第七話 贈り物を買いに




あいる、行きたいとこ、ある?」


「……え」


 朝起きて、開口一番に架瑚かこさまはそう言った。


 私はちょうど、れいさまの作ってくださった美味おいしすぎる朝ごはんを食べていた最中だったので、返事に時間がかかった。


 そして、飲み込んだ瞬間にすぐ後悔した。味わって食べていたからである。


 その言葉に私は「いえ、特にはありません」と言いかけたが、昨夜の架瑚さまの言葉を思い出した。


「でも、わからないことはわからないんだよ。だから教えてほしい。藍がどう思っているのか、どうしたいのか」


 私は一歩踏み出す決意をした。


「……糸を、買いに行きたい、です」

「糸?」


 一応理由はあるのだが、やはり架瑚さまと行くべき場所ではなかったと落ち込んだ。


 糸なんて、買うのも見るのもこれといって面白い物ではない。そんなことのために架瑚さまの限られた時間を割く必要などないのだ。


「だ、だめ、ですよね……」


 やはり私は少しでも希望があると、それが実現すると思ってしまうらしい。期待した分、叶わなかった時の反動は少なからずあるというのに。

 

 すると、架瑚さまは私の頭をポンポンと軽く叩き、意見を肯定してくれた。


「わかった。前に行った呉服屋に行こう。あそこは何でも売ってるから」

「っはい……!」


 前に行った呉服屋、というのは夕夜さま用のずんだ餅を買いに行った時に立ち寄ったお店のことだろう。


 確かにあそこにはなんでも売っていた。


「てことで綟、夕莉ゆうり、よろしく」

「お任せください」

「絶対架瑚兄かこにいの心を仕留めてやるぜ!」

「……え?」


 振り返ると、後ろで綟さまと夕莉が目をぎらつかせ……いや、輝かせながら私を見つめていた。


 手には傘や髪留め、化粧品を握っている。しかも、指と指の間にがっしりと。


 もちろん逃げられる訳もなく、私は二人に捕まり、施しを受けることとなった。




「ということで藍、今もめっちゃ可愛いけど、もっと可愛くするから覚悟してね!」

「まずはお着物ですよね。どれがいいかしら」

(……二人の熱意がすごい)


 やはり夕莉も綟さまも女の子だ。服や化粧となった途端にスイッチが入った。


 私は今着ているお着物でいいのだが、夕莉によるとこれは屋敷用で、今から選ぶのはお出かけ用だそうだ。違いがわからない。


「ちなみに藍様はどのような色や柄がお好みで?」

(私の好きな色や柄かぁ……)


 そんなこと考えたこともなかった。


 運が良ければ茜のお下がり、上手くいけば時都家で働いていた女中が昔着ていたものをもらって使っていた。


 しかし大半が色が抜けたり破れていたり、時代遅れの柄の着物だ。不要になるのも当然なのかもしれない。


 着ることができればそれでいいと思っていたので、あまり私はそういうことを気にしたことがない。


 せめて言うならばーー。


「架瑚さまに可愛いって言ってもらえるお着物、なんてありますか?」


 二人はしばらく見つめ合い、コソコソと話し始め、そしてーー


「了解!」「承知いたしました」


 と言って着替えや化粧に取り掛かった。



 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



「ちょっと待って夕莉あ、綟さまも! まだ私、心の準備が……あ、ちょっと、わわっ!」

(やっと来た……)


 俺は心の中で深いため息をついた。藍を着飾ってほしいと頼んだのは俺だ。それは認める。


(だがそのために一時間もかけろと言った覚えはないっ)


 チラリと夕夜ゆうやを見ると、俺と同じような表情をしていた。やはり、女性のおしゃれに対するこだわりや情熱は男性には謎にしか思えない。


 だが、そのために時間をかけることは無駄ではないと、俺は思い知らされた。


(藍、なのか……?)


