第89話:逃げた者

 一方のナナは、大学の課題や読者モデルの撮影にと忙しい毎日を送っていた。ただ、元彼と同様に彩乃と麻呂という大切な友達も、自分の元から離れていってしまうのではないかという不安が付きまとまとっていた。


 ただ、冷静になってみると、それ以上にイツキと江奈に対して非常に申し訳ないことをしてしまったという気持ちが大きかった。


 あの時、あの場から走って逃げてしまった。頭が真っ白になって冷静さを欠いていたのは事実だが、"逃げた"ということは、"パチンコはバレたくないもの"と自分で認めてしまったということでもある。


 逃げたのは"あの場"からだけじゃない、もっと大事な"自分の好き"から逃げてしまったのだとナナは感じていた。


 イツキからは、父が"森物語"を作っているという話やイツキ自身が過去にパチンコで傷ついた話を聞いていた。江奈は勝負を通して距離がぐっと縮まったところだった。「それなのに、わたしは…、」ナナは走り去ったあの時の自分がただただ悔しくて、腹立たしくて、涙も出なかった。


「ナナさん、ちょっと表情固くない? もうちょっと、いつもみたいな笑顔もらえる?」


 撮影中、カメラマンさんからのディレクションにナナはハッとした。


「す、すみません! もう一度、もう一度お願いします!!」


 ナナは全力で笑顔を作ったが、いつものように心から笑えているそれではなかった。


 彩乃と麻呂に、ちゃんと話がしたい。イツキと江奈にちゃんと謝りたい。その思いが先走るだけで、果たして何を伝えるのか、どのように謝るのか、ナナの中でそれがまとまらなかった。


 秋の虫の音も聞こえなくなった撮影からの帰り道。家の最寄駅についたナナは、誰もいない暗い夜道で落ちていた石ころを蹴飛ばしてみた。誰にも当たらないことは分かっている。


 それでも…。最初の1玉目で当たりを引くくらい無理だって分かってるけど、うっかりイツキの足首に当たらないかなと期待を込めて蹴飛ばした。


 カーン ) ) )


 当たり前のようにイツキには当たらず、かわりにミラーの鉄柱に当たった音が、乾燥した夜空に寂しく響いた。

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