時をもどせるのなら

桜 師恩

第1話

 歩みを進める度に、紅葉もみじの崩れる音が響く。

「寒くなってきたな…」

 一向に終わる気配を示さなかった夏が突如とつじょ終わり、空気はカラッとしていた。

 顔を上げて、見慣れた建物を見上げる。最寄もより駅から三駅、徒歩10分。堂々とそびえ立つ病院は、私の務め先だ。


 ここは『坂上さかのうえ病院』。その名の通り、坂の上にある病院だ。

花画はなが先生、おはようございます」

「おはよう」

 白衣を羽織はおりながら、看護士と挨拶を交わした。

花画はなが 医名いな』と書かれた名札を首に通し、

「次の方、どうぞ」

 と、ドアの向こうに声を掛ける。

 入って来たのは13歳の男の子と、その母親だった。

「あの、最近この子の様子がおかしくて…」

 椅子に座るやいなや、彼の母はそう私に訴えかけた。

 私は彼と向き合い、息を飲んだ。

「あの、いつからでしょうか?」

「たしか、2日前からです」

 それを聞いて、少し安堵あんどする。2日前なら、まだ間に合う。

「息子さんは、ある伝染病にかかっています。」

「伝、染病…?」

 呆然ぼうぜんと首を傾げる。

「はい。今息子さんがなっているのは、『笑幸しょうこう伝染病』です」

「しょうこう、伝染病?」

「笑うと幸せと書いて笑幸しょうこう伝染病です。その名の通り、とても笑うんです。幸せそうに」

 私は彼を見た。恐ろしい程に、満面の笑みでこちらを見ている。目が合っているようで、どこを見ているのかわからないうつろな目だ。

「この伝染病になると、感情がなくなってしまいます。ただ、笑うことしかできなくなってしまう。」

「そ、そんな……」

 彼の母は膝の上に置いた手を強く握りしめ、目を泳がせた。

「で、でも、命に別状は無いんですよね?」

「……いえ」

 この伝染病には、特に厄介なことがある。これを告げるのは、最も苦行くぎょうだ。

「息子さんの余命は、1です。」

 彼の母は一瞬にして青ざめ、小刻みに震え出した。

「ごめん、ごめんね……もっと、もっとあなたと一緒にいられる時間を大切にするべきだった。……ごめんねぇ」

 と、泣きながら彼を抱きしめていた。

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