8 火法輪澪「私も、雪見が、大好き」




 私の名前は火法輪ひのりわみお


 絶望的な恋をしている。


 高校二年生の春、私はそう思った。



 ーーーー☆彡




『この店に計屋はかりと赤森京子が来る』



 へ? 何回聞いても頭に入ってこない。何言ってるの雪見。



『じゃあ、私と付き合って。雪見くん』



 は? まともに喋ったことないのに?



『分かった。付き合おう』



 はぁ!?






 ーーーーーー☆彡






 計屋はかりと赤森京子というアイドル二人が退店し、今私は雪見と二人でテーブルを挟んで席に座っている。



 襲来だったな……と思う。文字通り嵐の襲来だった。


 突然現れて、その圧倒的な力ですべてをなぎ倒し、去っていった。



 店内はまだまだ営業中で、食事をしている人や、他の従業員たちが生み出す音があるはずなのに、私にはなにも聞こえなかった。



 そう思えるくらい、意識が遠くにいってしまったように感じる。


 私が何も喋らないから、雪見も何も喋らない。


 こいつ。


 こいつは、あの、アイドルたちを目の前にしてたくせに、何涼しい顔してんだ。


 はっきり言って女の私が見ても、あの輝きにはビビった。


 赤森京子ももちろん可愛かったけど、計屋はかりははっきり言って異常だ。


 この世に存在するもっとも高名な人形作家が作った作品って言われたら納得できるくらい、造形が整っていた。


 瞬きするたび、唇を開くたび、目を奪われた。



 その美しさの権化みたいな顔が、私を見て、歪むのが分かった。


 私が彼の隣で、隙あらば身体に触れようとしているところを、見抜かれた。



 私と彼の距離感を見て、焦燥感に駆られてるのも分かった。



 まだ彼とちゃんと話したこともないくせに。


 彼のことなにも知らないくせにって思ってしまった。



 計屋はかりは雪見のことが好きなんだって、彼女が告白する前に私は分かった。


 だから、今思うと私の存在は完全に逆効果だったんだと思う。



 まさかここ、このタイミングで行動に移すとは夢にも思わなかった。




 そして、雪見は告白されて。


 長い沈黙のあと、了承した。




 付き合うって確かに言った。つきあうって。




 そりゃ、OKするよねと思う。


 日本中の男子が喉から手が出るほど欲しい人に、告白されたんだもんね。


 でも同時に、雪見ならスパッと断ってくれるんじゃないかという期待もあった。



 この人は普通じゃないから。


 私が、私だけがこの特別に気づいてると思ってたのに。



 よりによって恋々坂第一位の計屋はかりに奪われる?


 ただの男子高校生が最強の敵に見つかるなんて。




 こんなことってある?



