第十話 サクラ

「ついに明日かぁ、春蘭祭……」

「休校もあったけど、間に合ってよかったね」

「だね」


 時が過ぎるのは早いもので、ついに春蘭祭前日となった。特別クラスでは明日に向けて準備に取り掛かっており、和モダンな喫茶店をイメージした内装は仕上げの段階となっていた。


「それにしても……よく異国風寄りの衣装にできたわね。てっきり藍は『フリフリふわふわは恥ずかしいからヤダ』とか言いそうだと思ってたんだけど」

「あー……」


 咲音ちゃんの言う通り、私も最初はなるべく着物に似せようと思っていたのだが……


「実は、架瑚さまにデザイン画を書き足されちゃって」

「……納得したわ」


 できあがったのは着物要素三、異国要素七ぐらいの割合の衣装である。


「本当はもっとフリルとかレースとか、リボンは少なくするつもりだったんだけどねぇ……」

「まぁ、わからなくはないけど……今回に関しては婚約者様の方がよかったわ」

「? どうして?」

「そっちの方が稼げそうだもの」

「…………」


 咲音ちゃんは金銭系の話となるとスイッチが入るのか、今回の春蘭祭に投資した金額の二倍の利益は確実だと言っていた。ちょっと怖いが、頼もしく思う。


「あ、そろそろ時間ね。……嵐真、買い出しに行くわよ」

「ん、わかった」


 嵐真くんと咲音ちゃんは食材の買い出しに向かった。残されたのは私と依世ちゃん、紡葉くんと綺更くんだ。内装も人手が多かったため、二人が行った後、すぐに終わってしまった。


「私たちは何をしようか」

「やることは特に指示されてないし、鈴の机の中でも漁る?」

「え!? そ、それは……」

「面白いものがあるかもしれないわよ?」

「で、でも、人の机を勝手に漁るっていうのは……っ依世ちゃん、ダメだって!」

「えー」


 最近知ったのだが、依世ちゃんは(天才なのに)かなり問題児だ。やることが毎回私の予想の斜め上を行くので、どう反応していいのかわからなくなる。


「依世、やめた方がいいよ。そろそろ鈴が白椿の当主に苦情を入れようか迷ってた」

「それはまずいわね。どう脅そうかしら」

(やめるっていう選択肢はないんだ……)


 呆れているのは私だけではなさそうだ。綺更くんも紡葉くんも若干引き気味になっている。


 これも最近知ったのだが、綺更くんは人の扱い方が上手い。


 常に寡黙で、冷静沈着という言葉が似合う綺更くんだが、それは煌月家次期当主になるための一つの課題らしい。客観的に状況を見極め発言する当主としての力をやしなえることができるとのことだ。


 紡葉くんも人の扱い方が上手いのだが、どちらかというと幼子が対象だ。紘杜くんと絺雪ちゃんの影響だろう。あと、譲れないものがあると無表情を崩して熱烈に反対する。私が知っているのはそのくらいだ。


「……依世、このメンバーならサクラの話でもいいんじゃない? 新しい情報が入ったって聞いたけど」

(桜……?)


 今は文月ふみづき(七月のこと)だ。桜の咲く時期ではないと思うが……。


 そんな私に紡葉くんが教えてくれた。


「サクラっていうのは、赤羽と青雲の二人のこと。赤羽の名前のサクと青雲の名前のラでサクラ」

「なるほど……」


 どうやら二人の隠語らしい。


 咲音ちゃんと嵐真くんは許嫁だ。それを知ったのは休校中に帝都に行った時である。


 依世ちゃんは恋愛話がかなり好きなようで、咲音ちゃんがダメなら私に恋愛話をするよう迫るトップオブ女子である。


「で、でもそれって本人もいないし、かなりプライベートなことなんじゃ……」

「えー? ダメ?」


 可愛く上目遣いで言われても、ダメなものはダメだ。そう、思っていたのだがーー


「じゃあさ、藍の架瑚との恋愛の話をしてよ」

「…………ええっ!?」


 それはそれで困る。最近、本当に架瑚さまからのスキンシップが激しくなったせいで、夜の記憶がないに等しくなってきているのだ。


「依世ちゃん、私、もう、心はかなり限界に近いから、それはちょっと……」

「ならサクラの話で妥協するわ」

(結局恋愛話は譲らないのね……)


 依世ちゃんの中に「諦める」という言葉は存在しないようだ。


(あれ、でも……)


