槍と天狗様
池南 成
第1話 初めての旅
ところが日本にもう一か所、五稜郭と呼ばれる
それは
乗謨は幕末の動乱に備え、学んでいた西洋の築城法を取り入れて星形
だが、これから語るのは五稜郭築城の話ではない。
時は乗謨の祖父にあたる六代藩主
移転前の奥殿藩の所領は三河国に四千石、飛地の信濃国田野口に一万二千石と極端にアンバランスであった。
そのため藩の財政を担う飛地の統治が重要になっていた。
そんな田野口に不穏な動きが……。調査に向かう目付の一行。
これは同行を許された二十二歳の部屋住み武士、
奥殿藩松平家は前述の通り三河国奥殿に
所領の多くが信濃国田野口にあるため奥殿とは別に田野口に陣屋を設けていた。
六代藩主の
乗資は乗羨から見ると先代藩主の弟である叔父が側室に産ませた男子であり、信頼できる勤勉な姿は乗羨が期待を寄せるところであった。
国元では
文政八年、川の氾濫により凶作を
ところが陣屋から送られた米は要求した量の半分にも満たなかった。不作がその理由であった。
乗羨はすぐに家老の
「不作などとは聞いておらぬぞ、どうなっておるのだ。田野口では国元の
乗羨の激怒に神原は平伏して、
「直ちに田野口へ目付を向かわせ
そう言って乗羨をなだめた。
その晩、目付役大野宗一郎は馬廻り役組頭の堺勝太郎を訪ねた。
「ご家老神原様の
宗一郎は神妙な顔つきで言った。
「それはかまわぬが田野口で何かあったのか。わたしにできることがあれば力になるぞ」
勝太郎が心配して言った。二人の身分は宗一郎の方が上であったが互いに幼い頃より同じ道場で修業をした友であった。
「殿様の命じた救済米を田野口では渋って半分も寄こさなかったそうだ。それでご家老に田野口を調べるよう命じたという訳だが、このままでは国元の領民は冬が越せぬと殿様も
宗一郎は腕組みを解くとゆっくり茶を飲んだ。
「それでおぬしに白羽の矢が立ったということか。仕方あるまい、ご家老から信頼されている
勝太郎はそう言うと立ち上がり障子を開けて酒の支度を頼んだ。
「そういえばおぬしの弟はどうしているのだ」
唐突に宗一郎が尋ねた。
「庄二郎か?あやつは
勝太郎は年の離れた弟を哀れんで言った。
酒と
「強いのか?庄二郎は」
またしても宗一郎が突然言い出した。
「何なのだ先ほどから、庄二郎に興味でも持ったか。まあ強いと言えば剣術は我らと同じ
勝太郎の話を聴いて宗一郎は笑みを浮かべた。
「よし庄二郎も連れて行こう。国元を出て見聞を広めさせてやる。弟の行く末を案じているのであろう、わしに任せておけ。無事にお役目を終えたらわしが良い縁談を見つけてやる」
友の提案はありがたく、勝太郎は思わず身を乗り出した。
「弟は
「そこまで売り込まずともよい。おぬしの気持ちはわかっておる、さあ飲め」
宗一郎は笑いながら
翌朝、勝太郎は登城前に庄二郎を部屋に呼んだ。
「兄上お呼びでございますか」
庄二郎は障子越しに声をかけた。
「うむ、まずは入れ」
庄二郎は叱られると思い、何かまずいことをやらかしたかなと身を固くした。
「明日、早朝にお目付が馬廻り衆と共に信濃の田野口に向けて
みるみる目が輝いてゆく庄二郎を見ながら、勝太郎は口元が緩むのを我慢しながら言った。
「まことですか兄上。わたしはまだ領内から出たことがありません。中山道を行くのでございましょう?木曽の宿場町や
庄二郎は天にも上る気分だった。
「こら、
厳しくは言ったものの勝太郎もいつしか笑顔になっていた。
秋も深まる中山道は冬を前にして荷を運ぶ旅人が多かった。その中を早足で進む目付の一行はかなり目立っていた。騎乗した大野宗一郎を馬廻り衆五人が囲み、庄二郎はしんがりを務めた。
大野は馬上から庄二郎に
「庄二郎、何故槍など持って来た。戦に行くのではないぞ」
馬廻り衆もそれを聞いて笑った。
「兄から大野様をお守りするよう固く言われておりますゆえ」
庄二郎は真面目な顔で答えた。
また、山道に入ると、
「庄二郎、あまり
という具合に何かと気に掛けているようであった。
庄二郎は生まれて初めての旅を満喫していた。
峠道から眺める紅葉した山並み、助け合う旅人の姿、宿場町の賑わい、すべてを脳裏に刻み込んだ。
夕食は全員が同じ部屋で食べることにしていた。庄二郎が運んだ膳を囲んでいると、部屋の隅に立てかけた槍を見て上座から大野が言った。
「それにしても変わった槍だな。百姓の使う
庄二郎は席を立って槍を手に戻って来た。そして穂の
「これは先祖から伝わるもので当家の家宝です。穂は幅が三寸五分で長さは一尺六寸です。
庄二郎はかいつまんで説明すると槍を元あった場所に戻した。
「それは面白い。どうやって使うのだ」
大野は勝太郎からは得られぬ話に興味を持った。
「それではお話しします。あまり深いところは
「何?蝿叩きだと」
突拍子のない話に一同は大笑いした。しかし庄二郎は平然とした顔で続けた。
「槍は一人と対峙する時は突き刺す目的で使いますが、戦場において敵を刺せば次の動作は引き抜かねばなりません。まして速さが取り柄の騎馬上では進行方向の敵を刺せば速さが鈍るばかりでなく、腕が後ろに持って行かれ落馬にも繋がります。そこで先祖が考え出したのは刺す槍ではなく叩く槍なのです」
いつしか箸を止めて皆が聴き入っていた。
「それで蝿のように叩くということか。だが叩くだけで勝てるのか」
大野は叩くだけでは致命傷にならないと考えていた。
「それは
明るい笑顔で
「そなたの兄も修業したのか」
大野が
「本来ならば父そして兄と伝えるところですが二人ともその気がなかったと祖父から聴きました。騎馬槍術が役に立つ時代ではないから仕方がないと思いながら、途絶えさせるのもご先祖様に申し訳がないと次男のわたしに伝えたそうです」
その祖父は庄二郎が十八歳で騎馬槍術『
「それにしても組頭のお家にかような技が伝えられていようとは、
馬廻り衆は
「
大野は満足してそう言ったが、その願いが現実のものになるとは夢にも思わなかったのである。
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