三日月の日の出来事

 温かいカップを、三村くんはふうふうと息を吹きかけて持っている。

 店内は程よく冷房も利いているから、外がどんなに暑くともホットミルクを飲んで気分が悪くなることはないだろう。

 三村くんはようやくホットミルクに口を付けてから、話をはじめる。


「オレさあ、最近大学に通っているの」

「君いっつもあちこちの大学に紛れ込んでいるでしょうが」

「そうだけどさあ、最近はどこの大学もこじんじょうほ……」

「個人情報保護法?」

「そう! それのせいで、いろいろセキュリティーが厳しくなって、なかなか授業に紛れ込むことができなくなったんだよねえ」

「あー……」


 大昔は大学に行くお金のない人が、こっそりキャンパスに紛れて、ただで大学の授業を受けることがあったらしいけれど。

 最近はなにかと騒がしい世の中だから、大学も個人用にICカードを配布し、それで出欠を取ったり最悪校舎に入れないようになったがため、ただで授業を受けることもできなくなったのだ。世知辛い。

 でも意外だなと思ったのは、三村くんが大学の授業を受けていたり、それを普通に四月一日さんが知っていることだ。


「授業って、三村くんはどんなものを受けてるの?」

「んー、西洋史! 向こうではオレたちの種族のこともなにかと話題になっているから、オレのルーツを知るのに面白いなあと思って受けてたんだ。その年によって学説が変わるから面白いし、新しく発見もあるから。生きてたらずっと勉強してないと、ただ生きているだけでなんにも楽しいことはないからね。君も勉強できる機会があったら逃さずにしておいたほうがいいよ」

「はあ……」


 三村くんの物言いに、私は感心してしまった。よくよく考えると、子育てが終わった奥さんが大学に通い直したり、定年退職した旦那さんが資格勉強したりは、よくある話だ。三村くんは見てくれこそ私よりも年下だけれど、多分私より年を食っているんだろうな。ついつい目先の欲に囚われてばかりの私は、反省したほうがいいんだろう。

 そこに四月一日さんは「それで、最近通っている大学とは?」と話を戻してきた。それに三村くんは「ああ!」と返してきた。


「うん、そこの先生。よく窓を開けっぱなしで授業しているんだよねえ。だからこっそりベランダまで入って、そこで授業を聞いてたんだあ。面白い授業だけどね、シューカツにあんまりユーリにならないって、人の集まりがあんまりよくないんだ。オレはそのほうが授業をよく聞くことができるんだけど、あんなに学生がいなくって、先生ダイジョブなのかなあ」


 そう少しだけ癖毛を垂れ下げながら言うので、私は口の中をもごもごとさせる。言ったら悪いが、授業に出ない子たちの気持ちもわかるからだ。最近の大学は、就職に強い強くないで入る大学や取る授業を変えることがある。

 今は不景気でなんでもかんでもコスパが物を言う時代だ。余計にその傾向が強まっている気がする……これじゃあ、専門学校と大学、どちらも変わりがないように思うけれど。

 閑話休題。四月一日さんが黙って三村くんの話を咀嚼して口を開いた。


「前置きがずいぶんと長くなりましたが、三村くんが探して欲しいのは、その先生ですか?」

「そっ。さっすが四月一日さん。話がわかるよねっ!」

「というより、君の話が長くてまどろっこしいだけですが。それにしても、西洋史を教えていた講師というだけでは、いくらなんでも広過ぎて、うちの情報網や九重さんに占ってもらうにしても、絞り切れませんよ」


 ふたりの話を聞いていて、私は「あれ?」と一瞬引っかかりを感じたけれど、話のテンポが全く変わらないから、ツッコミを入れることができなかった。

 三村くんはホットミルクを飲み終えると「ごちそう様」と言って、お金を置きながら言う。


「先生は女の人だよ。お礼がしたいんだ。あんまり人が来ない授業で、とうとうだーれも来ない日まで出てきちゃったんだ。これじゃあ授業できないし、オレだって授業ができないと思っていたらね、思わずベランダから中に入っちゃったんだ。出席を取ろうにもオレがあまりにも適当な返事ばかりするから、先生も困っちゃったみたいで。仕方なくオレにだけ授業をしてくれるようになったんだ。でもだんだん申し訳なくなっちゃったんだよねえ……だってオレ、戸籍があってないようなもんだから、大学に通いたくっても通えないし、だから授業をタダで聞いていた訳だけど。さすがにオレがここの学生じゃないってわかった先生が、オレに先生の研究室においでって招待されたんだよ」


 三村くんは楽しそうに話をする。授業がちっともできない講師のところに通う人狼っていうのは、どことなくロマンティックな匂いを感じる。

 私がちらっと四月一日さんを見ると、四月一日さんはエスプレッソをミルク抜きで飲んだような渋い顔をしていた。


「先生の使っている研究室は、昔ながらのところでね、資料も山のように積んでいたし、本棚も図書館みたいになって貴重な記録が並んでいた。そこで一緒に話をするのは楽しかったなあ。ワルプルギスの夜の話とか、人狼が出現するようになった下りとか、その辺りの話をするのは特に楽しかった。でもねえ、先生。あんまりにも学生の出席率が悪いせいで、とうとうクビになって、大学から出て行かなくっちゃいけなくなっちゃったんだ」