 ここで私はあることに気づいた。


「依世ちゃんにも、許嫁とかいないの?」


 誠実様と遥香様の亡き今、白椿家の当主となるのは依世ちゃんしかいないため、他家から伴侶をもらうはずだ。


 咲音ちゃんや嵐真くんのような許嫁や、私と架瑚さまのような婚約者、婿候補などはいないとは考えにくいのだがーー。


「何言ってるのよ、藍。私にそんな相手がいると思う? お見合いとかは全部サボるからいるわけないじゃない」

「…………」


 当然のことのように語る依世ちゃん。


 おそらくお見合いがある日(ではなくても)『夢遊空想』で引きこもってやり過ごしているのだろう。依世ちゃんならありえる。


「き、綺更くんは……」

「んー、許嫁はいるけど、名前と年齢しか知らないんだよね」

「! 会ったこと、ないの?」

「うん、ない」


 だが珍しい話ではないらしい。許嫁は親同士が決める婚約者のことだ。記憶のない頃から結ばれていてもおかしくはない、と綺更くん。


「なら、紡葉くんは……」

「俺は一般人だ」

「だ、だけど……」

「もう一度言う。俺は一般人だ」

「……すみませんでした」


 まぁ、それが普通である。


「ってことで特別クラスの恋愛イチャラブ担当パートはサクラか藍なんだから、早く選びなさい」

「うぅ〜〜っ」


 サクラの話か、私と架瑚さまの話か……。


 天秤にかけた結果、私が選んだのはーー


「……………………サクラで」

「よーし決まりっ!」

(ごめんなさい、本当にごめんなさい……っ)


 ひたすらに心の中で謝る。そんな心境を知るわけもない依世ちゃんはウキウキしながら『夢遊空想』を展開して、私たちを閉じ込めた。


「サクラのことならほとんど知ってる私がぜーんぶ教えてあげる。覚悟してね、あ、い、る?」

「よ、よろしくお願いします……」


 罪悪感を抱きつつ、私はサクラの話を聞くことになったのだった。


「まずは藍もいることだし、時系列に教えるね。二人が許嫁になったのは六歳のときよ。二人とも、上にお兄さんがいたから政略結婚の対象だったの。より強い異能持ちの子孫を作るため、五大名家内で許嫁や婚約者のいない男女の組み合わせを考えて、咲音と嵐真になったと言われてて……。ここまでは前提条件だから覚えてね」


 私が頷くと、依世ちゃんは話を進めた。


「幼馴染だったこともあって、二人とも『まぁいっか』ってなったんだけど、一、二年後ぐらいだったかなぁ……。咲音が嫌だって言い始めたんだよねぇ」


 意外だ。てっきり咲音ちゃんは嵐真くんのこと、最初から好きだと思っていた。


「でも嵐真がさ、言ったのよ。……『俺は咲音とずっと一緒にいたい』って! 嵐真のくせにやるなって思わない? 思ったよね? 思えよ!?」

(おぅ……)


 私の周りの女性は、みんな恋愛が大好きなようです。はい。とにかく勢いがすごい。だんだんと命令口調になっていること、自覚してる……よね?


 私は同類探しにチラリと綺更くんと紡葉くんに視線を移す。だがーー


(あれ……?)


 綺更くんは大きく依世ちゃんに同意し、紡葉くんも満更でもないといったご様子。そこで私は気づいた。


(依世ちゃんの興奮に追いつかないのって、もしかして私だけ!?)


 これが普通というやつなのだろうか……。少なくとも私はまだ追いつくことができなさそうだ。


「で! そんな嵐真の素直な恋愛感情とか一切わかっていなさそうな嵐真の台詞セリフで嵐真は咲音の幼馴染の親友から想い人に変わったわけよ!」

「……おぉ」


 依世ちゃんの迫力に押されたのもあるが、これはなかなか良い展開である。何気ない一言で感情や捉え方が変わることはよくあるが、現実リアルで恋愛関連で起こるとは……。


(にしても、依世ちゃんにとっての嵐真くんっていったい……)


 嵐真の、を二回、その間に恋愛感情とか一切わかっていなさそうな、が一回。前半は依世ちゃんの興奮度がよく伝わり、後半は嵐真くんへの偏見がよくわかる。ちょっとかわいそうだ。


「嵐真が咲音に恋愛感情を抱いていないことは咲音もわかってたの! でも、恋に落ちちゃったじゃん? 人生、いつ恋が始まるかなんてわからないって思い知らされたわ」

「うんうん」と綺更くん。

「そんなもんだ」と紡葉くん。


 そのことには私も深く頷ける。私が架瑚さまと出会ったのは時都家を抜け出した夜だったし、好きになったのも突然だ。小さなことが、大きな運命の転換点になることもある。


「依世、この話は何度聞いてもいいなって思う」

「だよね。サクラいいよね」

「でもそろそろ入手した情報を聞きたい」

「そういえばそうだったわね」

(最近のサクラの情報……?)


