第八話 言葉と手紙

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 朝起きて、制服に着替えて、今日もまた私は架瑚さまたちのもとへ向かった。だけど私はその道中に違和感を感じた。何かがなくなっているような気がした。そして、嫌な予感がした。


 その正体が何なのかは、架瑚さまたちと会ってすぐにわかった。ゆっくりと障子を開け、視界が部屋の全貌を捉えた瞬間にだ。


「おはようございます」


「おはよう藍」「おはようございます藍様」


 声が二人分足りない。部屋にいるのは架瑚さまと綟さまだけ。つまり私が感じた違和感は『夕夜さまと夕莉がいない』ことだとわかった。


「あの、夕夜さまと夕莉は……」


 もちろんいない理由を私は知らないし知りたいので質問した。すると架瑚さまが言いにくそうに話した。


「……夕莉が行方不明になった。夕夜は早朝に夕莉を探しに屋敷を出た」


「えっ!?」


 夕莉が行方不明……!?


「行方不明になったのは昨夜からだそうだ」


 確かに私は昨日は屋敷に帰ってから夕莉を見ていなかった。綟さまからは忘れ物を取りに行ったとしか聞いていない。一体何があったのだろう。


「手がかりはないんですか?」


「先程の若の言葉の通り、夕夜が探している最中です。辛抱する他ありません」


「俺も綟も今日の仕事を片付け次第、捜索にあたる。心配なのはわかるけど、藍には学校に行ってもらう。まだ子供だしね」


「……はい、わかりました」


 架瑚さまは私を傷つけないよう、慎重に言葉を選んだのだろう。つまり極端にに言えば「足手纏い」ということだ。私は自分の無力さを思い知らされた。手を強く握りしめる。皮膚を抉るように爪が食い込んだ。


 するとーー。


「あ、そうそう。忘れるところだった」


 そう言って架瑚さまは懐から何かを取り出し私に渡した。小さな首飾りだった。付いているのは韓紅色の雫型の結晶。太陽のように光り輝いており、まるで異国で言う宝石のようなものを感じさせた。


「綺麗……」


 思わず声が出てしまうほどの美しさに私は見惚れた。そしてふと気づく。その結晶に魔力が込められている。しかも、架瑚さまのだ。


「お守り。なるべく持ち歩いといて」


 魔力の籠った物はいざという時に助けてくれる便利なものだ。もちろん籠める魔力の量にもよるが、魔力の主が架瑚さまなのだ。きっとこれほどに小さくても、相当な効果を発揮することだろう。


 私はそれを首にかけ、制服の下に隠し、学校へ向かった。そしてふと思う。


 私も夕莉を探すのを手伝いたかったな、と。




 なんだかAクラスが騒がしい。


 学校に来て最初に思ったのはそのことだった。いつもは静かな秀才たちなのに、今日はやけに騒がしかったのだ。私は少し教室を覗いた。


 あれ?茜がいない……。


 茜はAクラスでも上位の成績を保っており、圧倒的な支持と人気を誇っている。そして滅多に学校を休まない。たとえ病気になったとしてもだ。なのに茜は教室にいない。つまりこれは異常である。


 何もないと良いのだけれど。


 夕莉が行方不明なのと、茜が学校に来ないのは何か関係があるのだろうか。私は心配に思いつつ、自分の教室へと一人で向かった。空は暗く、灰色の雲が埋め尽くしていた。




 夕莉が行方不明となって一週間が経過した日のことだった。


「お願いです。茜様を助けてください……!」


 それは、昼休みに私が綟さまの作ってくださったお弁当を食べている時に言われた。そう言った子には見覚えがあった。名前までは知らないが、茜といつも一緒にいる女の子なのに間違いはなかった。


「……どう言うことですか?」


 私は恐る恐る聞いた。助けてほしい、つまりは茜は何かの危機に晒されていると言うことなのだろうか。


「茜様が、茜様がずっと学校に来ないのです。魔法郵便を送っているのですが、返事も来なくて……。だからきっと何かあったんです。あなたなら、茜様の妹のあなたなら、何か知っていませんか?」


 茜がここ最近学校に来ていないことは私も知っていた。一度ならまだしも、一週間連続で休んでいるのだ。心配するのも無理はない。


 そして魔法郵便の返事すら来ない、か……。


 通称魔法郵便こと郵便魔法は手紙を本人にすぐに届ける魔法だ。転移魔法の手紙版、というところだ。これは初歩的な魔法なのでほとんどの人が使える。もちろん茜も使えるはずだ。他の難しい魔法も使えていたのだから。


