ボクの人生やり直し

海野ぴゅう

どこかに生まれ変わりたいボク

『あなたは生まれ変わりたいですか?』


 もし聞かれたら小学生のボクは即答していただろう。


『もちろんイエスです』


 たぶん。まちがいなく中学生のボクも。




 小学生のボクは嫌な子供だった。ひねくれが過ぎて一回転して『周りを困らせない大人しいいい子』と言われていた。

 学校でも家でも皆が楽しそうにしていたが、ボクが楽しかったことなんて一つもなかったし、なんなら誰か放火して家も学校もなくなってしまえばいいとさえ思っていた。

 人間はいつか必ず裏切るから信用できなかった。家族でさえもだ。

 走る電車に飛び込んだら違うどこかの世界に生まれ変われる、と告げられたら実行してしまいそうなくらいにこの世界で生きていたくなかった。



 中学に入って運動部で刹那的に楽しいこともあったが、基本孤独のままだった。さすがにボクも処世術を覚え、笑顔を作って生活していたが油断はしない。仲良さげに振舞う同級生や善人ぶった先生がいつ豹変するかもしれなかった。

 孤高の存在を気取っている、そんな可愛らしいレベルではなく完全にいっていたと思う。


 ボクがそうなった原因は明るいいい娘になれと諭しながら友人と放課後や休みの日に遊ぶことを禁止する母親と、家父長制度を振りかざす高圧的な祖父・父親が原因だと思っていた。

 しかし高校生になってひょんなことで原因が判明した。




 新学期が始まる高校一年生の秋、ボクは毎年欠かさず訪れるある場所にいた。中学のオリエンテーションで知った伊勢湾台風の慰霊碑の前だ。

 秋のウオークラリーでは6・7人ほどの班に別れて問題を解きながら地図をよんで目的地にたどり着き、先生にハンコを押してもらって学校に帰ってくるというものだった。

 1年から3年まで各学年2・3人で男女混合なので全く知らない者同士の班となる。当たり前だが話は弾まない。しかし、ボクは世界を拒絶しているくせに圧倒的に歴史が好きだったので『壬申の乱で天武天皇と持統天皇が兵や物資の中継地点とした場所の遺跡』や『東海道の海の道の宿場宿』などのチェックポイントにひそかに心躍らせていた。

 そしてその慰霊碑がゴールだったのだ。


 学校が終わって自転車を走らせ慰霊碑にたどり着くともう夕方であった。

 その年は40年の節目の慰霊祭が行われており多くの人でにぎわっていた。ボクは成り行きで15センチ程の高さに切られた竹筒に入ったキャンドルライトを渡される。

 伊勢湾台風で命からがら生き残った母の話を聞いていたから参加しているわけではない。申し訳ない気持ちでボクはマッチを擦ってライトに火を入れた。ボワリと発光する竹を両手で包んで『不忘碑』の祭壇にそっと納めた。

 そのボクの手を誰かがふわりと包んだ気配がして周りを見渡したが、知っている人はいない。まあ気のせいだろうとたくさんの揺れる光が台風で亡くなった人の魂のようだなとぼんやりと端で思っていたら、


「おい、佳代やないか?どうしたんや…」


と声をかけられた。慰霊碑の近所に住む叔父だった。


 伊勢湾台風の直前に祖父が新築した2階建ての家のおかげで叔父と母は生き延びることが出来たとよく母から聞いていたが、慰霊碑の話は出たことはない。ボクを早朝に行われる新興宗教の集まりに有無を言わさず連れて行くような母であったが、災害で亡くなった方の慰霊碑にお参りしたなんて話は一度もボクにしたことがなかった。


「叔父さんこそ、こんなところでどうしたん?一人?」

「どうしたんって、毎年この日は一人で来とる…」


 手をポケットから出してごつい手をじっと見つめる叔父を前にしたら、鮮烈に映像が頭に浮かんだ。それは小学生低学年の頃によく見ていた重くて苦しい夢だった。

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