槍と天狗様

池南 成

第1話  初めての旅

 五稜郭ごりょうかくと聞いてすぐに思い浮かぶのは函館戦争の舞台となった北海道函館市の観光名所であろう。

 ところが日本にもう一か所、五稜郭と呼ばれる星形城郭ほしがたじょうかくを持つ城が存在したことをご存知だろうか。

 それは信濃国田野口しなののくにたのぐち(現在の長野県佐久市田口)の龍岡城たつおかじょうである。

 三河国奥殿藩みかわのくにおくどのはん八代藩主、松平乗謨のりかたが幕府に願い出て信濃国への移転と築城の悲願を叶えたことに起因する。

 乗謨は幕末の動乱に備え、学んでいた西洋の築城法を取り入れて星形要塞ようさいの新陣屋を設計したのである。


 だが、これから語るのは五稜郭築城の話ではない。

 時は乗謨の祖父にあたる六代藩主乗羨のりよしの時代にさかのぼる。

 移転前の奥殿藩の所領は三河国に四千石、飛地の信濃国田野口に一万二千石と極端にアンバランスであった。

 そのため藩の財政を担う飛地の統治が重要になっていた。

 そんな田野口に不穏な動きが……。調査に向かう目付の一行。

 これは同行を許された二十二歳の部屋住み武士、堺庄二郎さかいしょうじろうの身に起こる愛と冒険の日々をつづった物語である。



 奥殿藩松平家は前述の通り三河国奥殿に藩庁はんちょうを置く一万六千石の譜代大名ふだいだいみょうである。

 所領の多くが信濃国田野口にあるため奥殿とは別に田野口に陣屋を設けていた。

 六代藩主の松平乗羨まつだいらのりよしは従弟の乗資のりもとに命じ田野口陣屋の統治とうちを任せていた。

 乗資は乗羨から見ると先代藩主の弟である叔父が側室に産ませた男子であり、信頼できる勤勉な姿は乗羨が期待を寄せるところであった。


 国元では矢作川やさくがわがたびたび氾濫はんらんし、洪水によって田畑を失うことも多かった。

 文政八年、川の氾濫により凶作を余儀よぎなくされた農民は年貢の減納を願い上訴した。乗羨は直ちに田野口に向け救済米を送るよう命じた。

 ところが陣屋から送られた米は要求した量の半分にも満たなかった。不作がその理由であった。

 乗羨はすぐに家老の神原伊織かんばらいおりを呼んだ。

「不作などとは聞いておらぬぞ、どうなっておるのだ。田野口では国元の窮状きゅうじょうを知らぬのか」

 乗羨の激怒に神原は平伏して、

「直ちに田野口へ目付を向かわせ子細しさいを調べさせまする」

 そう言って乗羨をなだめた。


 その晩、目付役大野宗一郎は馬廻り役組頭の堺勝太郎を訪ねた。

「ご家老神原様のめいで信濃の田野口に行かねばならぬ。配下の者五人ばかり貸してくれぬか」

 宗一郎は神妙な顔つきで言った。

「それはかまわぬが田野口で何かあったのか。わたしにできることがあれば力になるぞ」

 勝太郎が心配して言った。二人の身分は宗一郎の方が上であったが互いに幼い頃より同じ道場で修業をした友であった。

「殿様の命じた救済米を田野口では渋って半分も寄こさなかったそうだ。それでご家老に田野口を調べるよう命じたという訳だが、このままでは国元の領民は冬が越せぬと殿様もあせっておられる」

 宗一郎は腕組みを解くとゆっくり茶を飲んだ。

「それでおぬしに白羽の矢が立ったということか。仕方あるまい、ご家老から信頼されているあかしだ」

 勝太郎はそう言うと立ち上がり障子を開けて酒の支度を頼んだ。

「そういえばおぬしの弟はどうしているのだ」

 唐突に宗一郎が尋ねた。

「庄二郎か?あやつは冷飯ひやめし食いの次男坊だからな、婿むこ養子の口でもない限り世に出る機会もないのだ。毎日やりの稽古だけは欠かさずやっているがな」

 勝太郎は年の離れた弟を哀れんで言った。

 酒とさかなが運ばれてきて縁側で月を眺めながら飲んでいると、

「強いのか?庄二郎は」

 またしても宗一郎が突然言い出した。

「何なのだ先ほどから、庄二郎に興味でも持ったか。まあ強いと言えば剣術は我らと同じ新陰流しんかげりゅうで、腕前は目録もくろくを貰ったから強い方だろう。だが槍を持たせたらめっぽう強い。家中かちゅうでかなう者はいないだろうな」

 勝太郎の話を聴いて宗一郎は笑みを浮かべた。

「よし庄二郎も連れて行こう。国元を出て見聞を広めさせてやる。弟の行く末を案じているのであろう、わしに任せておけ。無事にお役目を終えたらわしが良い縁談を見つけてやる」

 友の提案はありがたく、勝太郎は思わず身を乗り出した。

「弟は文机ふづくえに向かうのは苦手だが賢い男だ。生まれた順が逆だったらわたしよりもお家の役に立つ器だと思うのだ」

「そこまで売り込まずともよい。おぬしの気持ちはわかっておる、さあ飲め」

 宗一郎は笑いながら徳利とくりを差し出した。


 翌朝、勝太郎は登城前に庄二郎を部屋に呼んだ。

「兄上お呼びでございますか」

 庄二郎は障子越しに声をかけた。

「うむ、まずは入れ」

 庄二郎は叱られると思い、何かまずいことをやらかしたかなと身を固くした。

「明日、早朝にお目付が馬廻り衆と共に信濃の田野口に向けて出立しゅったつする。そなたも従者として加えてくれるそうだ。母上には話してあるゆえ今日中に支度をするのだぞ」