 そうなると茜に何かあったという説が有力になる。この子の言う通り、助けなければならない状態にあるのかもしれない。だけどーー。


「ごめんなさい。申し訳ないのだけど、今はもう、私は架瑚さまのお屋敷に住んでいるから茜のことは知らないの。それに、私にはそんな助けられるほどの力がないから」


 これは本当のことだ。私は茜のことを知らない。それに、もし私が助けに行っても、茜はきっとーー。


「そんな……!でも、あなたしか私には頼れる人がいないんです。お願いです、茜様を助けてください!」


 その子は私に縋るように涙を流しながらそう言った。この子はそれほどに茜を大切に思っているのだろう。でも、できないことはできない。ふと、夕莉が行方不明になったと知った時のことを思い出した。私は結局何もできない、無力な人間なのだ。


 その後私はその子に対して何も言うことができなかった。ただ、下を見ることしかできなかった。




 屋敷に帰ると、綟さまが待っていてくれた。架瑚さまから大事な話があると言う。私は急いで制服から着替えて架瑚さまのいる部屋へと向かった。


 部屋に入ると架瑚さまと夕夜さまいた。架瑚さまと綟さまに会うのは三日ぶり、夕夜さまと会うのは夕莉が行方不明になって以来だ。


 何か手掛かりが見つかったのだろうか。


 私は綟さまに促され、席に座った。一番最初に話し始めたのは架瑚さまだった。


「単刀直入に言うと、夕莉の目撃情報があった」


 目撃情報……!


 私は身を乗り出し「どこにいたんですか?」と尋ねた。


「路地裏、だそうだ。それと、すごく言いにくいのだが」


 架瑚さまは言葉を濁し、少し間を置いてから話した。


「……時都茜もいたらしい」


「それっ、て……」


 信じられない、信じたくもない言葉が、私の耳に入り込んだ。全身に悪寒を感じた。嫌な予感は、当たった。


「時都茜による夕莉誘拐説が浮上した」


「っ茜はそんなことしません!」


 私は思わず立ち上がってそう言った。だが、すぐに身体を落ち着かせて「申し訳ございませんでした」と言い座り直した。


「仮説というだけです。まだ決まったわけではありません」


 綟さまはそう、私を心の興奮を鎮めるかのように言った。


 そうだよね。まだ仮説だ。うん、大丈夫。


 私もそう思うことによって自分自身を落ち着かせようとする。燃え上がる火を、水で打ち消すように。だが、そんな私に架瑚さまはどんどん油を注ぐ言葉を発した。


「だがその説が今一番有力だ。明日にでも時都家に行くぞ」


「待ってください架瑚さま!綟さまもまだ仮説だと言っていました!証拠もないのに勝手に茜を犯人にしないでください!……茜はそんなことする子じゃありません。優しい子です。学校のみんなからも慕われてるいい子です。きっと何かの間違いです。だから、まだ待ってください」


 私は自分の思いを一斉に伝えた。まだ待ってほしい。そんな思いが架瑚さまに伝わることを願って。


 学校では慕われていて、家では期待されてる茜には、その努力が報われてほしいと思っている。いつか幸せになってほしいと思っている。これは本当のことだ。そしてそんな茜のことだ。善悪の区別はついているはずだ。夕莉を誘拐だなんて、茜がするわけない。


 だけど架瑚さまは聞く耳を持たなかった。


「でも、もう一週間も経ってる!」


 怖い……。


 私はこの時初めて架瑚さまを怖いと思った。まるで架瑚さまは何かに取り憑かれているようだ。怒り方が尋常ではない。そう感じた。


「今この瞬間にでも夕莉が苦しんでいたら?もし助けが間に合わなくて取り返しがつかないことになったら?俺は自分を許せない。……もう『あの時』のように後悔したくないんだよ!」


 『あの時』……?


 私は架瑚さまの過去を知らない。だから過去に何があったのかも、何を後悔したのかも知らない。だけど私だって譲れない。茜がそんなことするわけない。茜のことが心配に思っている子がいる今日、私は確かに知ったのだ。


「ごめんなさい。でも、あの、架瑚さま、話だけでも」


 話だけでも聞いてほしい。


 私は架瑚さまの言葉を思い出す。


「でも、わからないことはわからないんだよ。だから教えてほしい。藍がどう思っているのか、どうしたいのか」


 架瑚さまはあの時こう言ってくれたから、今私は架瑚さまに対して自分の意見を言うことができるのだ。架瑚さまは私の気持ちを教えてほしいと言ってくれた。私がどう思っているのか、どうしたいのかを教えてほしいと言ってくれた。


 だから私は、私の意見を言おうと思えたのに。


「藍は何も知らないだろう?何もできないだろう?何もしていないだろう?……だからそう言えるんだよ!」


 その瞬間に、大きな言葉ナイフが私の心を刺した。


 どうして……。


 そう思わずにはいられない。


 私が、悪かったの……?


