うたかたのうた

冬不純黄昏

イントロ

 人一倍、夜が怖かった。


 それとは関係なく、彼女は夜遅くまで塾に通っている。帰りは毎回夜だが、幾度となく夜を越えても夜には慣れない。だから彼女は、

「イヤな事ぜんぶ忘れちゃおう 一晩眠って目覚めたら ハッピーガール…」

歌を歌う。夜になると帰り道にひとけのなくなることを逆手にとって、思いっきり歌いながら自転車を漕ぐ。

 塾に通い始めて六ヶ月ほどか。中学二年の中頃から通い始めた。能動的に塾に行ったのかというとノーで、ほとんど強制的に行かされたようなものだった。中学二年へと進級を果たしたとき、クラスを持つ担任教師が変わった。こいつが、生徒の成績に熱心でいらっしゃることだった。一年の頃からかなりひどい成績だった小宵は、二年に上がったタイミングで無論、担任に目をつけられた。

 かくして、ぼんやりと生きてきた代償は成績表を認定証にしてあらわとなり、(夜が怖いという言い訳は通用しない空気で)塾へ行かなければならなくなったのである。その時に、所属していたパソコン部を辞めてしまったりもした。理由もなしに帰宅部でいることは許されないという校則に縛られて、「比較的緩そうな部活」というから入部しただけであったので、塾を理由に退部できたことだけは、正直喜ばしいことだった。

 塾に通うこと六ヶ月。先週で中学3年生になった。あと一年ほどで高校入試を経験しなければならない頃になっても、“ぼんやり”は治らなかったわけだが。ぼんやりと生きてきた自分に恥は抱いていなかった。ただ、TPOが変化するたんびの自己紹介だけは恥ずかしい。

「私の名前は…」小宵と書いて「こよい」です。小さな宵…漆黒に対する小心者を肯定しているつもりだろうか。夜を無性に怖がる彼女に相応しい名前には違いない。それが恥ずかしい。


 塾から家までは、擦りすぎて間奏まで覚えてしまった歌を6つ口ずさむくらいの所要時間がかかる。音楽で暗闇を掻き消したいのならヘッドフォンと音楽プレイヤーを使えばいいはずである。彼女はそのどちらをも持っていたが、以前ワイヤレスのイヤホンを落として失くして以来、自転車に乗りながらのイヤホンなどは母親に強く咎められていた。

 ちなみに歌のチョイスにも思慮深い考えがある。その深謀遠慮を一言でいうならば……不気味でないもの。これに尽きる。例えば『たま』というグループの作るような奇奇怪怪な歌、ああいうのは駄目だ。以前一曲目に『たま』から『電車かもしれない』を選んで歌って帰ったときは夜が普段の約1.73倍ほど恐ろしかった。もう二度と歌うもんか、と思っている。

 と、今、丁度、小宵が今夜の六曲目を歌いながら帰ってきた。鍵を取り出す。

「赤い陽が僕を睨む様 あくびしたら滲んだ世界 望みはメトロノームのよう…」

 フェードアウトしてゆく歌。それが完全に消えたとき、鍵穴は垂直に回ってガチャリと音を立てた。それから彼女は、家の扉の開閉音と同時に「何か良い歌ないかな」と考えながら携帯電話を取り出した。良い歌の基準は、“夜の怖さを吹き飛ばせそうかどうか”が大きい。携帯電話は起動した瞬間から既に動画サイトを開いている。動画サイトに棲まう偉大なる知の結晶・AIは『あなたへのおすすめ』とはりきって音楽関連の動画を液晶いっぱいに押し付けてきてくる。

 それから「ただいま」と言いながら小宵が、塾へ持って行く鞄としても兼用している中学校指定通学鞄をブンと投げる。ぼすん、と音を立て、ソファに着地する鞄。そのソファの上、鞄のちょっと隣で、一つ世代が前だろう、というゲームのハードで弟が遊んでいる。「おかえり」と言う彼の視線は画面から逸れていない。ゲームしすぎんなよ、と注意したくなったが…いややっぱどうでもいい。

 どうでもよくないものが風呂だ。これが非常に良くない。これから風呂へ入るわけだが、夜を恐ろしがるということは、夜に入る風呂も恐ろしい。風呂場の鏡はどうしてああもでかいのか、疑問に思えてならなかった。「あなた、先にご飯にする、それもお風呂、それとも」の選択において かつて「お風呂」を父が選んだがために、小宵の家では晩ご飯の前に風呂へ入ることがルールとなっていた。