「そこで、連絡先交換しなかったの? メールとか、携帯番号とか……」


 私が思わず首を挟むと、三村くんは首を振った。


「元々オレ、ケータイ持ってないから」

「そんなあ……」

「最後に、大荷物持って出ていかなきゃいけなかった先生の荷造り、手伝ったんだあ。そのとき、三日月が空にぽっかり浮かんでいて、綺麗だった。思わず『月がきれーい』と言ったら、先生は珍しく照れてたよ。最初はオレもよくわかんなかったけれど、よくよく考えるとあれかあ。夏目漱石かあ……オレもすっごく楽しかったし、また遊びに行くよって言ってたんだけどね。大学クビになったから、先生も実家に帰らないといけなくなって、それっきり。なんとか探そうとしたけれど、先生の借家の大家さんも実家は知らないって言われてお手上げだった。ねえ、四月一日さん。なんとかならない?」


 話を聞いていると、すごくいい話だと思う。

 わざわざ神戸まで出てきて講師をしていた女性と、大学に通いたくっても通うことのできない人狼の話。なによりも三村くんは可愛いし、授業に出てくれない学生たちのせいで磨り減った心を、彼の明るさが癒やしていたのかと思うと彼女も三村くんに救われてたんじゃないかなと思える。

 私だって、神経磨り減っているときに助けてくれる人がいたら、愛とか恋とか抜きでイチコロにやられてしまう自覚があるから。

 一方、最初から最後まで四月一日さんは渋い顔のまま話を聞いていたあと、深く溜息をついた。


「一応、大学の名前と講師の名前は教えてもらえませんか? それでどうにか絞れるかと思いますけど」

「ああ、えっとK大の田無たなし凛子りんこ先生!」


 ペラペラと話してくれたので、四月一日さんが「わかりました」と言った。


「まあ、調べるだけ調べますが、あまり期待しないでくださいね……特に、田無さんが今も会いたいと思っているとは限りませんから」

「わかってるよー、お礼は言いたいけど、無理なら手紙でもいいんだからさ」

「まあ、それくらいだったら問題ないでしょう」

「四月一日さんありがとー。おっと、そろそろ時間だ。それじゃあ、バイバーイ」


 お金を支払って、そのままドタドタと三村くんは出て行った。

 私は四月一日さんに振り返る。


「なんかロマンティックな話でしたねえ。どうにかならないんでしょうか?」

「ええ……なにも知らなかったらいい話には聞こえますけど……ただ相手は三村くんなんでねえ……」

「あのう……もしかして四月一日さんは、不死者が人間に干渉するのが嫌なんですか? でも、四月一日さんも昼間は不死者、人間問わずにお客さんとして迎えてますよねえ?」


 もしそうだとしたら、三村くんの話をまともに取り合わないんじゃと思ってハラハラしていたけれど、四月一日さんはきっぱりと「違いますよ」と答えた。


「もちろん、これがつい最近の話でしたら、自分も本腰入れて調べようと思うんですが」

「ええ? さっきの話……」

「なにぶん、三村くんは自分が不死者だという自覚がものすごく薄いですからねえ……人が死ぬとか年を取るとかいう感覚が、あまりにも理解に乏しい。だから彼はいつまで経っても子供のまま年を取らないんでしょうがね……今の話が何年前の話なのか、自分も聞いている限りではわからないんですよ」

「ええ……」


 そういえば、と思い至る。

 三村くん、電話のことを「ケータイ」と言ったのよね。今だったらほとんどの人は「スマホ」と言うのに。メールも電話番号も知らないのはわかるけれど……。

 四月一日さんは渋い顔のまま続ける。


「ですから、先程の話が何年前なのかは、三村くんの話だけではわかりません。下手に時が流れている場合、大概の女性はそれなりに仲の良かった男性に年を取った自分を見られるのを嫌います。先程の話を鵜呑みにするならば、田無さんは三村くんに対してなにかしらの感情があったのでしょうから、余計に彼女のことが気がかりです」

「そんなあ……」


 でも大学や高校の同窓会だったらかろうじて行けるけれど、小学校の同窓会になんか行きたくないもんなあ。

 小学生時代美少年と謳われていた男子が、あまりに老け込んでおっさんじみているのはよくある話だし、逆に頼りなかった子があまりにも神々しい姿に変貌を遂げているのだってある。

 卒業してひと桁だったらギリギリ許容範囲だけど、それが十年単位になったらきついって話だ。


「じゃ、じゃあせめて……彼女の居場所を特定してから、考えるのはどうでしょうか? それこそ九重さんに占ってもらうとか……」

「……まあ、彼女の占いだったらすぐ見つかるでしょうが、だからこそ三村くんもすぐに彼女に頼まなかったんでしょうね」

「え……?」

「すぐに会いに行って拒絶され慣れてますしねえ、彼も。だから不死者としての自覚を持てとあれほど」


 四月一日さんの話を聞き、私はむずむずとしてしまった。

 せめて、彼女の中で三村くんはいい思い出になっていたらいいけれど。でも彼女の記憶通りのまんまの三村くんに会うのは、思い出が美化されていたらいるほど、きついだろうなあとは想像がついてしまった。

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