 視界がぼやけてきた。何が起こっているのかわからない。何かが頰を伝って落ちるのを感じた。架瑚さまたちが目を開き慌て、焦る姿が視界に映る。何をそんなに焦るのだろうか。その答えを知るのに、私は少し時間がかかった。


 あぁそうか、私は泣いているんだ。


 もう、気持ちの整理がつかない。情報を早く飲み込めない。目の当たりが熱くなるのを感じる。しゃくり上げそうになるのを必死に抑える。思いが、溢れた。


「ひどい、です……」


「あっ……」


 私は立ち上がり、涙を流しながらそう言った。架瑚さまも立ち上がり私の涙を止めようとする。だがそれは無駄だ。今の私に、そんな力はない。


「ひどいです、架瑚、さま……」


「藍っ、これは、違くて」


 ただ、自分の思いが、偽りのない思いが口から溢れるのだ。こうなってしまえば、もう私には止められない。


「私だって夕莉を探したかったです。ずっと、ずっと心配してました。でも、学校に行くことになったのは架瑚さまが決めたからです」


「違う、違うんだ藍。俺は、本当は」


 架瑚さまは私の手を掴む。だがーー。


「言い訳なんて、いりません!」


 私は架瑚さまの手を振り払い、そう叫んだ。


「もういいです!何も、聞きたくありません」


 そして思ってすらいなかった、言うべきではなかった言葉を言ってしまった。


「架瑚さまなんて……大嫌いですっ!」


「「っ!」」


 言った瞬間に後悔した。きっと鏡を見れば私も架瑚さまも酷い顔をしている。私なんて傷つけた側なのに、まるで傷つけられたかのように胸が苦しくなった。


 私、最低だ……。


 そして私は架瑚さまの言葉を思い出す。


「前に藍は言ってたよね。必要とされる人がいないって。何度でも言うよ。俺がなる。藍を必要とする。藍に居場所をあげる。だから俺は藍を必要としてもいい?俺はもう、藍がいないと駄目だから」


 なんてことを私は言ってしまったのだろう。


 架瑚さまは私を必要としてくださったのに。

 架瑚さまは私に居場所をくださったのに。

 架瑚さまは私に幸せを教えてくださったのに。


 それを私は自分の手で壊した。

 私は架瑚さまに何をしてあげられた?


「藍っ!」


 気づいた時にはこの部屋を出て自室へと向かっていた。私を呼ぶ架瑚さまの声が聞こえたけれど、私は振り返ることなく走った。


 やっぱり私には必要とされる資格なんてない。


 私の走った後には小さな水の跡が残っていた。




「藍、藍っ!……離せ、綟、夕夜!」


 時都妹のところへと行こうとする架瑚を俺らは必死に抑えた。


「落ち着いてください、若!今の藍様には一人になる時間が必要です!」


「綟の言う通りだ。大人しく捕まれ……っておい、暴れるな!くそ、この馬鹿力めっ」


 数分の間二対一で格闘し、やっとの末に抑え込むことができた。架瑚は自分と同い年だと言うのに、力が半端ない。


「藍……」


 そう架瑚は呟いた。何故そこまで大切だというのに、あんな風に言ったのだろうか。俺には理解できない。俺は一応架瑚に釘を刺しておくことにした。


「言っとくが、今回のは架瑚の方が悪いからな」


「わかってるよ……」


 ムスッとしながら言ったので、多分架瑚はわかっていないだろう。もう何年も一緒にいるんだ。従兄弟でもあるし、そこに関しては舐められては困る。


 すると綟が架瑚の前に立ち、こう言った。


「若、先に無礼を申し上げます」


「なんだ急に……っ!」


 綟が架瑚を強く叩いた。俺は思わず目を瞑る。目を開けると、架瑚の頬は赤く腫れていた。見ているだけでも痛々しい。俺は綟を横目で見た。


 うっわぁ……これはマジで怒ってるな、綟。


 普段はニコニコと笑っている綟だが俺は知っている。こういう奴ほど怒るとものすごく怖い。そして今の綟の顔には笑顔がなく、目は氷のように冷たい。そしてそんな綟は普段からは想像もつかない厳しい言葉を投げかけた。