 一瞬、俺は誰かと尋ねてしまいそうになった。それほどに藍がいつもより大人っぽく、可愛くなっていたのだ。


 藍は夕莉と綟に押されて俺の目の前に来た。


 俺は改めて藍の全身を見た。


 黒く艶のある長い髪は右と左で二房ずつ編み込まれていた。そしてそれらは後ろの高い位置で今様いまよう色のリボンによって一つに結ばれている。


 顔は化粧を施されており、いつもより大人びて見えた。特に集中がいくのは桃色の紅がさされている口元だった。


 着物は名前と同じ藍色で、小さな花柄の着物だ。帯は白。藍の健気で純粋ピュアな人柄を表していた。


 結論ーー


(めっっっっっちゃ可愛い!)

「あ、あの、どうでしょうか架瑚さま」


 俺は少し考えることにした。


(可愛いだなんて当たり前のことは言わなくでわかるだろうし、似合ってるは他のことで前にも言ったし。うーん……)

「……部屋にずっと閉じ込めて見てたい」

(うん。これだな。本当のことだし)


 その言葉に、藍はあたふたした。


「ふぇっ!?い、嫌です!」


 そしてそんな半分冗談のようなことを真面目に返す藍、クソ可愛い。


(やばい、どうしよう。本当に閉じ込めてみてようかな。いや、駄目だ。藍に嫌われるかもしれない。今度にしよう)

「ごめんごめん」


 藍には素直に言ったほうがいいかもしれない。


 俺は藍に近づき、耳元で囁いた。


「藍らしくて、俺は好きだよ」

「〜〜っ!」


 その言葉に藍の頬が赤く染まった。


 そんな初々しいところも俺は大好きだ。可愛いだけじゃ、藍の全てを表すことなんて不可能だ。


 それにーー


(結構いうの恥ずかしいし勇気いるからなるべく言いたくない! 藍が可愛いのは全世界共通のことだけど!)

「じゃ、行こっか」


 そんな思考を隠し、冷静でかっこいい婚約者と藍に思ってもらえるよう、俺は手を差し伸べた。


「は、はい……!」


 その手を藍は掴み、俺たちは二人一緒に歩き始めた。



 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



「それで?藍は何で糸を買いたいの?何に使うの?」

「そ、それは……」


 呉服屋に到着した私に架瑚さまはそう尋ねた。


 言えるわけない。特に架瑚さまには。


 私はいつもお世話になっている架瑚さまへの贈り物を自分で作りたいのだ。


 だけど私はどんなものがいいのかわからなかったし、どんなものを作りたいかも決めていなかった。


 なので咄嗟に組紐のようなものを思い浮かべて「糸を買いたい」と言っただけ。


 当然、その贈り物を贈りたい相手に「架瑚さまへと贈り物に使おうと思っていたのです」だなんて言えるわけがない。


 私が返事に迷っていると、店の奥から見覚えのある女性が出てきた。


「架瑚様、そんな風に問い詰めるのはあまりよろしくないかと陽奈は思いますよ」


 陽奈さんは架瑚さまに近づき、陽奈さんが出てきた奥の部屋へと押した。


「ほら架瑚様、ここは熟練者プロである陽奈にお任せください。暑い中歩いて来たのでしょう?奥の部屋で涼んで待っていてくださいませ」

「だが」

「早く早く」


 不服そうに顔を歪ませるが、陽奈さんはお構いなしに部屋へと押す。


(大丈夫かな……)


 そう思った時だった。


 ドンガラガッシャンッ!

「!!?」


 何かが落ちて割れる音がした後、陽奈さんが何事もなかったかのように出てきた。


「お待たせいたしました」

「いえ、全然」


 陽奈さんは押しが強いようだ。


「それで、何をご所望でございますか?」


 今は架瑚さまもいないので、私は正直に話すことにした。相手は熟練者プロだ。きっといい案を出してくれるに違いない。


「実は、架瑚さまへの贈り物を自分で作りたくてここに来たんです。私には高価なものを買うお金はないので、自分で作ればなんとかなるかなぁって」

「なるほど。どんなものを作る予定ですか?」

「まだあまり決めていないので、おすすめはありませんか?」


「そうですね……」と陽奈さんは顎に手を当てて考え込む。


「架瑚様は組紐くみひもを使うほど、髪は長くありませんものね。となるとーー」


 そう言うと陽奈さんは近くにあった布と、何かをポケットから出して私に見せた。


「このような手巾しゅきんはいかがですか?」

「手巾ですか?」


 手巾、ハンカチのことである。


「えぇ。布があれば簡単に作れるのですよ。それに刺繍でもしたら、もっと素敵で嬉しい贈り物になると思いません?」

「刺繍入りの手巾……」


 私は頭の中で想像を膨らませた。


(……うん、いいかもしれない)

