考えすぎな邂逅

「キッショ、何で分かるんだよ」


 階段の上に立っていた"朝露咲良"は不気味な笑みを浮かべてそう言った。

 アタシはすぐさま魔装に着替え──られない。神様に呼びかけても答えてくれない。まるで何かに囚われているかのように動けない。動けないのに、ここから離れたい一心の自分の意思とは逆に足は階段を上り、"朝露咲良"の目の前まで歩いていく。


「ッ……アタシに、何を」

「別に? ちょいとばかし操らせてもらっただけだ。あまり騒がれると迷惑なんでな」


 その声は完全に咲良のものだ。顔の造形も、身体の細さも、髪や瞳の色も全て咲良のものである。

 だが表情と声色だけが致命的に違っている。少なくとも彼女はこんなに流暢には話さない。


「キミは、誰だ」

「俺か? 俺は朝露咲良だ。正真正銘の、な」

「嘘だ。あの子はこんな喋り方はしない」

「……チッ、本体め」


 指一本動かせなくなってもアタシは毅然と対応しようとする。

 だが、本音を言えば一秒でも早くここから逃げ出したい。何しろ目の前の少女から感じる圧倒的な魔力すらも咲良とほぼ同じだったからだ。


「……まァ、コイツならいいか」

「は、はあ?」

「あー、実はな……」


 彼女は話し始める。

 実は今、サブカル同好会一行はに映画を見に行っている事。その間にもし来訪者が居た場合にバレない様にそれぞれの分身を作り出し、置いている事。

 ただしその分身はあくまでも単なる立体映像に過ぎない為、何かあった時の為に実体を持つ分身である自分がここに残されている事……


「つ、つまり……脱柵ってこと?」

「ああ、そういう事になるな」

「映画の為に? というか映画なら校内にあるじゃないか」

「上映されないらしいぞ。学校側に言っても対応されなかったとか」

「ッ……それならアタシに言ってくれれば映画の一本や二本対応したのに……!」

「知らんがな」


 眩暈がする。

 咲良は今の日本、いや世界において最もと言っていい程重要な人物だ。そんな彼女が勝手に外に出た? それも映画を見る為だけに?


「と、兎に角脱柵は脱柵だ。流石のアタシでも毅然とした対応を取らざるを得ないよ」

「そうか」

「ああ……は、離してくれないかな」

「無理だな」

「ひゃんっ!? ちょ、な、何を」


 そう言うと、彼女はグイ、とアタシに近付く。

 そして杖を取り出し、ぐっとスカート越しに股間に押し当てる。思わず声を上げてしまったが、彼女はそのまま空いている左手でアタシの顎を持ち自らの顔に寄せる。


「俺がいる理由は本体の不在を悟らせない為だ。それを伝えようとするなら……このまま帰す訳にはいかないな」

「っ……」


 押し当てられる杖が徐々に強くなる。

 だがそれは、彼女が次に放った言葉と共に恐怖へと変わる。


「良いか? 俺はその気になれば国諸共お前達を消し飛ばす事だって出来るんだ」


 彼女の膨大な魔力がアタシを包み込み、悪寒となって襲い掛かる。

 普段のコミュ障気味の態度とこじんまりとした体型で忘れてしまっていた──彼女は、この星の誰よりも優れた魔法師なのだという事を。

 今、アタシの言葉にこの国の全てがかかっている。視界が歪み、膝は震える。冷や汗は既に流れ切り、不快な寒気が身体全体を覆い尽くす。



「──少しは、態度に気を付けた方がいい」


 そう言うと、彼女は部室に戻っていった。

 瞬間、アタシを束縛していたモノが消え、その場にへたり込む。まだ身体の震えは止まらない。最早この時点で、咲良の件を学校側に伝えようという気は失せていた。


「ぁ……」


 ちょろちょろ、と膝と股が熱くなる。見ると黄金色の液体が制服を汚し、床に広がっていた。

 だが、それを取り繕う心の余裕は今のアタシにはなかった。ただ、今は世界の危機を脱する事が出来た事を実感して放心状態、その場から動く事も出来ない程に脱力してしまっていた。



