死神のお仕事

 無為むいさんは私がひとつひとつメニューの内容を教えると、端正な口元をへの字に曲げた。


「時代の流れは早いですわね。もうなんの料理かわからない」

「そうですか……」

「でもどの時代にもワッフルとミルクコーヒーはありますね。それをくださる?」

「あ、かしこまりました」


 大正時代の喫茶店事情は知らないけれど、結構ハイカラじゃないのかな。私が四月一日わたぬきさんに注文すると、四月一日さんはものすごく苦笑していた。


「あのひと、女学生が好きなもので、未だにこれを注文しますから。変わってないんですよ」

「そうなんですねえ……大正時代にワッフルがあったのは意外でしたけど」

「大正時代に今の喫茶文化ができたようなもんですからね。もうしばらくしたらホットケーキができますし、シベリアなどの菓子も出てきます」

「シベリア……?」

「カステラに羊羹を挟んだようなお菓子ですよ。最近では土産物屋くらいでしか見られなくなりましたが」


 四月一日さんはそう説明しながらも、手はさっさとフラスコにお湯を入れて、サイフォン式でコーヒーを淹れていく。ワッフルメーカーに生地を流し入れると、それをお皿に盛ると、意外なことにそこににのまえさんがつくったごろごろと果実が見えるりんごジャムを塗って挟んでいる。


「あの……?」

「最近でしたらアイスクリームとかキャラメルソースとかで盛り付けるんですけどねえ。無為さんは未だに大正風でなかったら召し上がらないんで」


 大正時代、思っている以上にハイカラだったんだなあ。私がそう馬鹿なことを考えている間にコーヒーができた。それにミルクポットを添え、りんごジャムを挟んだワッフルもできた。

 私はそれを持って無為さんに出すと、彼女は「きゃあ」と歓声を上げた。


「やっぱり下界に来たときは、これをいただかないとはじまりませんからぁ。お仕事中の英気を養わなくては。いただきまーす!」


 無為さんはおいしそうにコーヒーに角砂糖を何個も何個も投入して、ミルクもこれまたたっぷりと入れてぐるぐるかき混ぜた。ワッフルもあるのにこれだけ入れて大丈夫かと心配になるけれど、本人は気にすることもなく、ミルクコーヒーを飲み、ワッフルもがぶりと頬張っている。


「おいしい! 本当に、食だけが楽しみですものねー」

「そりゃありがとうございます」

「年々里帰りが煩雑になっていていやんなりますわ。お上の一存とはいえど、下々の苦労はお構いなしですもの」

「あなたも年々口うるさくなるじゃないですか」

「失礼しますね、あなたがひとのこと言えて?」


 付き合いが長いのか、ふたりのやり取りもずいぶんと雑だ。

 それにしても。私はおいしそうに大正風ワッフルを食べている無為さんをちらちらと見た。このひとは死神で、今年お盆で帰ってきているひとたちの案内をしているって聞いたけれど。

 残念ながら私は、不死者カフェで働いていても、未だにただの一般人のままだ。特別な力は特別なひとたちの近くにいたら移るとか言われているけれど、そういう才能がないのか、私はなにも変わらないままここにいる。……霊感的なものは身に付いていないし、当然死んだひとたちも見えないままだ。

 彼女に聞いてみたいけれど、今は束の間の休み時間だし、聞いてみていいものかどうか。私がぐるぐると悩んでいる中、こちらのほうに無為さんが顔を上げてきた。


「もうしばらくしたら、お互い忙しくなる身でしょう? 今の内でしたら、答えられる範囲でしたらお話しできるかと思いますけど」

「あっ……!」


 喉から悲鳴が漏れた。無為さんはミルクコーヒーをひと口飲んでから続ける。


「質問がありそうな顔でしたから。死神の仕事内容に興味を持つってことは、誰か会いたいひとでもいるのかしらと思いまして」

「……私の、祖母ですけど。亡くなっているんです。うちの宗派だと、死んだひとってあの世に行かないらしいんですけど、どうなっているんだろうと思いまして」

「まあ、この国もひと口に宗教と言ってもいろいろありますしねえ……そうですねえ……」


 彼女は浴衣の袖からなにかを取り出す。和綴じのそれは、どうも彼女のスケジュール手帳らしい。ぱらぱらと捲る。


「……基本的に、国の宗教や宗派は関係ございません。ただ管轄が違うだけで」

「管轄」

八嶋初穂やしまはつほさんのご家族で亡くなっているのは、八嶋菫やしますみれさんでよろしい?」

「……!」


 たしかに四月一日さんが私のこと呼んでいたとはいえど、下の名前は名乗っていないし、そもそもおばあちゃんの名前は誰にも言ってないのに。私はお盆を持ったまま聞く。


「……祖母は、いるんでしょうか?」

「おられますよ。お盆の間は。そこから先は、私の管轄外なためにお伝えすることは困難なんですが」

「そう……なんですか……あの、ここにはよく、死者の方も訪れると四月一日さんもおっしゃっていたんですが、ここに来たこと、あるんでしょうか?」

「そうですねえ、最近でしたら、働き方が変わった関係で、お盆の準備をされない方も増えました。あの世から帰ってきたはいいものの、滞在先がないという方は、基本的に観光をしたあと、夜にこの店をお借りしています」


