第2話
とは言ったもののだ。
翌日の休み時間になると、昨日の一件が脳裏を過り、変なもやもやが心臓付近を覆いつくした。
「くそっ。
今の俺には一組に好きな男子がいるとしか思えない。
「ま、まあ、俺はトイレに用があるだけだし」
ゆっくりと、ではなく素早い動きで古いトイレに足を運ぶ俺。我ながらキモいぜ。
移動中もぶつぶつ呟き続けた俺。
「柏木が昨日みたいに隠れていることを期待しているわけじゃないし。トイレで用を足したいだけだし~ふゅーふゅ」
口笛を吹いといた。
俺はトイレに用があるんです、ということを強調し、横目で一組の扉付近を確認するもそこには人影一つも見当たらない。
この事実に少しがっかりした俺は、用もないトイレに足を踏み入れるのと同時に口を開いた。
「流石に二日連続はないか。学校一の美女だもんな。完璧だもんな。昨日見られたのに今日もいるわけないよなぁ」
そのようなことを呟いていると、後ろ(女子トイレの方)から謎の手が伸びてきて、俺の襟を掴んだ。
「えっ……幽霊?」
トイレにはトイレの花子さんとかいう……やめようやめよう。考えるのはやめよう。実際いるわけないし、いたとしても怖くないし~。
俺は思い切って顔を後方に振り向かせる。
するとそこには、
「うぎゃぁぁぁぁぁぁ‼」
黒髪に顔を覆い隠されている——ってもう無理。死んじゃう。
「うるさいわね。私よ私! 柏木麻理亜よ!」
「へ? か、柏木?」
柏木が襟を掴んでいる手を思い切り引いたせいで、俺は女子トイレに足を踏み入れるという罪を犯してしまう。
「うわわわわわ。ここ女子トイレだろ!」
「私が許すわ」
見た感じ本当に柏木だ。安心した。
「失礼な人ね。私を何だと思ったのよ」
「幽霊だけど」
「失礼ね」
こいつ怒ってる……。
「勘違いしたのは謝るからそんなに怒るなよ」
「そんなことで怒らないわよ」
じゃあなんで顔怖いんだよ。
「そ、そうか」
いやその顔は怒ってるだろ、とか言ったら取り返しのつかないことになりそうなので口にするのはやめる。
「で、あなたがなんで女子トイレに連れ込まれたのかは分かる?」
「分からん」
「でしょうね」
じゃあ聞くな。
「金城達也君」
「は、はい」
なんでフルネーム?
「あなた見たわよね?」
その言葉だけでなんのことなのかが分かってしまった。
はあ。仕方ない。ここはひとつ、柏木の求めている言葉を伝えてやるとするか。
「あの件は見なかったことにするし、誰にも言わない」
そもそも言う相手なんかいないんだよなぁ。
「これが柏木の求める言葉だろ?」
俺だって気が利く一面くらいあるんだよ。ふんっ☆
「確かにそれを約束させることも目的の一つよ」
うんうんやっぱりな。……って、目的の一つ? てことはまだ何か——。
俺は冷や汗を掻いていることさえも忘れるくらい、焦りを見せていた。
「そ、その言い方だと、他にまだ何かあるように聞こえるんですが……」
反応を見せない柏木。
口をぱくぱくさせて何かを言い出そうとしているが、一向に話し出す気配がない。
「か、柏木さん? どうしました?」
「うるさいわね! 少し待ちなさいよ!」
えぇー。なんだこいつぅ。
「今考えてるの。あなたに話すべきかどうかを」
「いやーかなり大事なことっぽいし、赤の他人同然の俺に話すことはおすすめしませんよ。あはは」
正直少し気になるが、聞いてしまって面倒なことに巻き込まれる可能性だってある。第一に女子トイレから出たい。
「分かったわ。仕方ないわね」
柏木は考えるのをやめ視線を俺に向けた。
「うんうん。やっぱり大事なことは大事な人にだけ伝えるのが一番だよな」
これで解放だ!
学校一の美女の縛りから抜け出したいって思うの俺だけ説。
「何を勘違いしてるの?」
「はい?」
俺何か間違ったこと言った?
