎に角、捕える。

 大勢の命とあの男の誘引。対するは僅かな霊能の命。どちらに天秤が傾くかは問うまでもない。

 どういうわけか周囲からは浮遊霊の気配が消えていた。あるいは存在ごと消えているのかもしれなかった。が、紫電とは異なる過程を踏む念力器官であれば支障はない。

 唱える声には怒気がはらむ。顕現するのは伝説再現。終わりと窃盗司る。蜜柑を転じて鼠と化した。月光反射し甲羅が光る。

「無病息災混沌邪悪」于が吼えた。

 熊のような巨体に甲羅を乗せた亀──于が宙を駆けた。

 間合いの外まで逃げた女を追うためには于を自立稼働させる必要があった。式神を独立させると簡易な勅令しか与えられず心許ないが、致し方ないだろう。紫電を纏い追うにも浮遊霊が足りない。舌を打った。

 人中から顎にかけてを擽る体液に気づいてハンカチで拭う。外傷を気にかけるあまり肉体への負荷に配慮が足りていなかった。

「流石に浮遊霊消滅の手品を何度も使えるとは思えないが、さて」

 静かに煮えたぎる思考を冷ましながら、ひとりごちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る