「それにします!」

「わかりました。では、布と刺繍糸を選びましょう」


 そう言って私は陽奈さんと一緒に布と刺繍糸を選び始めた。




「満足そうだな」


 買い物が終わり、無事に布と刺繍糸を買えた私に架瑚さまはそう言った。なんだかんだ言って三十分も待たせてしまったが、何も気にしていないようなので私は安心した。


「はい。付き合ってくださり、ありがとうございました。とても楽しい時間でした」


 私が選んだのはタータンチェックの柄の紺色の布と、白色と二種類の桃色と緑色の刺繍糸だ。


 早くお屋敷に帰って手巾を作りたい。作るのがとても楽しみだ。


 そんな風に心を弾ませていると、お腹が空いてきたのを感じた。


 今は甘いものを食べたい気分だが、時はまだ昼。間食の時間にはほど遠い。


 かといって架瑚さまにお昼まで私の好きなものまで合わせてもらうことには多少なりと忌避きひ感がある。


 私がそう思っていると、ある一つのお店を見つけた。そこでは餡蜜を食べることができるそうだ。


 餡蜜は私にとって、とても親しみのある菓子だ。昔私が泣いていた時に、もう亡き私の侍女がこっそり食べさせてくれたものだからだ。


 懐かしみながらその餡蜜を眺めていることを、架瑚さまは知ったのだろうか。


「藍、あそこで昼ごはんにしよう」

「えっ……」


 その餡蜜を売っているお店で昼ごはんにしようと言ってくれた。


「嫌だったか?」

「あ、いえ。むしろ今行きたいなって思ったお店です」

「よかった。じゃあ行こうか」


 多少罪悪感はあるが、今回は架瑚さまの優しさに甘えることにした。



 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 同刻、そんな藍たちを見ていた者がいた。


「うわぁ、架瑚兄が信じられないぐらい優しい」

「時都妹に良いところを見せよう、ってところか」

「もはや藍様の喜びは若の喜びと化していますから。若も藍様もよければ、それでいいのではないですか。こっちは見ていて飽きないですし、面白いです」


 見ていた人は、もちろん夕莉と夕夜と綟である。


「そう思うの、綟姉さんだけだと思うよ」

「右に同じく」

「そうですかねぇ」


 もちろんこのような会話をしていたことや、綟は人の色恋を見るのを好く少女であるだなんてことを、藍が知るはずもなかった。



 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



「美味しい……!」


 一方お店に入った私は、お店自慢の餡蜜を堪能していた。


「喜んでくれてよかったよ」


 そう言う架瑚さまの笑顔はとても眩しい。私の心臓が一瞬大きく跳ねる。それと同時に架瑚さまから目が離せなくなった。


(……あれ?)


 そして架瑚さまを見ているうちに一つ気づいた。


「あの、架瑚さま」

「ん、なぁに藍?」


 私はそれを確かめるべく、架瑚さまに質問した。


「甘い物、好きですか?」

「…………ゴホッ、ゴホッ!」


 すると、架瑚さまは飲んでいたお茶が咽せたようで、激しい咳を何度かした。


「だ、大丈夫ですか!?」


 私は慌てて立ち、背中をさすった。するとだんだんと落ち着き、普通に息ができるようになった架瑚さまは座るよう私に言った。


 私は心配しつつも椅子に座り直し、もう一度聞いた。


「あの、大丈夫……ではなかったと思うのですが大丈夫ですか?」

「多分大丈夫……。それで……え、なに、急に、どしたの?」

(明らかに動揺してる……)


