Scene E 「春」
いびき虫
春0番と春募り
うららへ
散々LINEでやりとりしてるから改めて手紙を書くなんて
変な感じがするけど、もうすぐお別れだから、
したためさせてね。
学生時代が懐かしいな。まだ何年も経ってないけどね。
こんなに何でも話せる、
親友って呼べる存在なんて
わたしにはうららが初めてだったから。
必死に放課後の教室でいっしょにテスト勉強したこと、
でも追試になっちゃって、さぼって公園で水風船なげあってはしゃいだこと、
最後の方は学校いけなくなっちゃって、病気のこと打ち明けたとき
泣きながら抱きしめてくれたこと。全部全部忘れないよ。
うららは何でも受け止めてくれるから、ついいつも甘えちゃうし
きっとたくさん心配もかけたよね。
それでもいいから、私のことたくさん知りたからって言ってくれて、
胸がいっぱいになった。心の底から信じたいって思えたよ。
ねえ、最後にもうひとつだけ、秘密にしてたこと、
うららにだけ話してもいいかな。
もしかしたら気づいてたかもしれないけど、
ちゃんと話してからいきたいの。
勝手でごめんね。
わたし、鶯原(うぐはら)くんのことが好きだった。
最初はね、うららが
『他の子とも仲良くしなよ!』って
引き合わせたとき、いやだったんだよ。
わたしが口下手なの知ってるでしょ?
でもやっぱりうららの友達だなって。すごく優しかった。
3人で話せるの、だんだん楽しみになってた。
わたし、いつもあたふたしてて、ちゃんと息できてたかなぁ笑
でもだんだん 深呼吸できるように、落ち着ける場所になってて、
いつの間にかどんどん、違う意味で苦しくなるようになった。
これ以上は、いけないなって。
だから学校にいけなくなったとき、うららと毎日会えなくなるのは
凄くさみしかったけど少しだけほっとしたの。
最後に彼に会ったのは卒業式の日だったな。
どこが好きかって 言葉にすると難しいんだけどね
例えば、言葉選びが慎重でゆっくりなところ。
例えば、頷きながら話を聞いてくれるところ、そのたびに揺れる猫っ毛。
でも好きなことの話になると声が少し上ずるところとか…
…でも一番は香りかな。
横で話すとき、鶯原(うぐはら)くんのシャツから体温にのって届いた香り。
果てしなく懐かしくて、こころに柔らかいひかりがともって、
呼吸が規則的に、ゆっくりになる。
でも同時に、なんだか凄くすごく泣きたくなるの。
今だって、思い出したら涙が出そうで、ねえ こんなの変だよね。
あの香りにくるまって、眠りにつけたら。
朝起きても消えないで、猫っ毛と一緒にそこにあってくれたら。
他にはなんにも要らないと思った。
自分でも大げさだと思うよ。でもあんなに強い気持ちに駆られたのは、
後にも先にもそれだけなの。
もう一度だけでいいからあの瞬間に戻りたいよ。
きっと、今みたいに、私が消えてなくなってもずっと、
寒かったあの春の、卒業式の日みたいな陽気のときには探しちゃうんだろうな…
ごめんね、
ひとりで抱えたままにして死んじゃうには、
どうしても苦しかったの。
内緒にしてくれる?
———
零香さんが死んでしまった。
何も知らなかった。重い持病があったそうだ。
こうやってもう何度も、何年も脳内で反芻しているのに
やっぱり全く腑に落ちてくれない。
いつまでもこんなふうに繰り返し思い出しているのは、
忘れたくないからなのだろう。
そっと、彼女のことを思いながら目を閉じてみる。
浮かび上がってくるのはいつだって淡い桜色だ。
最後に会えたのがちょうど今みたいな、
桜が満開の、春だったからかもしれない。
または、香りのせいかもしれない。
零香さんからはいつも清涼ですべらかな、
でもじんわりと温かいようなやわらかな香りがして、それこそ 桃のような…
じんじんと手が、顔が、目頭が熱くなる。
どれだけ時間が流れてもちっとも薄まってくれない、
永遠に僕の中に残る香り。
あの卒業式の日からずっと。
初めて会ったときから、気になって仕方がなかった。
はっきりとした理由はわからない。
それが恋だったと気がついたのは卒業式の日からだ。
恋愛は人並みにしてきたほうだとは思うけど、湧き上がる感情はそのどれとも違った。
零香さんとに過ごす時間には、不思議なことにまどろみのなかにいるような優しい心地よさと
強くて眩しい光が降り注ぐみたいな苦しさが一緒になって流れていた。
あまりに衝動的すぎて、恋と呼ぶには稚拙で、ただただ強く惹かれた。
零香は僕の幼馴染のうららの親友で、話すときはいつも3人だった。
もどかしい距離感だったけど、
僕は彼女からときおり感じるうっすらとした拒絶の空気を感じ取っていて、そこに踏み込むことはできなかった。
というより、しなかった。これ以上はいけないと本能的に思っていたのかもしれないし、
張られた薄氷の膜ごと大事にしたかったのかもしれない。
だから、3年生の冬に零香さんが学校に来なくなっても、うららに問い詰めることはしなかったのだ。
それが病気のせいだったのだと 今なら分かる。
最初で最後に、ふたりでまともに話したのは、卒業式の日だった。
式が終わってはしゃぐ人並みの中で、中庭に立つ彼女を見つけた。
久しぶりの零香はやっぱり、遠くからでもはっきりと分かる
清涼ですべらかで、やわらかな香りと空気をまとっていた。
『久しぶり』
ハレの日特有の高揚感とこれからやってくる未来への不安とで少しおかしくなっていたのかもしれない僕は