 観光って。そうは思ったものの、その言い方で気付いた。

 うち、お盆の準備をするって概念がそもそもないんだけど、おばあちゃん帰ってこられないんじゃ。


「あ、あの……うちの宗派ですとおばあちゃん……祖母、お盆の準備とかの概念があんまりないんですけど、帰ってこられないのでは……」

「ですから、こちらの店をお借りしておられますよ」

「あ、あ……」


 おばあちゃん、ここにいるんだ。私は思わず四月一日さんを見るけれど、四月一日さんは渋い顔をする。


「おばあさまが亡くなられたというのはお悔やみ申し上げます。ただ、おばあさまに会いたいと言うだけで、この時期の深夜営業で働くのは、自分は反対です」

「四月一日さん……」

「死者の皆さんを見る目がないあなたでは、こちらも迷惑がかかりますし、なによりもあなたが人間だと気付かれる恐れがありますから。何度も口酸っぱく言っているでしょう。不死者は必ずしも、人間の味方ではないと」


 四月一日さんの言葉は辛辣だ。でも、事実でもある。

 私が俯くと、きょとんとした顔で無為さんはコーヒーを飲んだ。


「それ、満は全然ひとのこと言える話ではないと思いますけどねえ……まっ、私も生者が死者に会いたいと願うことには反対ですね。死者の方が帰れなくなってしまう可能性がありますし、そもそも不死者に人間が会ったら、食事にされかねませんから」


 無為さんが申し訳なさそうに私に言う。

 助けたお礼に会わせてくれるっていう風にはいかないみたいだ。仕事だから、理屈の上ではものすごくわかる。ただ、気持ちの上では納得いかないだけだ。

 私は「そうですか……ありがとうございます」と頭を下げたとき、ドアが開いた。

 普通の人間のお客さんたちが入ってきたので、私も慌てて席に案内した。そろそろ仕事だ。今日もきっと忙しくなるだろう。


****


 今日も今日とて人が多く、目の回るような忙しさだった。私はげっそりとしながら賄いを食べる。今日はあまりにもしんど過ぎるせいか、四月一日さんや一さんが気を遣って、あっさりとしたうどんをつくってくれた。タイ風なのか、出汁からほんのりと海老とレモングラスの香りがする。それでいて基本は日本の薄口出汁醤油だから、さっぱりとしていて胃に優しく食べられる。

 これを食べたら帰らないといけないんだけど。

 さっきからゴロゴロと雷が鳴っていて、そのたびに私は「ひい」と肩を竦めている。


「今日はゲリラ豪雨でいつから降るかわからんと言っていたが……まさかこんな深夜営業中に降るとはなあ……」

「トラック出せます? さすがにそろそろ八嶋さんに帰っていただかないと、深夜営業に来られる死者の方々と鉢合ってしまうんですが」


 一さんはちらっと窓の外を見る。

 土砂降りで激しく雨が坂道を叩き、つるつる滑りそうな勢いだ。少なくとも、この状態ではいくら電動自転車とはいえど、走らせたくない。

 一さんも同じようなことを考えたんだろう、首を振った。


「こりゃ駄目だな、初穂ちゃんはここに泊めたほうがいい。というより、臨時バイトの渉が来られるのかね」


 言っていたところで「クッシュン!」とくしゃみと一緒に裏口から入ってきた。

 三村くんは濡れ鼠ならぬ濡れ狼になって、癖毛をペタンと頭に貼り付け、Tシャツも透けるほどびしょびしょのポタポタにしていたので、すぐに四月一日さんが「ロッカールームにドライヤーもタオルもありますから、さっさと乾かしてきなさい」とどやす。

 それに「はあい」と言いながら、三村くんはTシャツを雑巾絞りする。絞れば絞るほど、水がじょろっと出てくる。


「こんばんはー、もうすっごい雨だよ。今日お客さん来られるのかなあ?」

「こんばんは、諦めろ。不死者は来られなくとも、死者は来る」


 あれ。私はふと気付く。

 不死者が来られなくって、死者が来るんだったら。今日はどっちみちこの雨だと家まで帰れないからここに泊めてもらうとして。これってチャンスじゃないかな。

 三村くんがロッカールームに引っ込もうとするので、私は「ひ、控え室に戻ります! おやすみなさい!」とふたりに挨拶して、そのまま追いかけていく。


「三村くん三村くん。私、今晩泊まるんだけど」

「うん、そうだよね。今晩は一さんでも初穂ちゃんを家に帰すの難しいんじゃないかな」

「それなんだけど……私、今晩来るお客さんを覗きたいんだけど……」

「ええ? でも今晩来るお客さん、多分不死者はいないけど、死者は来るよ?」

「その死者のお客さんなんだけど」


 私は慌ててロッカールームから自分の鞄を引っ張ってくると、スマホを取り出して、写真フォルダーを見せる。

 東京に行く前におばあちゃんと一緒に撮った写真だ。


「この人。このひといたら、教えてくれないかな?」

「んー……たしかにこのひと、今年よく来てるけど」

「えっ」


 三村くんは眉を八の字にする。


「んーんーんーんー……オレ、下手に初穂ちゃんに教えたら四月一日さんとか一さんとかに怒られそうなんだけど」

「そ、そこをなんとか! この間のお礼! お礼と思って!」

「んー。まあ、そうだね。好意だけにしがみつくのはよくないし」


 私が何度も何度も手を合わせて拝み続けて、ようやく納得したように頷いてくれた。


「こっそりとだったらいけるかもしれない。どのみち、ゲリラ豪雨だったらお客さんは控えめだろうしね。でも本当にそれだけだよ。オレ、初穂ちゃんの目は弄れないから」

「ありがとう!」


 何度も何度もお礼を言い続けてから、ひとまず私は控え室に鞄を持って引っ込んでいった。仮眠室用のベッドに横たわり、少しどきどきしながら待つ。

 おばあちゃんにずっと、謝りたかったから。そんなチャンスなんて、もうきっと来ないだろうから、この機会に賭けたいと、そう思ったんだ。

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