一仕事を終えたライジンは身体に付着した土埃を手で適当に払って、リビングへと戻る。


「ふぃー。終わったぞ、二人とも」

「お疲れ様、来神」


 ソファに腰掛ける照子と、その隣で佇む金髪メイドのイリス。

 イリスは何とも言えない表情でライジンを一瞥して迎える。


「おう。悪かったな、迷惑かけた」

「良いのよ。貴方と一緒になるという事は、そういう事だもの」

 

 そう言って、照子は穏やかに笑う。

 先程まで命を狙われていたとは思えないほど平静だ。


 イリスはリビングへと戻ってから、ある事に気づいていた。

 それがより照子に対して驚きと畏れを抱かせていた。

 テレビが付いていなかったのだ。真っ暗な画面に、照子とイリスの姿が反射して映し出されている。

 最初から照子はテレビなど見ていなかったのだ。


(全く、この方は……。来神あのバカとお似合いですわ)

 

 ――“だって、あの人が必ず助けに来てくれるもの”。

 イリスには照子がそう言っている気がして、そっと小さく表情を綻ばせた。

 

「おん? 何笑ってんだ、イリス?」

「いいえ。何でもありませんわ。デブが治ってもバカは治らないんだと、思っただけですわ」

「ったく、お前は相変わらず口が悪いな。主人に対して――」

「あら。今の主は来人坊ちゃまですわよ?」

「ああ、そうだったな」


 イリスが挑発する様にそう言えば、棒読みでライジンが答える。

 そんな元主と元従者のやり取りを、ころころと笑いながら照子は見ていた。


「それにしても、旦那様は今までどうしていたんですの? ずっと連絡も取れず、心配していましたのよ」


 百鬼夜行の一件から音信不通で、ついにはアークの口から死亡したと言われたライジン。

 それが今になって突然、姿は月とスッポン程様変わりしてはいるが、生きてイリスたちの前に現れた。


「ああ、それな。実は“娘”に会ったんだ」

「娘――。それは、世良という少女の事でしょうか」

「ああ、そうだ。世良ちゃんの方からパパに会いに来てくれてな――」


 そう言って、ライジンはこれまでの経緯を語った。

 


 ――百鬼夜行『双頭』の鬼の討伐を終えて、北米異界が解けた後。

 報告の連絡だけを手短に済ませた後、ライジンは一升瓶で勝利の酒を浴びていた。


「――ぷはっ! やっぱ動いた後の一杯はうめえな」


 一杯というか一本。なんならその一本を飲み終えて二本目へと突入しようかというタイミングで、彼女は現れた。

 ライジンは背後に気配を感じ、振り返る。


「あん?」


 そこには白い雨合羽を纏った人物が立っていた。

 そこに居るはずなのに、希薄な存在感で上手くその姿形をはっきりと感じられない。


「お前は――」


 誰だと、そう問おうとした瞬間。

 雨合羽は地を蹴り、ライジンの眼前へと迫っていた。


「おっと」


 一升瓶で一撃目を受け、後方へと下がる。

 しかしライジンが手元の一升瓶を見れば、まるでその空間だけが抉り取られたかの様に綺麗に瓶の下半分が消え去っていた。


(何の予備動作も無かった。この力はなんだ? ともかく、触れたらマズいって感じだな)


 軽い一撃を受けただけで消し飛ばされた瓶を見て、危機を察知したライジン。

 しかし、だからといって及び腰になる訳ではない。


「久しぶりに、本気で立ち合えそうだな」


 むしろ、燃えた。

 ライジンはにやりと口角を上げて、パチンと指を鳴らす。


「――『聖域サンクチュアリ』」


 ライジンは戦った。何度も『破壊』され、その度に再生して、また戦う。

 再生する度にライジンの身体に付いた肉は削ぎ落されて行き、引き締まった在りし日の姿へと戻って行った。

 

 そして戦いの最中、白い雨合羽のフードが取れた。

 現れたのは白銀の美しい髪をした、儚げな雰囲気を纏った少女だった。

 目は虚ろで、正気ではないというのはすぐに見て取れた。

 しかしそんな虚ろな目の奥から、ライジンには感じ取れるものが有った。それは世良の心だった。


 それは世良が自身の息子である来人から生み出された存在――幻想イマジナリーが基礎となって形作られた存在だからかもしれない。

 ライジンには確かに解ったのだ。目の前の少女が自分の娘であると――。

 

「――それで、どうなったんですの?」

「全身の贅肉を燃焼し切るまで戦って、結局は俺と『聖域サンクチュアリ』の構成イメージを滅茶苦茶に『破壊』されて、瀕死の状態。そんで自分で作った『聖域サンクチュアリ』から出られなくなっちまった。――まあ、それでも時間が有りゃこの通り、見事復活って訳だが」