柏木は呆れた顔して頭を抱えている。
「今のは、私が話を聞かせてあげるって意味よ」
そんなこといつ言ったんだよ。
「私が昨日あの場所にいたのには、ちゃんとした理由があるの」
俺の意見なんか聞こうともせず、淡々と話を始めた柏木。
さっきまで言うか言わないか迷っていた柏木はどこへ消えたのやら。
「へ、へぇー」
話始めてしまったからには聞くしかない、か。
「私があの場所にいた理由は——」
「理由は?」
「大好きな」
ほれ見ろ。男だべ。
「やっぱり好きな男子でも見て——」
「推しを見てたのよ‼」
まさかの推し来たぁ⁉
「お、推し?」
こくりと頷く柏木の頬は真っ赤に染まっている。
「そう。私にはたった一人だけ推しが存在するの。それもこの学校に」
まさかの姉ちゃんの言葉がここで生きてきた。
みんなの推しが一人の生徒を推していたという事実。男子共泣くなよ。
「ちなみにそれって、一組の生徒なのか?」
「ええそうよ。でないと、一組を覗く理由なんてないでしょ」
「確かに」
ここまでの流れはよーく分かった。
一組には柏木の推しが存在しており、その推しの姿を拝むために一組の教室を覗いていたと。てか、休み時間になると毎回教室から姿を消していた理由がこれだったってわけか。なるほどスッキリ。
あとはその推しが誰なのかだ。いつの間にか俺は柏木の推しについて興味津々である(柏木の思う壺)。
「あら。推しが誰なのかって気になっているようね。まあそりゃあそうよね。私みたいな美人が推すほどの相手だものね。うふふ」
まさに小悪魔。上から見下されているこの感覚。別に嫌いじゃない(変態)。
「そんなに気になっているなら教えてあげてもいいのよ? 金城君だって男の子なんだしもっと私のこと知りたいわよね?」
うふふと上品に笑う柏木。様になっとるぅ。
「まあ、お前のことには興味ないけど、柏木ほどの美人が推す相手だ。どんな奴なのかは興味がある」
あくまで相手に興味があることを強調する。
「……び、美人」
柏木のやつなんか赤くないか? 俺の言ったその部分で照れちゃったの?
「こほん」
柏木は咳払いをして、
「気を取り直して、さっきの話を再開しましょ」
「お、おう」
柏木はまたもやこほんと咳払いをして、頬を朱色に染め、恥ずかしそうにある一人の生徒の名前を口にした。
「た、
俺の目は点になった。
「なあ柏木」
「な、何よ。教えてあげたじゃない。何か文句でもあるの?」
「いやそうじゃないんだけどさ」
「じゃあ何よ」
決してふざけているわけでもなく、真剣な眼差しで柏木の瞳を見添え、
「だ、誰だっけ? その人」
下手したら柏木に怒られそうな言葉を吐いた。
橘瑠璃。その名前に聞き覚えがなく、今耳にしたのが初めてだった。
「あなたほんとに言ってる?」
「あ、ああ。その人有名な人? 柏木みたいに」
「うーん学校内では普通の生徒って感じ。まあ私の中では神に近い存在なんだけどね」
なるほど。やはり有名人ではなかったか。
そりゃそうだ。うちのクラスにいる柏木やもう一人の有名人くらいみんなに認知されている存在ならば、流石の俺でも知っているはずだし。
「金城君も損しているわね。あんなに神々しい方を知らないなんて。死ぬまでに一度は見ておきなさいよ」
まだまだ俺の人生は長いぞ。今から見に行けばいい話だし。
「そんなに好きなんだな。その橘さん? って人も嬉しいだろ。学校一の美女から推してもらえてよ」
「瑠璃たんは私が推していること知らないわよ」
「え、そなの?」
首を縦に振る柏木。なんか猫みたいだ。
それに知られていたら扉に隠れて覗く意味ないしな。
「そもそも言えるわけないし、瑠璃たんを直視することさえできないんだから」
この前、それをお前相手に言っている男子三人組がいたよ。
「てことは、話したこともない?」
「あ、当たり前でしょ! さっきも言ったけど直視もできないんだから!」
じゃあ扉に隠れて何を見てたんだこいつ。
「そっか。それは残念だな。まあ、まだ高校生活は続くわけだし、チャンスはあるだろ」
謎も解けたし、そろそろ教室に戻るか。次の授業も始まりそうだ。
「それじゃ。色々教えてくれてありがと。結構面白かった」
『私のここ見たよね?』の次くらいにな。
俺は周りの安全を確認し、誰もいないタイミングを狙って、女子トイレから退散しようとする。
よし。今だ!