 依世ちゃんはどこから情報を仕入れているのだろうか。情報屋とかがいるのだろうか。わからない……。


「えーっとねぇ……あっ! 思い出した! 咲音が嵐真に春蘭祭一緒に回らないかって誘ってたわ!」

「それは当たり前でしょ。特別クラス公認両片想いのサクラだよ? 春蘭祭は恋愛イチャラブの絶好の好機チャンスなんだから」

「煌月の言う通りだ。休憩時に抜ける二人のペアはサクラで決定なんだから回らないっていう選択肢はないだろ」

(盛り上がってるなぁ……)


 正直、男の子は恋愛とか話さないと思っていたが、案外そうでもなさそうだ。


「まあね、そこは確定事項なんだけど……問題は片想いだと思ってる咲音がどう誘ったかでしょ?」


 依世ちゃんの言葉に、私たち三人はハッと気付かされた。


(たしかに、何と言って誘ったか気になる……)

「何で言ったの?」

「ふふんっ。聞いて驚くなよ? ……『どうせ二人同時に休憩入るんだし、その……春蘭祭、一緒に回らない?』だって!」

「おおー!!!」

「青雲のこととなると素直になれない赤羽らしい誘い方だな、うん。ツンデレのいいところがよく出てる」


 目を輝かせる綺更くんと、冷静に分析する紡葉くん。本音を言おう。ものすごく怖い。私と架瑚さまの恋愛話となった場合、こんなふうになっているかもしれないと思うと、もっと怖い。


「しかもね、これに対する嵐真の返事が『え、最初からそのつもりだけど? あと、こういうのは男から誘うものだから、俺から言わせてよね。もう一つ加えると、俺は今年も、来年も、春蘭祭は咲音と楽しみたいよ』なの!」

「甘い! しかも天然だから威力二倍!!」

「白椿、赤羽はどうなったんだ!?」

「ふっ、赤面に全力ダッシュに決まってるだろ?」

「「王道だー!!!」」

(……なに、これ)


 キメ顔で語る依世ちゃんに全人類の言葉を代表して言う綺更くん、先を急かす紡葉くん。


(どうしよう。さっきまですごく心躍る話題のはずだったのにみんなの勢いについていけない……)

「あとはねぇ……」


 依世ちゃんが話を続けようとした時だった。


(……え?)


 突然『夢遊空想』が崩壊し、私たちは特別クラスに戻った(正確には落ちた)。


「きゃーっ!」


 だが私は尻餅をつくことなく地に足をつけることができた。ーー未玖のおかげである。


「大丈夫か、藍」

「未玖……!」


 まさかの未玖の登場に、私は驚きを隠せない。ここ一ヶ月くらい、未玖はどこかに行っており、会うことがなかったからだ。


「ありがとね」

「ふっ、このくらいどうってことない」

「それで、どこに行ってたの?」

「すまない。それは藍でも言えない。だが、藍のためでもあるんだ。……許してくれ」

「ん、じゃあいつか教えてね」

「あぁ。約束しよう」


 すると、依世ちゃんの怒声が響いた。


「もー! 今すっごくイイところだったのに! これだから鈴は大っ嫌いなのよ!!」

「いやー。でも『強制解除』がある限り、『夢遊空想』には入れないしさぁ……?」

「だから毎回タイミングの悪いところで落とすわけ!? その辺のスキルはいい加減身につけなさい!」

(めっちゃ怒ってる……)


 おそらく依世ちゃんの感情は先刻まで最高潮に達していたのだろう。それを一気に崩されたことで、怒りが爆発した。ざっとこんな感じだと推測できる。


「でー? 何の話してたの?」

「ふんっ。鈴なんかに教えるわけないでしょ」

「それは残念だなぁ……」

「ただいまー。あれ? なんかあったの?」

「……咲音、荷物を少しでいいから持ってくれない? 前が見えない……」

「いや、それどころじゃなさそうなのよ」

「そう言われても……」


 そこへ話の中心だったサクラが帰ってきた。「何の話?」と咲音ちゃんに聞かれたが、「まぁ、色々あって……」ととりあえず曖昧な返答をする。


 こうして、騒がしい春蘭祭前日は幕を閉じたのだった。


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