気がつけば零香さんに駆け寄っていて、満開の桜とそれに不似合いなまだ寒い空気のなかで、
まどろみと強くて眩しい光のなかで、時間を忘れて喋った。何時間もずっと。
ふいに零香さんと目があった。瞬間、ゆっくりと弧を描く目元。
薄氷の膜が溶けていった気がした。
初めて笑いかけられたあの瞬間にはっきりと自覚した気持ちに、香りに、桃色に
僕は永遠に閉じ込められたままだ。
———
こんなふうに桜が満開の、寒い日には懲りずに彼女のことを探してしまう。
少し散り始めた花びらの中を歩く。
公園のベンチや通り過ぎる学生の中の全てにあの日の僕らが、零香がいるような気がして
ただもう一度だけ会って あの瞬間に戻りたくて、馬鹿みたいに街のなかを進む。
苦しい。記憶の中はとてもきれいで、これ以上ないほど儚くて美しいのに、
現実の僕だけが苦しい。
たまらなくなって走り出す。
会いたい。
会いたい。
ただそれだけのことが、もうどうしたって叶わない。
———
どうしてここに居るんだっけ。
私はいつも、気がつくと寒い冬の中で鶯原くんのことを探している。
あの日、たしかに私はこの世からいなくなった。
それなのに またここに戻ってきている。私達が通った学校のあたりだ。
前にこの場所へ来たときと、その前に来たときとも、更にその前とも
同じ寒さを街はまとっているけれど少しづつ景色は違っていて
どうやら私は冬にだけ、それから桜が散ってしまうまでの間、こうして
この世へと戻ってきてしまうようなのだった。
幽霊になるってこんな感じなんだな…と他人事のようにぼんやりと思う。
あの卒業式の日は、もう春で桜も満開なのにとっても寒かった。その記憶が、
鶯原くんに会いたい気持ちが、わたしをここに連れてきてしまうのかもしれない。
公園のベンチや通り過ぎる学生の中にあの日の私達を映してしまう。
鶯原くんは今幾つになったんだろうか、どうにも時間の感覚がなくてそんなことも
分からなくなってしまっている。
もう社会人になったんだっけ、恋人はいるのかな、結婚とかしたのかな、
今、何を想っているのかな。鶯原くん、鶯原 つのりくん。
わたしの生涯は色んなことを知ったり楽しむのにはあまりに短くて、
病気もずっと苦しかった。だけど、
とってもいい人生だったって心から思える。
両親はいつでもわたしを気遣ってくれて優しかったし、
たっぷり陽が差し込む自分の部屋もあった。
憧れの学校にも通えた。たくさんの素晴らしい映画を観た。
誰にも言ったことはないけれど、自分の手の甲に並んだほくろだってお気に入りだった。
親友とよべる存在もできた。うららは、私には勿体ないくらいいい子で、
明るくて一緒にいると新しい景色を見せてくれて、それでいて思いやりのある
そんな素敵な子だった。
だから、こんなにも自分が未練がましい人間だったなんて思ってもみなかったのだった。
鶯原くんのことはうららに話して終わりにしたつもりだった。
わたしがどうしても手に入れられない、あの果てしなく懐かしい香り。
病気のことで最初から諦めていたと思っていたのに、こうしてここに戻ってきてしまうことが
わたしの執着の証拠だ。なんて苦しくて惨めなんだろうか、小さく絶望してしまう。
2人でまともに話したのなんて、あの卒業式の日だけなのに
理由なんてわからないまま、鶯原くんだけが、どうしようもなく私の光なのだ。
もう一度だけあの優しい時間のなかに行きたい。今度は諦めずに好きだって伝えたい。
鶯原くん、会いたい。
———
びゅうっと強い風が吹いた。
柄にもなく、『好きだ』って思わずひとりごちた瞬間に吹いたものだから
驚いてその場に固まってしまった。
それから、吹きついた風がまるで生き物みたいに
ゆるやかに優しくなって巻き付いて、すっぽりと身体を包みこんでいく。
僕はどこかおかしくなってしまったのだろうか、とても不思議な、
でもひどく懐かしいような感覚がした。
それから、呼吸とともに胸いっぱいに広がる
すべらかな、じんわりと温かいようなやわらかな香り。
固まった身体が甘くときほぐれていく。
そうか、これは———
『零香さん』
やっと、やっと会えた。あの日と同じ、淡く色づいた春と呼ぶにはまだうんと寒い、だけど満開の桜の下だった。
———
あの卒業式の日に、あなたが私を見つけてくれたみたいに
今度は私があなたを見つけた。
少しうわずった声が聞こえたんだ。
揺れる猫っ毛。体温にのって届いた香り。
果てしなく懐かしくて、こころに柔らかいひかりがともって、
呼吸が規則的に、ゆっくりになる。
でも同時に、なんだか凄くすごく泣きたくなる。
『鶯原くん、好きだよ』
この香り、優しい時間。
ずっと焦がれて欲しかったもの。
———
気がつけば僕は立ち尽くしたまま、ぼろぼろと泣いていた。
悲しいんじゃなくて、ただ身体が熱くて、壊れた蛇口みたいに涙が止まらない。
確かにさっき、あの風の中で零香と会えたんだ。
涙が滲みたシャツからじわりと立ちのぼる自分の蒸気が、
あたりに残った零香の香りとまざる。
胸がいっぱいになる、静かな香り。
するすると永遠へと伸びていく、果てしなくてすべらかな香り。
溢れる涙の中で、まだ寒い春の隅で、もう大丈夫だと
強くそう思った。
Scene E 「春」 いびき虫 @zzzgoo
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