 

 ライジンは自慢の身体を見せつける様にポーズをとる。

 

「全く、負けてるんじゃありませんの……。最強の名が聞いて呆れますわよ」


 イリスはそうため息を漏らす。


「仕方ないだろ。世良ちゃんから来人と同じ物を感じちまって、今戦ってるのが娘なんだって思うと、つい本気で殺そうとは出来なくてよ……」


 ライジンはそう言って、柄にもなく恥ずかしそうに頭を掻く。

 すると、庭の方から声が投げかけられた。


「――全く、親子揃って甘い事を」


 見れば、窓の向こうには着物姿の女性――原初の三柱が人柱であり、神王補佐。アナの姿があった。

 イリスは警戒し構える。


「どうして、アナ様が直々に来られたんですの? 天界から出られるなんて、珍しいじゃないではありませんか」

「何、ライジンの反応が有ったからな。お前は確か、今はライトの契約者であったな」

「……そうですわ。それが、どうしましたの?」


 アナははあと溜息を吐いた後、懐から金色の「V」の字と「く」の字を組み合わせた不思議な形のアクセサリーを――王の証を取り出した。

 そして、それをひょいと投げる様にイリスへと放り渡す。


「――おっと。これは、王の証ですわね。どうして、これを……?」

「あの命令を聞かない馬鹿半神半人ハーフの忘れ物だ。お前から渡してやれ」

 

 上手く状況が飲み込めないイリスに対して、ライジンは何かを察した様に神妙な顔になった。


「――アナ様よ、あんたが下りてきたって事は……」

「ああ。天界はもう駄目だ」


 アナはゆっくりと首を横に振る。


「天界に再び“再臨”した姿の十二波動神が現れた。唯一万全の状態であった王族、ティルは地球へ行った後連絡が取れず。もちろん私に戦う力は無い。よって、対処に当たれたのは治療中のカンガスとその契約者、そして再生中のウルスだけだった」

「それで、どうにかなったのか?」

「ああ、何とかな。しかし、同時に天界は壊滅状態となった。残っていた神たちも死に絶え、施設ももう殆ど生きてはいない。これではライトたちと敵対している余裕もない。世良という少女を生かすも殺すも、我々に選択の余地は無くなってしまった」

「それで、今度はごめんなさいってライトに泣きつくってか?」


 アナは黙り込む。

 プライドも有るのか、その問いには答えなかった。


「――ともかく。ライジンの波動を感じて、ここへ来た訳だ。一人でも多くの力が必要だ。共に来てくれないか、ライジン」


 ライジンはぽりぽりと気まずそうに頭を掻いて、


「それは構わねえんだけどよ……。ちゃんと、来人にはごめんなさいしろよ?」

「……ああ」

「イリスも、それで構わねえか?」


 イリスは少し悩んだ後、答える。


「ええ。ただし、“わたくしたちの仲間”に今後一切危害を加えないと約束してくださいませ」


 そう言って、鋭い視線をアナへと向ける。


「ああ。もう我々にライトの邪魔をする意志は無い」

「いいえ。そうではなく、言葉通りの意味ですわ。坊ちゃまだけでなく、その仲間たち全てですわ」


 イリスたちは鬼人の会を仲間として異界を拠点としている。

 それを天界の側の者に見られて、もしも手の平を返されては堪ったものではない。

 本来であれば鬼は核として魂を輪廻の輪へと返すのが常であり、鬼人という存在自体がイレギュラーだ。

 そんな事イリスだって分かってはいるが、来人の友人を守る為に、イリスは強く念を押す。


 アナは少しイリスのその強い念押しに違和感を感じていたが、最終的には深く追求しないまま首を縦に振った。

 

 かくして、ライジンとイリスはアナたち天界組と合流を果たした。

 アークの『破壊』の力に対抗出来るのは、王の血を引く者とその契約者だけだ。

 よって天界の残存戦力は神王補佐アナと、半死状態のウルス、治療を終えたばかりのカンガスとその契約者のガイア族ユキだ。


「では、ひとまず、わたくしたちの拠点へ向かい、仲間たちと合流しましょう。優秀な同胞がゲートを完成させてくれていますわ」


 と、最終的に異界の場所を知るイリスが音頭を取った。

 ライジンは照子を抱きかかえて、イリスは王の証を手に、アナを連れて仲間の元へと向かう。

 

 この時、イリスは自分の器と繋がっている来人の波動の質、その感覚が少し変わっているのに気付いた。

 

(坊ちゃま、これは……?)

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