 身体がソファに沈み込んで二度と立ち上がれない気がする。




 テーブルの向こうの雪見を見つめる。


 何食わぬ顔でスマホでメッセージを打っている。


 妹の有希ちゃんだろうか。


 有希ちゃん、何回か会っただけだけど、可愛いんだよな。


 可愛くて、賢い。


 私もあんな妹がほしかった。




 有希ちゃんに相談したいな。




 有希ちゃんへ。




 あなたのお兄ちゃんはアイドルと付き合ってます。


 めちゃくちゃ格好いいわけじゃないのに。


 いや、私は、個人的に、その、目とか、かっこいいと思うけど。


 計屋はかりなんかと釣り合わないのに。


 いや、私は、雪見も負けてないと思ったり、思わなかったりしてるけど。


 あー雪見は勝手に彼女はつくらないと思ってた。


 うぇーん。泣き。


 有希ちゃん私はどうすればいいですか。


 知らないよね。誰だよ状態だよね。痛いよね私。ああ。


 しょーもない思考がドロドロドロドロ垂れ流されていく。



 恨みがましい目で見つめてたらやっとこっちを見た。


 こいつぅ。


 なんとか言いやがれ。



「仕事戻らなくていいのか」



 ちがう。そうじゃない。


 何事もなかったようにそんなこと言うな。



「いい。私もうタイムカード切ってる」



「そうか。俺もそろそろ帰るわ」



「一緒に帰っていい?」


「家の方向逆だろ」


「途中まででいいから」



 一見怠そうな振る舞いをしてるけど、雪見は心からの頼み事を断らない。


 そして本当の頼み事を彼は必ず見抜く。


 私だけが知ってる特性。



「……分かったよ」



 ほら。


 それにきっと逆方向だろうと私の家まで送ってくれるんだ。


 大ダメージを受けてて、二度と立ち上がれないと思ってたけど、一緒に帰れるとなるとスッと立ち上がれた。


 私って思ってるより単純な人間なのかも。


 心配そうに様子を伺ってたであろう店長に挨拶して、着替えよう。




 ーーーーーー☆彡



 ロッカールームに入ると、入れ替わりの22時出勤の坂上さんがいた。


 坂上さんはホールスタッフのリーダーで女子大生。


 計屋はかりで麻痺してるけど、坂上さんも美人で性格は優しく、私がこの店で一番仲良くしてもらってるスタッフだ。


 店長に対してキツいところはあるけど、私は好きの裏返しなんじゃないかと密かに思っている。いつか聞いてみたい。



「おつかれさまです」



「わー!澪ちゃん! 今日から復帰だったんだ! もう大丈夫なの?」



 近寄って顔を覗き込んでくる坂上さんは、お姉さんみたいで、いや実際年上なんだけど、心配してくれて嬉しい。


 ちなみに坂上さんは誰にでも丁寧人なんだけど、私にだけは少し砕けた口調で接してくれる気がする。


 それも親しみを感じて嬉しい。



「はい、おかげさまで。また少しずつシフト入っていけたらなと思います」


「そかそか。無理しないでね。あ、そういえば。ユキミンって今日出勤?」


「はい。いましたよ。それがどうかしましたか?」



 今は雪見のことを考えると心にモヤがかかるような気がした。



「こないだ、みんなで今年入ったバイトの子たちの歓迎会したんだけどね」


「あー、今年結構新人多いですもんね」



 服を脱ぎながら話を聞く。


 ちなみに私は去年の秋頃からここで働いている。



「男の子がキッチン、ホール含めて3人いて、全員にスタッフで誰が一番タイプかって聞いたんだよ」


「へー」


 話題にあまり興味が持てず、ブラウスのボタンを留めながらまた胸がきつくなってきたなとか考えていた。


 なので雪見が今年の新人だということがすっかり頭から抜け落ちていた。



「ユキミン、澪みおちゃんが好きって言ってたよ」



「うぇ!?」



 ロッカーに向けてた身体を勢いよく坂上さんに向ける。

 留めかけのボタンが弾けるのも構ってられない。


 嘘。そんなこと。


「そ、それで、他に何か言ってました!?」


「ぶ、ぶるんって震えた……」


 坂上さんが自身の慎ましやかな胸に手を添えている。


「何か言ってました!?」


「た、谷間が深すぎる……」


 坂上さんが訳のわからないことを言っている。


「坂上さん!!」


 正気を取り戻して。


「……はっ ごめんごめん。それだけだよ」



 それだけかーーーーー。


 いやそれだけでも、やばい。


 語彙がなくなる。


 嬉しすぎる。


 やっぱり私は……そうなんだ。


 これってまだ私チャンスあるのかな。


 自惚れてる?


 それでもいいやと思い始めた。


 何を弱気になってたんだろう。



「澪ちゃんの反応見てると、満更でもなさそうだね」



 坂上さんが恋の種、みーつけたと言わんばかりにニヤついている。


 私が特別だと思っている人は、国民的アイドルの彼氏になってしまった。



 それでも、諦めたくない。


 私を救ってくれたときの嬉しかった気持ちを、彼の顔を、声色を思い出せ。




 そして、その場しのぎで言ったかもしれないけど。


 私のことを好きだと言ってくれた彼を想像する。



 胸が熱くなる。鼓動が速度を上げる。




「はい、満更じゃないです」




 まだ本人に言う勇気はないけど、口に出して言ってみる。




 噛みしめるように。







「私も、雪見が、大好き」






 心に炎が灯った気がした。



 私の名前は火法輪ひのりわ みお





 絶望的な恋をしている。





 ただ、勝負はこれからだ。










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