女子トイレにの外へと一歩を踏み出そうとしたその時、
「ま・ち・な・さ・い・よ‼」
柏木はまたもや俺の襟を引っ張り、女子トイレからの退散を妨げてきた。
「いてて。なんだよ」
「誰が戻っていいって言ったのかしら?」
「なんで戻ったらダメなんだよ」
「当たり前でしょ! あなたにはまだ話すことがあるんだから」
そんなに俺に話していいのかよ。
「まだ秘密があったりするのか?」
「いいえ。違うわ」
チッ。つまんね。
「あなたには私の全てを教えたわ」
「まあ、教えてって頼んでないんだけどな」
それに全てじゃないし。あなたのスリーサイズ知りませんー。おっといけない。キモすぎて読者に嫌われるぞ俺。
「そうだったかしら? まあそんなことどうでもいいわ」
ばさっと髪を上品に払い、言葉を続ける。
「ねえ金城君」
「はい?」
柏木は小悪魔的な笑みを浮かべ、舌をぺろっと出すと、
「これって、あなただけが得しているわよね?」
うわぁ。嫌な予感。
「ま、まあそうかも?」
「でしょ? 私は全てを教えてあげた。なら、あなたも私に何かするべきじゃないかしら?」
俺は息を呑むことしかできない。
「もちろん聞いてくれるわよね? 私のお願い」
俺の目の前にいるのは本物の悪魔か? 紫色の邪悪なオーラが見えるんですけど。
柏木はうふふと微笑みながら、俺の耳元で「お願い聞いてくれなかったら許さないわよ」と囁いた。
背筋が凍る。
「ち、ちなみにそのお願いの内容とは?」
がくがくぶるぶる震える俺の体。
「もちろん、私と瑠璃たんの距離を——」
「無理だぁ‼」
思っていた通りのお願いだ。
そんなめんどくさいこと引き受けるわけねえ。
「あら。いいのかしら? そんなこと言っちゃって」
すると柏木は、途端にすたすたと足早に女子トイレから出て行き、入り口の前に立った。
「あ、あれ?」
まさか……まさか、ね? あはは。
「いぃっ⁉」
俺は思わず声を漏らした。女子トイレの入り口に視線を移した瞬間、カシャという効果音が耳の中で反響した。
これだけで何が起こったのか把握できてしまう。
「おいおい。今何撮った?」
「うふふ。これよ」
入り口に佇む柏木は、手に持ったスマホの画面をゆっくりと俺の方へ向け、どうぞ画面をご確認なさいと言わんばかりに小悪魔的な笑みを浮かべていた。
「こ、こ、これは……」
画面に映る写真には、女子トイレに足を立てる一人の男。しかもカメラ目線。
「あーもしこれが学校中に広まったらどうなるかしら? 面白いことが起きそうよね」
面白いことなんて起こるかぁ!
「ソノシャシンドスルキ?」
「うふふ。面白い反応ね。んーそうね、新聞部に提供して学校中にばら撒いてもらおうかしら」
この女やべえぞ。人の心を持たない人間の形をした何かだ。も、もし本当にそんなことになってしまったら……
「やります! やらせてください! あなた様のお手伝い!」
「ほんと! ありがとう金城君!」
先ほどの悪魔はどこへ消えたのやら。柏木は俺の両手を自らの手で覆い被せるように握り、上下にぶんぶん動かした。
く、くそ。なんか可愛いぞ。俺にはみれいたんがいるのに……。
「頼りにしているわね! 金城君!」
美女のウインクが俺目がけて発射。
「お、おう」
くそっ。このままでは負けっぱなしだ。
せめてもの足掻きに睨んでおいたぜ。
「あら。いいのかしら、そんな顔して」
再び例の写真をこちらに向ける柏木。
「ははっ。ガ、ガンバルゾー」
「よろしい」
柏木は満足そうにくしゃっとした可愛らしい笑みを浮かべたのであった。
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