掌編エッセイ・『あめふりクマの子』

夢美瑠瑠

 

 ご多分に漏れず、幼少の砌には、「おかあさんといっしょ」とかの幼児番組を見て育ち、いろいろな童謡を覚えました。


 山田耕作や、西条八十、そういう昔の有名な詩人とかの名曲を、子守歌のように聴いて育った。

 「どんなにぐれても、小さいころに、母親の子守唄を聴いて育った子供には希望がある」とか言う。

 

 母の語り聴かせてくれる、おとぎ話や、優しいメロディと歌詞の童謡を、誰もが聴いて育ち、情操をはぐくみ、愛と夢と希望を涵養された。だから心の奥底にはきっとそういう優しくて思いやりのある心が眠っているはずだ…だからどんなに心がねじけていても、立ち直れる、また健康で愛情にあふれる、人間らしい心を取り戻せる、そういう主張には、深く首肯したくなる。

 きっとそうだよなあ、と思う。


 そういう名作の童謡にはいろいろありますが、僕が好きだったのの一つに、「あめふりクマの子」というのがあります。

 

歌:童謡・唱歌

作詞:鶴見正夫

作曲:湯山昭



おやまにあめが ふりました

あとから あとから ふってきて

ちょろちょろ おがわが できました


いたずら くまのこ かけてきて

そうっと のぞいて みてました

さかなが いるかと みてました


なんにも いないと くまのこは

おみずを ひとくち のみました

おててで すくって のみました


それでも どこかに いるようで

もいちど のぞいて みてました

さかなを まちまち みてました


なかなか やまない あめでした

かさでも かぶって いましょうと

あたまに はっぱを のせました


この曲は、今でも「おかあさんといっしょ」とかで歌っていることがあります。親しみやすいメロディで、そうして、子供の心理にフィットするほのぼのしたリリックが素晴らしい。文字通りにリリカルです。

 

 水たまりには、魚なんかいない…そういう物足りない感じが子供なのですね。大人になって、その後に僕も川で20センチ大の鮎を釣ったりもしたけど、子供は基本的に無知で無能で、だから水たまりに魚がいるというイメージは「夢」でしかない。

 「なんにもいない」…だけど子供は別に不幸ではない。

 素朴に純真に、じっと水底を覗いている。

 

 そうして、やがて飽きて、「笠でもかぶっていましょう」と頭にはっぱを乗せる…その何でもない感じが牧歌的で、かわいらしくて、ハートウォーミングでいいのだと思います。


 …その後に僕は、そういうこの歌の「物足りない感じ」のポエティックさというか、「魚がいないがゆえの子供らしさの表現されている感じ」を、ことあるごとに思い出したりしてきましたが、ある時に、家にすごく可愛い、清純そのものの女の子が来たことがあって、そのことこたつに入っていて、不意にこの歌のことを思い出した。


 「「このさあ、こたつに今猫が入っているやろ。すごいいい猫なんだよな。このさ、猫がいないとなんかこたつも空虚やろ?その感じに似た童謡があるねん」


…そう言って、「あめふりクマの子」の話をすると、その子が「聴きたい」というので、YouTubeで探して、聴いてみた。


‪その子は、「ふうん」という感じに、例によって曖昧な表情をしていたけど、僕は、空閨を託っていた?空き家のようなところにも、アンタのような可愛い子が来てくれてホンマ嬉しい、感慨深い。

そういう気持ちを込めてその話をしたつもりでもありました。


…この思い出は、それだけなのですが、

子供の頃には、夢想するしか無かったことが、大人には比較的にたやすいことになる、そういう所謂「幾星霜あって」とか、「紆余曲折の挙句」とか、そういう歳月の経過みたいなことをやはり最近しみじみ感じることが多くて、そういうギャップが不思議な気がしたりもします。


人が生きて、成長していく。

それだけでも、それは奇跡のように不思議で、素晴らしい掛け替えの無い唯一無二の、宇宙にたった一回しか有り得ない貴重な出来事…


当たり前ですが、そういう奇跡の渦中にあるという幸福を噛みしめつつ、今日も努力して行きたいと思います😊

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掌編エッセイ・『あめふりクマの子』 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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