第2話
窓を打ちつける雨粒の向こう側には茶色の土が剥き出しになった田畑が広がっていたが、その間を奇妙な一団が通っていた。
ぼんやりと白く光る提灯を手にした一団の中心には白い角隠しを被った白無垢姿の女性がいた。女性の一歩前を歩いている黒い紋付袴の若い男性が花婿だろうか。そんな二人の前後には唐草模様の風呂敷包みを持った宰領らしき年配の男性を始め、花嫁と花婿の親族や招待客と思しき老若男女が続いていたのだった。
(行列そのものを見るのはかなり久しぶりかも。花嫁さんは可愛らしくて、花婿さんは凛々しそう)
一団は二本足で歩いているが、花嫁の頭からは角隠しで隠しきれなかったのか獣のような薄茶色の毛に覆われた三角形の耳が立っていた。花婿や後ろに続く人たちの中にもやはり花嫁と同じように頭からピンと尖った三角形の耳を生やしていたが、どうやら毛の色は狐によって違うらしい。花嫁と同じ薄茶色の毛もあれば、茶色や白色、黒色の者もいたのだった。耳が出ている者の大半は年若い狐たちに多いようなので、おそらく人間に化けようとして、上手く変幻出来なかったのだろう。中には服の下から狐のような尻尾が出ている者や手足が狐の形の者もいたのだった。
(雪も解けて暖かくなってきたから、狐たちにとっても嫁入りにはピッタリの時期なのかな。いいな、羨ましい……)
季節的に三月下旬から降り始めるという
自分もいつの日か白無垢を着ることができるだろうか。生まれながらの弥生の
ドアが閉まって走り出した電車の中から狐の嫁入り行列を見ていると、その行列の横を自転車に乗った高齢の男性が後ろから追い越して行く。その男性から少し遅れるように、自転車の後ろに子供用の小さな椅子を取り付けた子供乗せ自転車に乗った母親と、母親の後ろに座るピンク色のヘルメットを被った二、三歳くらいの小さな女の子も嫁入り行列の横を通り過ぎたのだった。
車内にいる人たちだけでなく、自転車を漕いでいたお祖父さんと母親も狐の嫁入り行列に全く気付いていないようだったが、母親の後ろで退屈そうにしていた女の子は気付いたらしい。後ろを振り返ってまで、興味深そうに狐たちを見ているようだった。
(あの子は狐たちに気付いたみたい)
無垢な子供に狐たちはどんな風に映ったのだろう。奇妙なものに見えたのか、それとも共に生きる隣人のように思えたのか――。
電車が速度を上げると窓から狐たちが見えなくなる。窓から視線を外すと不意に後ろから誰かの視線を感じて、弥生は身震いしたのだった。
(この感じ……)
犯罪者や不審者が見ているわけではない。人が向けてくるものとは違ってどこか冷え冷えとした視線、首筋を舐められているような全身が総毛立つ感覚。
弥生は首筋を押さえながら振り返るが、そこには誰も立っていなかった。周囲を見渡しても他の乗客は知人と会話をしているか、手元のスマートフォンや本に目線を落としており、弥生に目を向けている者は一人もいない。それでも鳥肌は立ったまま身の危険を知らせており、弥生の身体からはどんどん血の気が引いていったのだった。
(これは、マズイかも……)
その時、車両が音を立てて揺れたので、弥生の心臓も大きく跳ねてしまう。得体の知らない視線に怯えていたからか、弥生は小さく悲鳴を上げてしまったのだった。
「大丈夫ですか? 青い顔をしていますが、どこか具合でも悪いのでは……?」
悲鳴を聞いたのか、近くに立っていた会社員らしき若い女性が気遣って声を掛けてくれる。その声に他の乗客も振り返るが、やはり誰も怪しげな視線に気付いていないようだった。弥生だけが視線に気付いて怯えているということは、やはり相手は
「大丈夫です。電車の揺れに驚いてしまっただけで……」
「でも……」
「本当に大丈夫です。すみません……」
弥生の言葉に女性はどこか納得していない顔をしていたが、話したくない雰囲気を察してくれたのか、それ以上の詮索はしてこなかった。他の乗客も同じ。弥生のことは放っておいてくれた方が助かる。冷たく聞こえるかもしれないが、それが最善の方法だ。
弥生自身も無関係な人を巻き込みたくない。乗客は大勢いるが、視線の主が狙っているのは弥生一人のようだった。それなら騒ぎを大きくしない方がいい。
これまで感じたことのない殺気立った視線に絡め取られてしまっただけで、それ以外は普段と何も変わらない。いつものように耐えて、逃げればいいだけ。それまで脱出が間に合えばの話ではあるが……。
(逃げられるものなら、ここから早く逃げ出したい。でも……)
足が震えて今にも倒れそうになるのを堪えるように吊り革に手を伸ばす。深呼吸を繰り返すと、早鐘を打つ胸を鎮めようとした。
ここから逃げなければならないと先程から本能が告げているが、動く密室とも言われている電車内にはどこにも逃げ場がない。逃げられない以上、気付かない振りをして、早く弥生から興味を失ってくれるのを待つしかない。弥生は祈るように吊り革を掴む手に力を込めたのだった。
(お願い。あっちに行って。電車も早く次の駅に着いて……)
目を瞑ってしばらくその場で身を固めて耐えていると、電車は次に停車する駅のホームに入って行った。ドアが開くと、弥生は他の乗客を押し退けるようにして電車から降りる。
手が震えているからか、ショルダーバッグから定期券を取り出せなくて改札口の前でもたついていると、挙動不審な弥生が余程急いているように見えるのか駅員や改札機を通る人たちが時折怪訝そうな顔を向けてくる。その間も視線の主が近づいて来るような気がして、身体中からおびただしい量の汗が流れ続けた。
ようやく定期券を手にするが改札機の扉が開くのももどかしく、弥生は扉に身体をぶつけながらホームから離れたのだった。
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