イルミネーションと能

 次の日、私は待ち合わせをして九重さんと一緒に不死者カフェに行くことにした。

 裏口から入ると、四月一日さんは開店前の掃除をしていた。


「おはようございます、四月一日さん。相談があるんですけれど」

「おはようございます……おや、九重さん、今日は朝からどうなさいましたか?」


 箒でさっさと掃き掃除を済ませた四月一日さんは振り返ると、九重さんはペコリと頭を下げた。


「おはようございます……ええ、四月一日さんに前から言っている……私の探し物の話なんですけど」

「あれですねえ……まだなにを探し出したいのか、思い出せないのでしょう?」


 九重さんは頷いた。私は一応四月一日さんに確認してみる。


「あのう……四月一日さんは、全然心当たりないんですよね? 九重さんが探してらっしゃるものに……」

「心当たりはあることにはあるんですが……自分も探しているものの場所までは特定できませんよ。それこそ、九重さんが思い出してくれないことには、自分も力を貸せませんから」

「毎年そんな話をしてますもんね。私もそう思います」


 どうも、九重さんは毎年四月一日さんに相談はしているものの、見つけられないらしい。でもこの言い方だったら。

 ひとまず私は制服に着替え、掃除の手伝いをしながら、ひっそりと四月一日さんに尋ねる。


「あのう……四月一日さん。もしかしなくっても……九重さんの正体に気が付いてらっしゃいますか?」

「おそらくそうじゃないかと当たりは付けていますが、問題は彼女の気持ちなんですよね」

「気持ち……ですか?」

「やり残しがある方が思い出してしまって、不幸なことにならないかと思いまして」

「え……それってどういう……?」


 四月一日さんは会話を切り上げて、九重さんに「今日はモーニングどうなさいますか?」と声をかけた。

 カウンターに腰掛けた彼女はにっこりと笑う。


「ええ、それじゃあ今日はハニートーストとカプチーノで」

「かしこまりました。八嶋さん、手伝ってくださいね」

「は、はい……!」


 私は慌ててカプチーノをマシンでつくりはじめる中、四月一日さんはトーストを焼きはじめる。どういうことなんだろうな、四月一日さんがなにを言いたいのかさっぱりわからない。私はただ首を傾げた。

 そうこうしている内に開店時間になり、パラパラとだけれどモーニングのお客さんが入りはじめた。バターとハチミツをたっぷりと染み込ませ、一さんのつくったバニラアイスをポンと載せた、香りだけで人をパブロフの犬のようにするハニートーストをカプチーノと一緒においしそうに食べる九重さんを見る。

 本当に、彼女の正体ってなんなんだろう。

 そんなことを言っていたら、四月一日さんが何気ない口調で言う。


「そういえば、もうすぐイルミネーションをするそうですね」

「へえ……? 今は夏ですよ?」


 神戸の定番イルミネーションと言えば、ルミナリエだ。阪神大震災以降、その鎮魂と神戸復興として毎年冬に開催されている。そうでなくっても、クリスマスと正月合わせでイルミネーションのライトを飾るのが定番で、何故かなかなか夏には開催しない。

 それに「ええ」と四月一日さんが頷いた。


「ここではなくって、六甲山のほうでするんですよ。一くんが言ってましたよ、六甲山でイルミネーションの下で能を開催するから、今度観に行かないかと」

「イルミネーションの下でですか……?」


 能って、なんか和風なものというイメージ以外、いまいちピンと来てない。

 私がわからない、という顔をしていたら、九重さんがようやくクスリと笑った。


「あら、もしかして八嶋さんは能は知らない?」

「ええっと……私、能と歌舞伎と狂言の区別が全く付いてないと言いますか……」


 どちらも難しそうという印象のほうが先に勝ってしまい、高校時代の歴史の授業で便覧で見たような記憶がある以外の知識がない。それに四月一日さんは他のお客さんのためのコーヒーをサイフォンに仕掛けながら言う。


「最近はなんでもかんでも一緒くたに伝統芸能でくくりますからねえ。能と狂言は、今で言うところの奈良時代に、大陸から渡ってきた散楽さんがくを見様見真似で真似たのがはじまりです。それが室町時代に分かれて、能と狂言になりました。能は面を付けて歌謡で演じるのに対し、狂言は台詞回しで演じるのが特徴ですね。ちなみに歌舞伎は、今でいうところの江戸時代発祥なのでもっと最近です」

「わ、私の中だとどちらも最近ではないんですが……でもそうだったんですねえ。で、私たちは今度能を観に行こうと」

「ええ。よろしかったら九重さんも一緒に観に行きませんか? 最近占い屋のほうばかりで、あまり遠出はなさってないでしょう?」


 そう優しく声をかける。これが他の人だったら「ナンパか」と思うところを、完全に身内で遊びに行くという具合に声をかけるものだから、四月一日さんと人徳だなと思う。人魚だけど。