 二つ結び。髪を解く。編まずにストレートに垂らされたおさげが、しゅるしゅると広がってゆく。そこまで長さはない。衣服をがさつにかごへと投げ入れて、風呂場へ入ってゆく。蓋をキャタピラ状に畳み、覗き込む。水が張ってある。湯加減を確かめようと薬指をス、と差し込むと、同心円状に水がかわいらしくはずんでみせた。

「…」

 なるべく鏡に自分のからだがうつらないような位置で、なるべく鏡にうつった自分と目を合わせないように器用にアメニティグッズに手を伸ばす。右からシャンプー、リンス、ボディーソープ。一つにまとまってくれればいいのに、といつも思う。

「…」

 がっしゃ。ぐわし。この二種を含む、せいぜい三種ほどの擬音で小宵の洗身は表現できてしまう。最後のひとつの擬音、“じゃあああ”と共に適当に体についた泡を流す。これで彼女の洗身は終わりのようだ。

「…」

いよいよ湯船へと入る。

「…」

丁度いい湯加減だ。

「…」

「…」

「…」

………ご明察だ。そのとおり。小宵は風呂場で歌わない。風呂は音がやたらと響く。素人の歌声を聞かせてしまっても家族に申し訳ないから、だから歌わない。…ということはなく、以前まで小宵にとって風呂場は、(塾の帰り道に次ぐ)第二のライブステージであった。ただ、ある日を機にここで歌うのはやめてしまった。

 彼女の父は近年、立派なビル内の職場には赴かず、家にいながら仕事をする…いわゆる在宅ワークをよくするようになってきた。そんな在宅ワークでは、電話をつかって会議をすることもある。夜遅くまで。そして、ある日、小宵は、つい、湯船に浸かりながら、父が電話で会議しているのを忘れて歌ってしまった。

………そういうことで、父の職場にて、彼の娘の音楽の趣味がどういったものなのかは周知のものとなってしまった。父を叱らなかった父親の仕事仲間の優しさに感謝しつつ、小宵は大袈裟に、

「…はあ。もう二度とあんな失態は晒さない…」

と、湯船に鼻のすぐ近くまで顔を沈めて、言ってみせた。ぶくぶくと泡が湧いた。


 そういうわけで、今では、“塾の帰りのひとけの無い道”は、小宵にとって唯一、心ゆくまで歌うことのできるシーンとなっていた。自転車を漕ぎながら歌を口ずさむこのシーンが小宵はちょっと好きだ。もっとも、「歌うのが好き」というエネルギーよりはるかに大きな「夜が嫌い」ことによるエネルギーを持っており、塾に夜遅くまで通わなくてすむのなら歌を歌えなくなっても、そちらの方が良い、とこの時点で考えているが。でもやっぱり、一人で歌をポツポツと歌うのは好きだ………


 ………危ない。風呂の中で眠りかけていた。洒落にならない。さすがに“ぼんやり”しているうちに死んでしまっては、“ぼんやり”することが嫌いになってしまう。そうなるのを避けるためにも、ざばあ と水を落としながら彼女は立ち上がる。ゆらゆらと揺れる湯船に足をすくわれないように気をつけながら、風呂から出る。


 しばらくを、音楽を聴きながら過ごす。そんなに長くない時間だ。ご飯を食べる頃に丁度九時を迎える。

 今日は金曜日。金曜日は好きらしい。確かに一般的にこの国の国民は土曜日と日曜日が好きで、小宵も学校週5日制のもとでぬくぬくと生き、また、まだ休日出勤などを知らない一般的な子供であるということもある。しかし、“これから二連休を迎える日”としての金曜日ではなく、“平日”としての金曜日も彼女は好きだった。

 ピッ。リモコンから放たれた不可視の赤い光線がテレビを点ける。テレビはカラフルな光を食卓に与える。9時…正確には午後8時56分、始まる。今週流行りの音楽を流すだけで多大な需要を獲得してしまった見事な音楽番組が始まる。ここで、小宵は、今週の塾の帰りに歌う曲を選りすぐってやることもある。だから好きだ。

 もっとも、ここで紹介されるような最新の流行りの歌に小宵が好きそうなものは少ない。彼女は、例えば数年前に流行った歌であったり、誰も知らないような素人が「歌ってみた」とほざいて動画投稿サイトに上げるようなマイナーな歌が好きだ。それが全てではなく、流行りの歌も好きだが、ならなぜ歌わないのかというと、分からない。別に、他人と同じでいることを嫌うような天邪鬼ではないのだけど。


 結局迎えた次の塾の日、

「イルミネーション 真下に見下ろし 夜を昇ってゆく エスカレーター…」

歌っていたのは、母親の好きだったアニメのエンディングテーマだった。

「(今日はアニソン縛りで帰ろう)」



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