 身体はもう大丈夫なのかもしれないが、心は安定していないみたいだ。どうやらさっき私が言った言葉では、説明が足りなかったらしい。


 私は補足して伝えた。


「架瑚さま、さっきから私の食べている餡蜜、ずっと食べたそうに見つめているじゃないですか。それで、甘い物好きなのかなぁって」


 そう言うとーー


「かっこ悪いな、俺……」


 自嘲染みたように架瑚さまはそう言い、手で頭を押さえながら顔を机に突っ伏した。そんなに落ち込むことだろうか。


「別に恥ずかしくないと思いますが」

「……藍にカッコいいなって思ってほしかったんだよ。てかこんなこと言ってる時点でカッコ悪いな」


(私にかっこいいと思ってほしかった、か)


 架瑚さまは私のことを知っているようで、あまり知らないようだ。


 架瑚さまがかっこ悪い?


 そんなこと、あるわけない。


「何を言っているんですか。架瑚さまはもう十分カッコいいですよ。助けてくれたあの日からずっと、架瑚さまは私の救世主ヒーローなんですから。カッコ悪いだなんて、そんなこと言わないでください。もっと自分に自信をもっていいと思いますよ、私は」


 そう言い私は架瑚さまに微笑むと、架瑚さまは目を逸らした。


 怒らせてしまったかと思った私だったが、綺麗な髪から覗かせた耳がそうでないことを教えてくれた。


 そしてーー。


「……ありがと」

(か、か、可愛い……!)


 お礼を言い慣れていないのか、照れる幼子を見ているようで、私は自然と笑みが溢れた。


 そのことに架瑚さまは気づくと、苦い顔をして私に聞いた。


「……なに、藍?」

「いえ、何もありません」


 もちろん嘘である。


 そしね案の定架瑚さまが怪しんできたので私は架瑚さまに餡蜜をあげることにした。


 もちろん、意識を他のことに向けてもらうためである。


「では架瑚さま。餡蜜あげるので口、開けてください」

「え」


 それに架瑚さまは戸惑う。


「どうぞ」

「え、いや、俺は」

「どうぞ」


 こう言うのは押した者勝ちなのだ。この会話を繰り返した結果、架瑚さまは諦めてくれた。私の粘り勝ちである。


「……ん」


 架瑚さまは目を閉じ、口を開け、餡蜜が中に入るのを待った。


 私はそんな架瑚さまの姿にドキドキしつつも餡蜜を架瑚さまの口へと運んだ。


 中に入ったのを目で確認すると同時に、スプーンから架瑚さまが餡蜜を食べたことがわかった。


 スプーンを口から離すと、架瑚さまは満足そうに餡蜜を食べた。


「うん、美味しい。ありがとね、藍。あとは食べていいよ」

(……それって、間接キスなのでは!?)


 そんな風に思ってしまうのは私だけだろうか。


「も、もう大丈夫です」

「そうなの?じゃあ後は俺がもらうね」


 そう言うと架瑚さまは私からスプーンをもらい、餡蜜を食べ始めた。


 二口、三口しか餡蜜は食べていないが、その時にはもう私の心もお腹もいっぱいだった。



 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 その頃、綟たちは屋敷に帰ることを決めていた。


「無事に終わりそうですし、私たちは帰りましょうか」

「そうだな」


 夕夜は綟に同意し、顔を縦に振った。すると、夕莉が何か思い出したように顔を上げた。


「あ! ごめん綟姉さん、夕夜。忘れ物しちゃった! 先に帰ってて!」

「一緒に行きましょうか?」


 綟は夕莉にそう尋ねるが、夕莉は「大丈夫」と言って断った。そしてすぐに走り出した。


「おい待て!」


 そんな夕莉を追いかけようとする夕夜だったが、それを綟は止めた。


「心配ですが、夕莉ちゃんはもう十六歳ですし、本人の言葉を信じましょう」


 夕夜はいつも夕莉のことを心配し、行動を共にしていた。


 しかし婚約者であり信頼している綟の言葉に心動かされ、今回は夕莉を追うことをやめることにした。


「……そうだな。じゃあ俺らは帰るか」


 だがしかし、後に夕莉を追いかけなかったことをのちに夕夜は後悔することとなる。


 その後、夕莉は行方不明となり、夕夜たちからその姿を消した。それを藍が知るのは次の日の朝だった。



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