第23話

「それにやよちゃんの高い霊力なら、おれの魂に宿った妖力と風鬼の力による鬼化にも耐えられる。他の人間やお前以外のあやかしには、おれの力は強すぎて耐えられない。おれの力を継げるのは、今やお前かやよちゃんしかいない。それなら既に鬼の力を持つお前より、何も持たないやよちゃんの方がいい。後は名前も気に入った。弥生だぞ。『彦からまれた』って、語呂がいいだろう」

「だからといって、無関係な人間を巻き込む必要はないだろう。俺がおまえの分まで力を引き受ければいいだけだ。そういう遺言だっただろう。生前に取り決めた時は」

「気が変わったんだ。それに言っただろう。このままだと、やよちゃんはあやかしに殺されてしまう可能性の方が高いって。それなら先におれたちの手であやかしにしてしまえばいい。鬼になったやよちゃんを相手に敵う奴なんて、滅多にいないだろうからさ」

「……本人は同意しているのか。あやかしになることに」

「これから本人に決めさせればいい。人のままがいいなら、おれの力を返してもらって当初の遺言通りにお前が引き継げばいい。だが、おれは鬼になることを勧めたいね。鬼になればお前の側にいても怪しまれない。やよちゃんもお前に守ってもらえる。一石二鳥じゃないか」

「決めさせるも何も、彼女は人間だ。これからも人間としての生を全うさせてやれ」

「あれだけ霊力が高ければ、転生しても完全に消えないだろう。来世もあやかしと関わらざるを得ない。それなら最初からあやかし側に居た方がいい。人間としての欠点をあやかしとしての美点に変えるんだ。本来人間に見えるはずがないあやかしを見えないものとして無視して、見ない振りをするのも心労になるからな」

「だからって何も俺の側じゃなくてもいいだろう。他のあやかしのところでもいい」

「そんなことをしたら、お前、今度こそ孤独になるぞ。耐えられるのかよ。あやかしの長い人生を一人で過ごすんだ。気が狂ってもおかしくない」


 背筋も凍るような冷たい低音に朧は言葉を詰まらせる。

 弥彦の言っていることは間違っていない。あやかしの長い人生に耐え切れなくなり、狂人と化して自死を選んだあやかしも少なからずいる。

 そういったあやかしと生涯を全うしたあやかしの違いは、身近に支えてくれるあやかしがいたかどうかだと言われていた。


「俺にはお前と母と三人で過ごした思い出だけがあればいい」

「死んだおれたちには過去しかないが、お前と鬼になったやよちゃんには未来がある。過去じゃなくて未来に目を向けろ。今が辛くても、未来に蓋をするな。未来を信じて蓋を開けてくれ。やよちゃんと一緒に。そうすればおれの心残りもなくなるから……」

「だがそこにお前はいないのだろう!? 駄目なんだ。お前がいないと……。お前と違って、俺は弱い男だから……」

「朧……」


 声を荒げた朧に弥彦は溜め息を吐くと、もう一つの猪口を一気飲み干す。朧も同じように猪口に口をつけながら傍らの心友に目を向ける。こうしていると、共に月見酒をしていたのが昨日のことのように思える。二人の間には徳利と猪口を乗せた盆しかない。それなのに未来を生きる朧と過去でしか生きられない弥彦はもう同じ時間を過ごせない。

 なんともどかしくて――残酷なことだろう。


「お前の心残りは俺だけか?」

「他にもあるよ。例えば、好きな映画の続編が観られなかったとか、現世の珍しい食べ物をもっと食べて、あちこち旅してみたかったとか」

「くだらないな」

「現世で用心棒をやっていた時に、必ず守ると誓った人間を守ってあげられなかったとか。それも二人も……」


 その時、弥彦の身体が傾いだので朧は慌てて支える。夢現のように弥彦は呟く。


「お前のお母さんが死んだ時からさ。先に逝く悲しみと置いて行かれる悲しみ、どっちがより悲しいのかずっと考えていた……」

「……答えは見つかったのか?」

「答えは出なかった。どっちも同じくらい悲しくて……辛いな。おれだって本当はお前ややよちゃんと、もっと同じ時間を過ごしてみたかったよ……。おれとお前とやよちゃんの三人で幸せな時間をさ……」

「弥彦……」

 

 弥彦はそっと泣き笑い顔を浮かべた。その弱々しい笑みが弥彦の最期を想起させられて、朧の心がかき乱されそうになる。


「お前は弱くなんかない。強い奴だよ。危険を顧みず、暴走したやよちゃんを止めたんだ……。今のおれとやよちゃんといられるのは、あの時お前がやよちゃんの心を救ったからなんだ。お前のことを誇りに思うよ。友として、兄弟として……」

 

 弥彦の身体から力が抜けると、その姿は弥生に戻っていた。弥彦は弥生の中に戻ったのだろう。また会えるだろうか。

 弥生に宿る弥彦の魂が、宿主である弥生と完全に同化して、弥彦の意識が無くなるまでに。

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