「師匠ー、ちょっと特訓に……あれ?」

「ちょっと静かにしなさ……ん?」


 と、そこに現れた二人組。黒髪の少年と赤毛の少女は階段を上がってきた所でアタシと目が合う。


「睡蓮先輩、どうし……え」


 彼のその視線は下へと降りていき、やがて言葉を詰まらせる。


「……ひぁ」

「えっ、なっ」

「どうし……ちょっ、ばっ」


 途端に顔が熱くなり、目尻に涙が溜まる。

 彼は予想だにせぬ光景に動揺し、遅れて状況に気付いたらしい比奈が顔を赤くして彼の目を手で覆い、そのまま階下へと引っ張っていった。

 残されたのはアタシ一人。のろのろと立ち上がり、濡れた制服を隠す為に魔装に着替える。


「……掃除、しなきゃ」


 せめて分身の性格はもうちょっとマイルドにして欲しい、アタシは心からそう思い、モップで床を磨くのだった。



──────

───



「満足感が……凄い」


 紅葉が自らの分身に脅されて失禁しているとは露知らず、咲良達は映画を観終わり映画館の外まで出てきていた。

 咲良は今自分が観た大作の悦に浸り、他の三人も心地良い浮遊感に身を委ねている。


「七百人なんてどう処理するのかと思ってたっすけど、滅茶苦茶うまく描写してたっすね……クロフィア組もめっちゃ絡みあって良かった……」

「そうですなあ。流石にメインはここ十世代に絞っておりましたが、それ以外も動きにそれぞれの個性が出ていて素晴らしかったですぞ」

「やはり初代の活躍は期待を裏切らんかったのう。求めていたものが御出しされたわ」


 そうして歩きながら感想戦に移行する。

 時間はもう昼、ここらで何か美味しいものでも食べようという事で歩いているのだ。


「何にする、です?」

「ここらにはまあ色々とあるでござるが……」


 と、昼飯の選定をしていた時の事である。




「──久しぶり」



 不意に声がかけられる。

 いつの間にそこに現れたのだろうか。透明感のある薄水色の髪に病的なまでの白い肌をした少年が彼女らの目の前に立っていた。

 咲良や雲雀、小冷の脳内にクエスチョンマークが現れる。学園は女の園、こんな出会いなどある訳もない。まさか新手のナンパだろうか、などと勝手に思うが、どうやら炉欄にとってはそうではなかったらしい。

 彼女は顔を明るくさせ彼に駆け寄る。


「涼介! 久しいのう、元気にしておったか? ちゃんと食べておるか? 風邪などひいておらんか?」

「はは、大丈夫だよ。全く、心配性だな」


 そうして何やら心配する様子を見せ、ジロジロと彼を見回す。

 そんな彼女の様子にやや辟易とした、しかし嬉しそうな表情をする彼。どうやら旧知の仲らしいが、一体どこで知り合ったのだろうか?


「あの、先輩……お知り合い、です?」

「む? ああ。コヤツは桜井涼介という者でな。まあ……古い知り合いじゃよ」


 何やら含みを持たせる様に一瞬口ごもり、彼女は言う。

 それに涼介はニコリと微笑み、咲良に向き直る。


「どうも。君が朝露咲良さんだね。話は聞いてるよ」

「あ、はい……私の事を知ってる、ですか?」

「勿論さ! 十華族の期待のホープも一蹴する程の実力の持ち主だってね。今日態々映画の為に連れ出したのも君だろう? 脱柵なんて大胆な事するね」

「む……」


 彼の言葉に咲良は若干警戒度を上げる。

 ここで偶然会った、という風を装っているが、今日ここに自分達が居る理由と方法を知っているという事は、この邂逅も意図したものであるのは明白だ。

 それでも何かしらの行動に出る事がなかったのは、偏に彼が炉欄に信頼されていると感じたからだ。怪しさ満点ではあるが、彼に向ける炉欄の表情が慈愛に満ち、それに対しての彼の喜ばしい表情も本物であると彼女は感じていた……その関係性についてはかなり気になってはいたが。


「これ涼介、ワシらは今お忍びなんじゃ。外には漏らさんでくれよ?」

「分かってるよ。僕だってこれからの学園生活を楽しんで欲しいしね。ただ……」


 彼は咲良に近付き、言う。


「昼ご飯は諦めて早く帰った方がいい。学園に君達向けの客が来てる……分身での対応でも良いのなら別だけどね」

「……どこでそれを、知ったのかは知らない、ですが……ご忠告には感謝する、です」


 分身で不在を誤魔化している事まで知られている。


 と、そこで咲良は思い出す──自分はこの少年の事を知っている。


「貴方も……無暗に学園に侵入するのは、やめた方がいい、ですよ?」

「オット、バレていたか。ご忠告痛み入るよ。でも同じ男の魔法師なんだ、気になるのも仕方ないだろ?」

「まあ……それは分かる、ですが」

「あ、あと君達が入部してくれてから彼女がもっと明るくなったんだ。その点は感謝するよ」

「は、はぁ」


 以前芽有と共に見たのだ。彼が自らの弟子──快人と密会している場面を。

 あの時の芽有の異様なテンションとその後彼女が言った言葉のインパクトで記憶が埋め尽くされていたので今まで忘れていたが、よく考えてみれば目の前の少年はあの時見た謎の少年である。


「ちょい、何を二人でコソコソと喋っておるのじゃ?」

「何でもないよ。僕はそろそろ行かなきゃ、じゃあね」

「お、おう……お腹を冷やすでないぞー!」

「「さ、さようなら(っす)」」

「……」


 そう言うと、彼は人混みの中に消えていく。炉欄は謎の心配──そもそも自分が普段は腹丸出しの制服を着ているというのに──をし、雲雀と小冷は困惑のまま、咲良は無言で彼を見送った……




「……馬鹿な、何故ここに居る……!?」


 そして、そんな彼女らを見て驚く男がいる事に咲良達は気付く事もなく、昼飯を泣く泣く諦めてテレポートで学園へと帰るのだった。


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