 その言葉に、九重さんは少しだけ視線を動かす。


「……ええ、わかりました。予定はいつですか? 行きましょう」

「今度の定休日はいかがでしょうか?」

「わかりました。予定は空けておきますね」


 そう言って、食事を終えた九重さんは会計に向かうので、私が慌ててレジを済ませる。


「八嶋さん、ありがとうございますね」

「い……いえ。私は、ただ相談できるひとにおつなぎしただけで」

「いいえ。あなたがそういう人でよかったとそう思っただけだから。何故かしらね、あなたのことがひどく懐かしいのよ」


 それだけ言い残して、彼女はフラワーロードの自分の店へと向かっていった。

 会計を済ませた私は、ポカンとした顔でカランと鳴って閉まったドアを見ていた。そういえば、このひと。私にいきなり占いをしてきたりと、唐突過ぎるひとだったな。

 私はカウンターに戻り、手を洗いながら四月一日さんに聞いてみた。


「あのう……四月一日さんは九重さんの正体に心当たりがあるんですよねえ」

「ええ。ですから能を観に行こうと思うんです」

「文脈! 全然わかりませんよ。あと、私も行ったほうがいいんですかね……」

「そうですね。むしろ九重さんの心残りがなくなるかもしれませんから、八嶋さんも一緒に行ったほうが彼女も安心するかと思いますよ」

「ええっと……! 文脈がちょっとわからないんですけどね!?」

「演目に書いてますから、とぼけている訳でもないんですけどねえ」


 そう言って四月一日さんは六甲山のイルミネーション能の宣伝ポスターを見せてくれた。

 お面を被った人が、イルミネーションの下の特設ステージで演じるらしいけれど。その演目は。


【羽衣】


 そう書かれていた。


****


 日が落ちたあとでも、湿気が残っている感じがして、もうもうとした空気が溜まっているように思える。一応虫除けでハッカ油を振りかけてきたけれど、効いてくれるかな。


「おう、来たか来たか」

「一さん! こんばんはー」

「こんばんは」


 白いランニングにジーンズに頭にタオルだったら、どこの作業員だという格好だけれど、体格のいい一さんにはよく似合っていた。

 私は暑いだろうなとTシャツにスカパンという出で立ち、四月一日さんはシンプルなシャツにスラックスで、相変わらず女性陣の視線を一身に浴びているのをスルーしていた。

 そして一緒に着た九重さんはというと。普段の占い師用のドレスから一転、髪を団子にひとつに結い上げてうなじを露わにし、黒いワンピースを清楚に着こなしていた。残暑の厳しい季節に腕を露わにしているとはいえど真っ黒の服を着ているのは、なかなかにできることではない。男性陣は視線を注いでいるものの、近くに端正な顔付きの四月一日さんと精悍な一さんがいるせいで、そうそうに諦めてすぐに視線が散らばる。まあ細い四月一日さんんはともかく、がたいのいい一さんを敵に回してまでナンパはできないんだろう。

 イルミネーションは、ルミナリエなど冬だと寒くても温かくなるようにと暖色を基調にしてまとめるのにたいし、残暑のイルミネーションは水色や青など涼しげな色合いで催しているようだった。

 しばらく歩いたら、能の特設ステージも見えてきた。


「それじゃあはじまりますね」


 穏やかに四月一日さんに促され、私は頷いた。

 やがて、能面を被った人が、太鼓と一緒に登場してきた。能面というと、鬼とか般若とか怖いものばかりかと思いきや、今回現れた能面はどれもこれも穏やかな顔をしていた。

『羽衣』のあらましは、スマホで検索した限りだとこうだった。

 ある日漁師が松原を眺めていたところ、松に美しい衣がかかっているのを発見する。漁師はその美しさに持ち帰ろうとするものの、それの持ち主の女性が出てきて、返してくださいと言う。しかし漁師はこの衣は国宝として持ち帰るべきだと主張する。しかし女性は返してくれたらお礼に舞を踊るからと訴えるものの、漁師は衣を返したらすぐに立ち去るんだろうとなかなか了承しない。しかし彼女があまりに可哀想になり、とうとう漁師はそれを手放し、彼女に返す。彼女はお礼に漁師にこの国の五穀豊穣を込めて舞い、虹の彼方まで飛んでいったという。

 彼女の正体は、月で舞を披露する天女だったのだと、こういう話だ。

 今まで、人魚にも会ったし天狗にも会ったし死神にだって会ったけれど、天女なんていたのかと聞いてびっくりしたし、九重さんがそうだと言われても、私にはそれが本当のことなのかどうかわからない。

 ただ、彼女の顔があまりにも端正だから、そうなのかと言われたらそうかと思ってしまうし、やっぱり違うとなったらなんでと聞いてしまうと思う。

 イルミネーションの中で、笛の音の中で、能面の人たちが踊っている。その踊りを見て、九重さんはどう思っているのだろう。私は彼女をちらりと見た途端。

 彼女は黙ってステージに視線を送りながら、涙を流しているのが目に入った。

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