 みるみる目が輝いてゆく庄二郎を見ながら、勝太郎は口元が緩むのを我慢しながら言った。

「まことですか兄上。わたしはまだ領内から出たことがありません。中山道を行くのでございましょう?木曽の宿場町や諏訪湖すわこも見られますね」

 庄二郎は天にも上る気分だった。

「こら、物見遊山ものみゆさんの旅ではない!お役目で行くのだ。但しそなたは頭数には入っておらぬ。お目付が路銀ろぎんを出してくださるのだからしっかりとお世話をするのだぞ」

 厳しくは言ったものの勝太郎もいつしか笑顔になっていた。



 秋も深まる中山道は冬を前にして荷を運ぶ旅人が多かった。その中を早足で進む目付の一行はかなり目立っていた。騎乗した大野宗一郎を馬廻り衆五人が囲み、庄二郎はしんがりを務めた。

 大野は馬上から庄二郎に時折ときおり声をかけた。

「庄二郎、何故槍など持って来た。戦に行くのではないぞ」

 馬廻り衆もそれを聞いて笑った。

「兄から大野様をお守りするよう固く言われておりますゆえ」 

 庄二郎は真面目な顔で答えた。

 また、山道に入ると、

「庄二郎、あまりはしを歩くでない。濡れた落葉を踏むと滑って谷に落ちるぞ」

 という具合に何かと気に掛けているようであった。


 庄二郎は生まれて初めての旅を満喫していた。

 峠道から眺める紅葉した山並み、助け合う旅人の姿、宿場町の賑わい、すべてを脳裏に刻み込んだ。

 旅籠はたごの仕事も珍しく、女中頭に無理を言って手伝いを買って出ると庄二郎自身もたすきを掛けてせわしく走り回った。布団の上げ下ろしや食膳を運んだりしていると宿の主から宿代を値切るつもりかといぶかしく思われた。しかし庄二郎の気さくな人柄に触れるにつけ次第に誰もが心を許すのであった。

 夕食は全員が同じ部屋で食べることにしていた。庄二郎が運んだ膳を囲んでいると、部屋の隅に立てかけた槍を見て上座から大野が言った。

「それにしても変わった槍だな。百姓の使うすきのように幅の広いだ。どうしてそのような平べったい形をしているのだ」

 庄二郎は席を立って槍を手に戻って来た。そして穂のさやを抜いた。幅広だが穂先は鋭く尖っている。

「これは先祖から伝わるもので当家の家宝です。穂は幅が三寸五分で長さは一尺六寸です。も入れると全長七尺二寸あります。竹内流槍術たけうちりゅうそうじゅつを学んだ先祖は合戦用にと騎馬槍術きばそうじゅつみ出しました。それがこの槍の形なのです」

 庄二郎はかいつまんで説明すると槍を元あった場所に戻した。

「それは面白い。どうやって使うのだ」

 大野は勝太郎からは得られぬ話に興味を持った。

「それではお話しします。あまり深いところは一子相伝いっしそうでんの秘術ゆえお許しください。簡単に言いますと先祖が考え出したのは蝿叩はえたたきです」

「何?蝿叩きだと」

 突拍子のない話に一同は大笑いした。しかし庄二郎は平然とした顔で続けた。

「槍は一人と対峙する時は突き刺す目的で使いますが、戦場において敵を刺せば次の動作は引き抜かねばなりません。まして速さが取り柄の騎馬上では進行方向の敵を刺せば速さが鈍るばかりでなく、腕が後ろに持って行かれ落馬にも繋がります。そこで先祖が考え出したのは刺す槍ではなく叩く槍なのです」

 いつしか箸を止めて皆が聴き入っていた。

「それで蝿のように叩くということか。だが叩くだけで勝てるのか」

 大野は叩くだけでは致命傷にならないと考えていた。

「それは鍛錬たんれんによります。わたしは三歳から修業しています。祖父が作ってくれた木馬にまたがり左右に立てた杭の頭を交互に叩くのです。先ほど大野様がおっしゃられた農具の鋤を削り槍に見立てて使っていました。朝に夕に毎日欠かさず叩くほどに十歳になるまで三百本の鋤は駄目にしたと思います。おかげで今では馬を走らせながら左右の杭に被せた水瓶みずがめを連続して叩き割ることができます。恐らく人であれば頭を砕くことができるかと」

 明るい笑顔でなつかしい昔話でもするような庄二郎を馬廻り衆は怪物でも見たように驚いていた。

「そなたの兄も修業したのか」

 大野がくと庄二郎はうつむいて答えた。

「本来ならば父そして兄と伝えるところですが二人ともその気がなかったと祖父から聴きました。騎馬槍術が役に立つ時代ではないから仕方がないと思いながら、途絶えさせるのもご先祖様に申し訳がないと次男のわたしに伝えたそうです」

 その祖父は庄二郎が十八歳で騎馬槍術『脇貫わきぬき』の奥義おうぎを極めたのを見るや安心してこの世を去った。父も同じ年に腰痛が悪化して早々と隠居し家督を嫡男の勝太郎に譲った。四年前のことであった。 

「それにしても組頭のお家にかような技が伝えられていようとは、三河武士みかわぶしここにありですな」

 馬廻り衆はそろって感動していた。

今宵こよいは良い話を聴かせてもらった。次はこの目でその秘術とやらを見たいものだ」

 大野は満足してそう言ったが、その願いが現実のものになるとは夢にも思わなかったのである。

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