「若、あなた様は馬鹿ですか!いえ、馬鹿でしたね。馬鹿に馬鹿かと聞いて申し訳ございませんでした」


「……は?」


 綟の言葉に俺も架瑚も唖然とする。


「好きな女性の思いも聞かずに独走し、挙句に泣かせるだなんて……。若、今の若に藍様の婚約者と名乗る資格などありません!」


 ポカンとする架瑚に綟は構わず叱る。


「若は自分勝手過ぎるのです!いつもいつもこっちが夜中に唸りながら考えている予定を当たり前のように崩されるこの気持ち、わかりますか!?」


 綟の怒りは尤もである。俺らはいつも仕事を終え、屋敷に帰るとすぐに次の日の予定を組み立てる。長い時では実に三時間もの時間をかける。ーーなのに架瑚はいつもいつも「藍といたいから」だとか言いやがって!


「え、いや、その、悪かった」


 ……絶対悪いだなんて思ったないだろ!?


 そんな架瑚の言葉に綟はもっと怒った。


「若が今生きているのは私たちが若の無茶振りに対応できるからです!もし私たちがいなければ、若!あなた様は何もできません!自分で何でもできていると思っているのなら大間違いです!大体、そんな無茶振りに対応できるのは私たちぐらいなのです!そこに藍様も巻き込ませている時点でーー」


 その後もクドクドと架瑚は綟に叱られ、気付けば夜の十一時となっていた。綟は言いたいことを全て言い終わったのか、顔が叱る前よりもスッキリしていた。


「で?若、何か言うことは?」


「……ごめんな、さい」


 やっと架瑚は自分が悪いと思えたのか、不貞腐れながらもそう言った。


「はぁ、藍様にも後で必ず言ってくださいね。それと、藍様には危険な目に合わせたくなかったから一緒に夕莉を探さなかったのだと教えてあげてくださいね。では次、夕夜どうぞ」


 俺は特に言うことを決めていなかったが、一つだけ念を押すことにした。


「架瑚、『あの時』のこと、忘れるなよ」


 そう言うと、架瑚の顔は強張った。きっと『あの時』のことを思い出しているのだろう。架瑚が嫌でも毎日のように見る悪夢のことを。


「っ!……わかってる。事が起こってからじゃ遅い、だろ。覚えてるよ、てか、忘れるわけがない」


「じゃあ俺からは終わりだ。……あ、一個忘れてた」


 俺は架瑚に近づき、架瑚を全力で蹴った。架瑚は吹っ飛び、襖が二枚ほど壊れた。ちょっとやり過ぎたかなと思ったが、架瑚はすぐに着物についた木屑などを払いながら立ち上がったので、そんな思いはすぐに消えた。


「いっ!……何するんだ!」


「いつもの苦労のお返しだ。どうせ受け身は取ってるんだろ?なら大丈夫だ」


「大丈夫なわけねぇだろ!」


 ちなみにその後は十分ほどやり合った。




 もう、どうしたらいいんだろう……。


 私は布団に籠り、先程の出来事を思い返していた。架瑚さまの言う通りだったのに、まるで自分が被害者かのように振る舞い、挙句に架瑚様に対して「大嫌い」などと暴言を吐いてしまった。


 間違いなく、『嫌われた』よね。


 仮に嫌われていなかったとしても、良い印象でないことには変わりない。言葉は時に凶器と変化する。そして私は架瑚さまに言葉ナイフで傷つけた。その時の顔はまだ鮮明に記録されている。


 こんな私の方が、大嫌いだよ……。


 そう、思っていた時だった。部屋の窓をすり抜けて光る小鳥がやってきたのだ。もちろんただの小鳥ではない。


「……私宛て?」


 郵便魔法によって手紙が変化した小鳥だ。郵便魔法は本人に届くと元の手紙へと姿を戻す。小鳥は私の手に乗り、手紙へと姿を戻した。私は手紙を裏返す。


 誰が何のためにこの手紙を送ったのだろうか。


 そんな風に思いながら私は差出人の名前を見た。そして私の思考が停止した。驚かずにはいられなかった。恐怖が私の身を包む。


「なんで、あなたが……」


 何故この人が私に手紙を送ったのだろうか。私には理解できなかった。ただ一つ言えることは、何かが私の周りで起きているということだ。


 手紙の差出人はーー時都紅葉だった。



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